楓が逝って一ヶ月。 口にはしていなかったが、たまにかえでの夢を見た。 直前の苦しみを見ていないからかもしれないが、どれも、かえでは元気そうに見えた。
そして昨日。 実家で昼寝をしていると(ほんの十数分)、楓の夢を見た。 多分、こっちに駆け寄っているんだと思う。 けれど、こっちにたどり着く前に目が覚めてしまった。
あんまり、夢で会えたら、とかは思わないんだけれどね。 ただ、楓はうちに来て満足だっただろう、という確信と、少し早いかもしれないけれど、みんなに看取られて逝った。 そのことだけがおいらの自己満足的に、楓の犬生がいいものであったと処理されている。
楓の夢を見た話を実家で昼飯時にする。 すると、子どもにご飯をあげながらだったので、正面に座る両親を見てビックリ。 父親も母親も涙だらだらなのだ。 一応、うそでもいい、うちの居間にいて、少しはなれたところで尻尾を振って笑ってたよ(犬を飼った人ならわかるんだけど、犬は笑うんだよね。人間が笑うみたいに口角を上げるわけではないけれど)といっておいた。 「死にたくなかった?」と聞く母。 「そりゃわからん」と答えるおいら。そりゃ、死にたくはないだろう。 けれど、それをいったところでどうにもならん。
ガンの手術をしたときに、すでに心臓の異常は発見されていた。 けれども、心臓だけに、手の施しようもなかったのは事実。 柴は、結構心肥大が多いらしい。
両親はまだ楓の夢を見ていない様子。 おいらは、結構存在は感じるんだよな。 気配、というよりは、においとかそういうの。 付着しているものの残りだ、と説明はできるけれど、あまりそれに意味はない。 とりあえずは、家族に対する影響が大きい子だったのだな、と理解し、日々の生活に戻っている。
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新しい子の名前が決まらない。 まだ、手元に来ていないからかもしれないが、あやめもなつめもしっくりこないという大多数。 まあ、焦ることはない。 見た後決めたっていいんだし。 どこかで楓の埋め合わせをしようとしている。 けど、それは新しく来た犬にとって負担な気がするなあ。 二歳児だって負担を感じるんだし。
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