Leonna's Anahori Journal
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2009年03月25日(水) |
勘違いも混ざる、購入本 |
またしても。どうせ素通りは出来るまいと覚悟をきめて行って、その通りになった結果の購入本(八重洲、金井書店にて)。
「火と水の対話」 塚本邦雄/寺山修司(新書館) 「闇の奥」 ジョウセフ・コンラッド(近代文芸社) 「ウォーホール日記」上・下 パット・ハケット編(文春文庫) 「火と水の対話」は1977年刊。一読、塚本と寺山の蜜月時代を今によみがえらせる対談本。 中学生時代、私は寺山修司の詩と文章が大好きで、お弁当の時間には必ず新書館、For Ladie'sシリーズの寺山修司の詩集を開いてうっとりと寺山ワールドに浸りながら食べていた。当時の私は寺山の詩は読んでも短歌は一首も知らなかったし、のちに自分が塚本の結社で歌をつくるようになるなどとは夢にも思っていなかった。そもそも塚本邦雄という名前を知らなかったのだ。 本を開くと、口絵の塚本の写真があまりにも若々しく生気に満ちていて、見入ってしまう。きっとあの超明晰な脳味噌をフル回転させながら、大好きな寺山と語らっているところなのだろう。きっと、いくら話しても話題は尽きなかったに違いない。
「闇の奥」は2001年刊。岩清水由美子という訳者による新訳だ。体裁が少し変わっていて、B5サイズ位のやや大判で薄い本になっている。ちょっと立ち読みしただけでも、その内容の異様さが伝わってくるようでドキドキしながらレジへ持って行った。これが映画「地獄の黙示録」の原作だと気づいたのは家へ帰ってからで、この原作から時代をベトナム戦争下へ移し、あの長大な映画を作ったコッポラも凄いけれど、あの長大な映画の原作になった小説の濃さも凄いもんだと畏怖の念を抱く。これもまた恐ろしそうな小説なので、心身の状態の良いときに読むことにする。 「ウォーホール日記」は上下巻とも700頁近くある大冊で、二冊が一緒に束ねてあった。それはそれとして私はとんでもない勘違いをしていて、店頭でこの二冊組を買おうかどうしようか迷っているとき、この本をデビッド・ホックニーの「チャイナ・ダイアリー」だと思い込んでいたのである。だって、ちゃんと「ウォーホール日記」ってタイトルからしてウォーホールじゃん!と自分でも思うのだけれど、とにかく間違っちゃったんだから仕方ない。 そもそも私はウォーホールのことをあまり良く思っていなくて、たとえば、なぜこの日記の著者がウォーホールではなくパット・ハケットなのかというと、このハケットという人は毎日ウォーホールの電話を受けてその話の内容を記録する、日記係のひとだったからなのだ。こういう、ウォーホールにまつわる、なんだか新しそうだけどその実よくわかんない感じというのに凄く抵抗があるんだな。しかし、お金払っちゃったものは仕様がない。こういう本は(資料として)どこかで何かの役に立つ可能性もあるしね。ふぅ。
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