2007年07月24日(火) 叱るレベル

子どもは……特に幼児は、そもそもが大人の価値観がない。
それは即ち、犬とかと同じ。
親に怒られ、ほめられ、価値観を身につけていく。

けれども、親の価値観の、子どもに対する提示が一律でないと、子どもは理解しない。
理解しないというより、理解できなくなり、親に対してただ漠然とした恐怖を覚えるようになる。
何をしても怒られる。
同じことをしているのに怒られない。

それが進んでいくと、自閉症だったり、妙におどおどした子供になるんじゃなかろうか。

最近、いろんな親のしつけを見ていて、特にそう思うようになった。
なぜ、父親には慣れて母親の言うことは聞かないのか。
父親にはなつかず、母親の傍ばかりいるのか。
子どもたちの不思議な動き。

親は、差をつけて叱っているつもりでも、子どもにとっては同じものだったりする。
二歳児の排便は、正直下痢だろうが通常便だろうが関係ない。
『うんちをしている』という事実のみが子どもの中にある。
ところが、日によっては親は怒り、日によってはほめる。
怒るとき。
それは、下痢であるにもかかわらず、オムツがえの途中で子どもがはしゃぎ、周囲を汚してしまうのではないかと、親ははしゃぐ子どもを叱る。
ほめるとき。
同じ時期であるにもかかわらず、トイレできちっと排便できたとき、親はほめる。

同じ排便をしているのでも、なぜこうも怒られたりほめられたりするのか。
それは、大人の都合で(大人の尺度で)子どもを叱っているからに他ならない。
上記の通り、まだ物があまりわからない子どもにとっては同じものなのだ。実は違うのだということは、追々時間をかけて教えていけばよい。

やはり、子どもに対しては、子どもの目線での画一的な価値観を提示しないと、子どもは混乱してしまう。その上で、徐々に自分の価値観のレベルまで、引き上げてくればよい。
あくまで、最初は子どもが理解できるレベルでの、いいことと悪いことを提示してやらねばならないのだろうね。

まあ、そうはいっても、時間とかいろんな兼ね合いで、非常に難しいといえば難しいんだけどねえ。

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そして、おいらにそれを気づかせてくれたのは、他でもない楓だったりします。
楓は、おいらにもいろいろ教えてくれていたのねえ。


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彩葉 [MAIL]

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