「隙 間」

2008年11月12日(水) 障害生涯、渉外しょうがい

「読字障害」というものを、知りました。

 文字を読んだり書いたりすることがうまくできない、というものです。

 文盲率(この言葉は使ってもよいのかしらん?)に差はあれども、世界で一割のひとがその傾向があるかもしれないそうです。

 会話は、ふつうにできます。
 ただ、書いてある文字を読んだり、それを声に出して読み上げたりすることが、うまくできない……。

 文字が視覚から絵として入ってきて、その意味を文字というそれぞれの意味に変換する脳の部分に問題があるらしいのです。

 だから会話のなかで培ってきた言葉に関してはまったく問題がなく、すらすらとムツカシイ言葉やらが、マシンガンのようにでてきたりもします。

 ところが、ひらがなで

「わたし」

 と書いた紙を読み上げようとすると、

「わ、わ、わ……っと、えぇと、し、じゃなくて……なんだっけ、えと、わ……た、た、た? わた……っと……えと……」

 となってしまうのです。

 そんなたいへんな苦労を強いられる人たちのなかには、イメージ力に抜きん出ているかたが多くみられるそうです。

 空間把握能力だったり、それに伴う多面的な描写力。

 一面を見て、横から後ろから上や下、頭のなかでぐるぐる回して眺められたりするのです。

 羨ましく思ったり……建築をやっている人間としては、ですが、まあ、だからなにさ、ともまた思ったりもします(汗)

 もし、文字が読めなくなり、書けなくなったら……。

 ……作家ではなく、映画監督でも目指してるでしょう。

 書けなけりゃ、書けるひとに書いてもらえばいい。
 読めなけりゃ、読めるひとに読んでもらえばいい。

 そうしてもらえるひとがいなければ……

 何度でも
 何時間でも
 何をしてでも

 やるしかない。

 力を貸してもらえるように常に心がけるのは、大事なことでもあります。

 耳が痛い(汗)

 もしくは、

 ……できることを探すとか(汗)

 人間の脳みそ自体が、本来は文字というものを理解する進化の過程にいまだある、的な「え、そうだったの?」という現実……。
 文字というものはあくまでも、

「道具」

 として、それぞれが作り出したもの。
 道具は使いこなさないとだめだし、使わなくてもすむものなら使わなくたっていい。

 携帯やパソコンで、字を書く、という機会が減ってきてると、文字はまさに、記号や絵にしか過ぎなくなっている現代。
 手を使って書いて、声に出だして読んで、そうやって覚えることを繰り返してゆくしかないらしい……。

 電話を発明したグラハム・ベルや、レオナルド・ダヴィンチ、ウォルト・ディズニー、アインシュタイン、ピカソ、アガサ・クリスティ……らも読字障害があったと言われている。

 言葉を文字にして書かなくても、物語は描ける。

 ということ。
 今はパソコンで音声入力もできるし、わたしみたいに、自分で書いたのにあとで見ると判読不明の汚い文字もあるわけだし(汗)

 文字が書けなくなるわけではないけれど、何度書き直そうとしても、繰り返し同じ、記号みたいな文字しか書けなくなりそうになって、はた、とペンを止めるときもあるし……汗

 そのときは「うっきぃっー!」とペンを放り投げてひと息入れるけれど(汗)


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