Leonna's Anahori Journal
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夕方まで仕事。
ほんもののルーブルには勿論、こんな中途半端な時間ではオルセー美術館展にもちょっと、という感じだ。 では、ブリジストン美術館ではどうか。いま、MASTERPIECES「じっと見る 〜印象派から現代まで」というのをやっているらしい。ピカソもゴッホも、ルノワールも観られるらしい。それでは、京橋で一時間くらいブラブラ絵でも眺めてみるか、ということになったのだった。
それで。結果からいうと、ちょっと(却って)欲求不満になったのである。 特に、パンフレットの表紙にもなっているゴッホの、まだ特異な色彩感覚と歪みに至る以前の絵にはなかなか納得がいかなかった。これでは普通にキレイな印象派ではないか。私など、もうひとり余り有名ではない同名のゴッホという画家がいてそちらの作品なのではないかと思ったくらいだ。 やはりゴッホは正調ではなく、乱調だろう。どこか不自然に歪められた線と、メタメタの原色。痛ましくもあるけれど、こればかりは仕方がない。
ルノワールもボナールも、よそで観た絵ほどのインパクトはなかった。セザンヌのサント・ヴィクトワール山と、ピカソのサルタンバンクはさすがに素晴らしかったけれど(ピカソって本当に誰にも似ていない!)、佐伯祐三と藤田嗣治はもう少し他の絵もないんでしょうか、とか。どうしても、あともう少し圧倒してほしいという気持ちが残るのだ。 逆に意外な収穫だったのが、自画像。マネ、ドガ、セザンヌ、安井曾太郎、小出楢重らの不適な面構えはなかなかの迫力だった。絵は文章などと違って小手先の操作は通用せず、「見たままドーン」というところがあるから画家も覚悟を決めて描くのだろうか。どれも恐いくらい本気の貌で、画の中からこちらを睨んでいる。特にマネの全身を描いた縦長の自画像(名画、笛を吹く少年と同じ構図である)はすごい吸引力で、しばらく前を離れられなかった。
それから、岡田三郎助というひとの「婦人像」。髷を結い、鼓を打つ女性の上半身を描いたものだが、まるで少年のような、そのくせはんなりとした不思議な女性美なのである。中国でも韓国でも、タイでもベトナムでもない、紛れもない日本人の顔と髪形、衣装。でもその日本はもう(ほぼ完全に)失われている。無茶苦茶エキゾチックだ。
観賞後のラプチョン(腸詰め)につられてメール一本でやってきたゲンコツ山に「この絵、旅行で昨日初めて日本へやってきた外国人のつもりになってみてご覧よ。ニッポンはすごい、なんて神秘的な楽園を隠しているんだろう、なんて思っちゃうよ」と言うと、「はぁ〜、ナルホドー、」と口を半開きにして見入っていた。 -- 帰り道、東京駅へ向かって歩きながら、あーたらこーたら話。
「あのさ。ブリジストンてタイヤ屋さんでしょ。タイヤ1本売ってなんぼの商売よね、基本的に。それがどうして、どうなったら、あんな絵画買い蒐められるようになるんだろう。ちょっとマトモじゃないよ、あのコレクションの質と量は」 「すごいですよね」 「ただゴムの塊売るだけでは、あの画は無理だと思う。あのさ、あれじゃないのかな。投資。」 「あー、トウシ…。それかもしれないですね(←わかってるのか?)」
ルーブル美術館がどこの国にあるのかもようわからんやつと、コレクションの資金源について語りつつ、激安中華料理店を目指す。なにがゴッホは乱調、だ。石橋さん、スミマセン。
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