子どもは……特に幼児は、そもそもが大人の価値観がない。 それは即ち、犬とかと同じ。 親に怒られ、ほめられ、価値観を身につけていく。
けれども、親の価値観の、子どもに対する提示が一律でないと、子どもは理解しない。 理解しないというより、理解できなくなり、親に対してただ漠然とした恐怖を覚えるようになる。 何をしても怒られる。 同じことをしているのに怒られない。
それが進んでいくと、自閉症だったり、妙におどおどした子供になるんじゃなかろうか。
最近、いろんな親のしつけを見ていて、特にそう思うようになった。 なぜ、父親には慣れて母親の言うことは聞かないのか。 父親にはなつかず、母親の傍ばかりいるのか。 子どもたちの不思議な動き。
親は、差をつけて叱っているつもりでも、子どもにとっては同じものだったりする。 二歳児の排便は、正直下痢だろうが通常便だろうが関係ない。 『うんちをしている』という事実のみが子どもの中にある。 ところが、日によっては親は怒り、日によってはほめる。 怒るとき。 それは、下痢であるにもかかわらず、オムツがえの途中で子どもがはしゃぎ、周囲を汚してしまうのではないかと、親ははしゃぐ子どもを叱る。 ほめるとき。 同じ時期であるにもかかわらず、トイレできちっと排便できたとき、親はほめる。
同じ排便をしているのでも、なぜこうも怒られたりほめられたりするのか。 それは、大人の都合で(大人の尺度で)子どもを叱っているからに他ならない。 上記の通り、まだ物があまりわからない子どもにとっては同じものなのだ。実は違うのだということは、追々時間をかけて教えていけばよい。
やはり、子どもに対しては、子どもの目線での画一的な価値観を提示しないと、子どもは混乱してしまう。その上で、徐々に自分の価値観のレベルまで、引き上げてくればよい。 あくまで、最初は子どもが理解できるレベルでの、いいことと悪いことを提示してやらねばならないのだろうね。
まあ、そうはいっても、時間とかいろんな兼ね合いで、非常に難しいといえば難しいんだけどねえ。
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そして、おいらにそれを気づかせてくれたのは、他でもない楓だったりします。 楓は、おいらにもいろいろ教えてくれていたのねえ。
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