Leonna's Anahori Journal
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2011年03月12日(土) 東京に地震がきた

 
地震がおきたときは都内神田の会社で仕事をしていた。事務所は昭和45年築のビル7階。埼玉にある自社工場と電話中にぐらぐらっときて、結構大きいね、あっこりゃだめだ!いったん切るわ!となった。

揺れは徐々に大きくなって、ちっともやむ気配がない。大きな横揺れが繰り返し何度も来る。
女性社員はほとんどが机の下にもぐりこんでキャーとか恐いーとか言っている。壁際の書類棚からファイルがバサバサ落ちてくる。ついに来たか。もしかしたらダメかもと思う。
ダメかもと思いながら机の上に手をついて、押さえるようにしながら立っていた。
机の下で丸まっているひとを見ると、恐い。あのまま潰されたらどうするんだと思う。
それで、机のうえを押さえて立ちながら、天井や壁面に目を配っていた。机の上のPCディスプレイが倒れても目もくれない。
どうやら、上の階が落ちてきたらそこをよけながらでも逃げるつもりでいたらしいのだ、私は。黙って下敷きにはならないぞ、こうなったら死ぬ前に一暴れしてやるからなという心算で周りをにらみつけていた。いま思えば、立っていられる程度の揺れだったからできたことだとわかるのだが…

揺れが小やみになってきたので、とにかくビルの外に出た。このときもコートを着て、財布は勿論、しっかりバッグを持って出た。入社以来はじめて7階から階段を使って1階まで下りる。落ち着いているつもりだったが、エレベーターの中にいるときにあの揺れに見舞われていたらと思うと考えただけでおかしくなりそうだった。
そして、昨日は幕張メッセで大きなフェアがあり営業はじめ多くの社員が出展者として会場にいたのだが(社内に居残っていたのは7人だけ)、しかし、幕張は海至近の埋め立て地だから地盤の液状化現象なんかおきてたらえらいことだぞなどと考える余裕ができたのは、まだかなりあとになってからだった。

外へ出てみると、周りの建物から出てきたひとと停車中のクルマとで大通りが埋まっていた。みんな建物を見上げている。歩道にいると建物が崩れてきたときに直撃されてしまうので車道に出ているのだ。きっと多くの人がクライストチャーチを襲った地震のことを思い出していたのだろう。
隣のビルのエントランスのところで地面を指差しているひとがいて、覗き込んでみたらエントランスの敷石と地面の境目に亀裂が入って隙間があいていた。
外へ出てからも繰り返し余震がきて、足下が動いているのがわかる。寄りかかっているガードレールも揺れている。見渡す限り、ビルも信号機も街路樹もすべてが揺れているという非現実的な眺めが広がっていた。揺れるというよりも、視界の中に在るものすべてが震えているのだ。
(このとき、バカに文学的なある考えが稲妻のように体内を駆け巡ったのだけれども、それはまた別のときに書こうと思う)

小一時間ほど外にいてそれからまた階段で会社へ戻った。あれだけ大きな揺れが来てしまったのだから、さすがにもうあそこまでのものは来ないだろうという判断だ。
親会社からは今日はもう帰ってよしとの連絡があったが、電車はすべてストップしているのだから「よし」と言われても帰れない。しかたなく仕事をしていたが、間断なく余震が来るので船酔いみたいになって、気持ちがわるくてしようがない。昨日までは震度3くらいでも恐かったのが、いまや「気持ち悪いなー、仕事出来ないじゃんよー」なのだ。われながら驚く。
この頃になると都内と近県は携帯メールで連絡がとれるようになり、会社へも連絡が入ってくるようになった。幕張は、地震が来た時点で設営作業中止、明日以降はJRの運行次第(動かなければ催し自体中止)、社員は全員無事、帰る足については「なんとかやってみる」とのことだった。
埼玉の工場からは、倉庫の蛍光灯が落下したがケガ人はなし、ただし群馬工場と連絡がとれない、どうやら停電しているらしい、との連絡が入った。

6時過ぎに派遣で経理の仕事を手伝ってくれている女性が、徒歩とバスで行ってみると言って帰って行った。家は豊洲にある高層マンションの35階だという。当然、エレベーターは止まっているだろうからマンションまでは帰り着けてもどうやって家に入るのかはわからない。でも、飼い犬が二匹いて、心配だから帰るとのことだった。彼女によると、最近増えたタワーマンションは、災害時に備えてすべて屋上にヘリがおりられるようになっているのだそうだ。地震などでエレベーターが止まったときに上層階の住人を助けるために。なるほど。しかし、彼女は無事35階の部屋まで帰り着けただろうか。

7時頃、夕飯を確保しにコンビニへ行こうとしたら、表通りは歩いて帰る人の波、だった。みんな脇目もふらずにけっこうな早足でのしのし歩いて行く。どこまで帰るのか知らないが、そんなに皆さん、便利な場所にお住まいなのだろうか。特筆すべきは、何人かにひとり防災用のヘルメットをかぶっているひとがいたことだ。以前から震災に備えていたのだろうか。まったくもって正しい行いではあるのだが…改めて非常事態であることを思い知らされる。

結局会社には夜11時頃までいた。
インターネットテレビを観ている同僚に「都営新宿線は復旧したかしら」ときいてみる。JRは早々と運行を断念したが、地下鉄、特に都営線はほとんどが動いていた。ならばJR一駅分と、駅から家までバスに乗っている分を歩けば帰れる。何十キロも歩くくらいなら会社に泊まった方がましだが、それくらいですむのなら帰りたい。ずっとイスに座りっぱなしで腰が痛くなってきている。自宅で身体を伸ばして休みたい。

「無理そうだったら戻ってきます」「気をつけてね」と言葉を交わして会社を出たのが11時、すし詰めの電車でいつもの三倍の時間をかけて(時速25キロ制限で走行)隣駅まで来たときには12時半をまわっていた。そこから歩いていつもの乗降駅まで30分。そこからまた30分以上かけて家まで歩く。駅から駅までの国道は、東京ほどではないけれどやはり人通りが多かった。まるで夏祭りの夜のような賑わい。しかし、ここでもヘルメットをかぶって歩いているひとが何人もいた。

ところがバス通りに入るととたんに人が消えて、歩いているのは私ひとりになった。住宅街の中を通る近道もあるのだけれど人もクルマも通らず暗いので、せめてクルマの通る表通りを選んだのだが、これほどまでに人影がないとは思わなかった。考えてみたら夜中の1時なのだ。この時刻、だいぶ冷え込んできていて歩いていると耳が痛くなってくる。すでに棒になりかけている足を無理矢理動かしながら歩いていると、狐にでもつままれているのではないか、大地震もなにもかも狐に悪さされている私個人の見ている幻なのではないかと思えてくる。あれだけ歩いていた人が忽然と消えたのがその証拠だ。

けれども、当然のことながら幻などではなかった。
家に帰り着いて中へ入ってみると確かに地震はあったのだとわかったし、TVを点けてみてからはさらに色々なことを知ることになった。
(長くなったので、この先、日を改めて書きます)
 
 
 
 









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