★悠悠自適な日記☆
DiaryINDEXpastwill


2005年09月26日(月) 空白病

 きっとそれは一種の病気なのでしょう。大学の芸術学科の中に存在するひとつの病原菌なのでしょう。そしてそれは感染病なのでしょう。

 空白のスケジュール帳が許せない病気。いくつもいくつも予定を重ねて、「私は積極的に活動しています」というアピールをしていないと気が済まない病気。自ら仕事を増やして、こんなにも忙しくなるくらい自分は頼りにされているんだって、そう錯覚する病気。

 数をこなすことに酔いしれて、浮き足立って、ひとつひとつの物事に腰を落ち着けて取り組むことができなくなっている。

 目の前には楽しいことがたくさん転がっている。人はそれをチャンスと呼ぶ。

 楽しいことがあまりにもたくさんあるから、その中から本当にやりたいと思うことを選ぶ、厳選する目を弱らせる。または、自分で作ろうとすることを忘れせる。そこにあることを当然のように思い始める。

 それは実は流されているだけではないか。

 本当はただ、一人で過ごす時間に耐えられないだけではないか。
 孤独に耐えられないだけではないか。

 数をこなせば自分の経験値は上がるでしょう。
 けれど数だけに囚われてひとつひとつが中途半端になると、何も得ることはできない。

 二兎を追うものは一兎を得ず。

 皆天才ではないので。
 大抵は凡人なので。

 ひとつの作品に全力を尽くす人と、複数にちらほらと手を出したがる人。
 作品を作ることになった時、完成度として高いのはどちらか。作品に対して、その作品作りに関わる人達に対して誠実なのはどちらか。

 作品に誠意を示すこと。そのためには、時として、ひとつに集中して、他のことを諦める覚悟も必要だ。

 軽軽しくたくさん引き受けるものではない。

 皆、ニートを馬鹿にする。社会の中で目的を見つけられない人たちを指さして笑い、「俺達は見つけてるんだぜ!」という顔をする。本当は見つけていないのに。大学の中なんていう狭い囲いの中で見つけた気になっている。

 井の中の蛙、大海を知らず。

 大学の中にはこんな病原菌が蔓延している。
 きっと私も感染者の一人にちがいない。
 空白のスケジュール帳を無駄にする勇気がない。

 でもそのことに気づいたので。
 病気は自覚することが治療の第一歩。
 気付いた私は何か変わるだろうか。

 私は、ある芝居ともうひとつ、どうしてもある創作者の作品に参加したいと思っていました。その人だから出たいと思っていて、約束もしていました。だけどたまたま稽古の時期が重なってしまい、どうしようと悩み、悩んで、悩んだ挙句、先に企画として上がっていた芝居を取りました。どちらも本当にやりたいことだったけれど、作品と、それに関わる人たちにとって誠実な道を選びました。悲しかった。その人とのチャンスはもうないので、本当に諦めるのは惜しくて辛かったけれど、他の皆も一緒に誠実になって取り組んでくれるのならば、私は後悔しないでしょう。そうなることを祈ります。
 


嶋子 |MAILHomePage

My追加