★悠悠自適な日記☆
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ブログのブームと共に最近よく投げかけられるひとつの問い。
『なぜ、日記を公表するのか?』
近況報告に留まらず、自分の内面に秘めていること、口に出して言えないことを何故わざわざWeb上で公表するのかということ。人に言えないことを、文字で見せようとするのかということである。
私が出したひとつの答えは、腕を切る行為と同じだということ。
人との協調性を求められる世の中、社会に適応と順応を求められる世の中で、私達は自分の「声」を封じ込められる。今、これを言うべきじゃないな。こんなこと言うと退かれるな。嫌われちゃうかもしれないな。何かを発言すると批判されて、批評されて、潰されて、結局は黙って言うことを聞いている人間が得しちゃった…という世の中。
高いモチベーションを維持し続けてそれでも向かって行ける人間は強い。だけど多くの人間はどこかで疲れを感じ始める。「こんなはずじゃないんだけどな…」と思うようになる。
「声」を奪われた人々は新たな武器として、時として防具にもなり得る「文字」を手にする。言葉で何かを攻撃し、言葉で自分を守ろう。面と向かって発言することとは違い、相手を特定して手紙で伝えることとは違い、あくまでも自分の考えや気持ちをただそこで述べているだけにすぎないので、封じ込められる筋合いもない。文字で攻撃し、守ることで自分がここにいることを証明しよう。私はここにいる。わたしはここにいる。ワタシハココニイル。
それは、腕を切ることと同じ行為だ。腕を切って、流れてくる血を眺めて、自分が生きていることを認識する。私がここにいることを確認する。時にその行為を誰かに見せて、私がここにいることを存在してもらおうとする。日記を書く行為は、ただ自己表現の方法が異なるだけで、意味合いとしては腕を切る行為と何ら変わらない。
文字が苦手で、文字を武器にも防具にもできなかった。文字だけでは自己表現として物足りなくて不安で仕方がない。あるいは「声」だけでなく「文字」まで封じ込められた。そうやって逃げ場を失った人たちがどんどん自分の身体に傷をつけはじめる。
リスカをする人の数は、男性よりも女性の方が圧倒的に多い。それは、血を見ることで男性は死をイメージし、女性は生をイメージするためだという。日記を書く人口も女性が圧倒的に多い。
(※最近は男性の日記やリスカも増えてきているけどそれは男性の女性化ということで説明がついたりします。)
Web上を流れる文字と腕から流れる血は酷似している。ひとつの自分がここに存在していることを感じることで快感を覚えるひとつの自慰行為だ。
私はこれからも文字を武器と防具にして書き続ける。私だけの領域。私だけの世界。もし今の私に文字を奪われたら、私は間違いなく腕を切るだろう。
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今日の日記、脅迫っぽいなぁ…。別にそんなつもりないんだけど。いや、あるかな?
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