| 2007年05月21日(月) |
さよなら 我が愛しの楓号 |
平成19年5月19日、午後三時半頃、実家の愛犬、楓が逝った。 おいらの母親の話だと、だいぶ痛がっていたようだ。 死因は心筋梗塞のようで、大き目の血栓が血管を塞いでしまっていたようだ。 最後の一日は、おいらは仕事だったので、その場には居あわせなかった。 午後二時半には終わる仕事だったので、三時までには戻るからね、と楓に告げて仕事に行っていたが(今思うと、最後の一週間は時間を作っては楓のところにいたように思う。朝出勤前に十五分時間を取り、実家によって横たわっている楓に声をかけて出勤。帰ってきて、子どもたちを寝かしつけてから、実家に行って楓と添い寝。たまに痛がったりすると体をマッサージしてやったり)たまたま仕事の都合で戻れなかった。 母親から電話があり、病院の診察台で息を引き取り、処置が終わった、との電話があったのが午後三時三十二分。 病院に行く道中から、苦しみが増し、母親も楓の死期を悟ったのだと思う。 「今までありがとうね、ありがとうね」 と繰り返す母親の顔を見て、『何でそんなことを言うの?』とでも言いたげに、じっと顔を見ていた、という。この話を聞く限りでは、楓は自分の死期が近づいていることに気づいてはいなかったんだろうな。 心筋梗塞は、突如やってくる。もちろん、原因は積み重ねられたものではあるのだが、それが発症するかどうかはタイミングにかかっている。 そして、発症したから病に伏せる。
最期の一週間、元気だが嘔吐し続け、徐々に食事を取らなくなり、立てなくなり、という流れを見てきたおいらは、どこかで覚悟をしていたように思う。 話を聞いても驚かなかった。ただ「おいらが行くまで待てなかったのね」という感情だけがあった。 最近、後悔はあまりない。 自分の納得できない結果がそこにあったとしても、そういうものは、概して自分の直前の判断を誤ったから起きたものである、ということはほとんどない。 やはりその積み重ねなのだ。 楓が心筋梗塞。 つまりは高カロリーなものを摂取していたから、血がどろどろになったわけだが、結果的に楓はそれを喜び、おいらたちも喜ぶ楓を見て喜んでいた。 途中から、あげるご飯にセーブこそかかってきたものの、やはり、どこかで誰かがあげていたのだろうと思う。 亡き祖父の墓参り後の赤えびの店では、えびやらステーキやらのかけらがひとかけら。 誰かしら必ずお土産として持ち帰った。誰かが残したヨーグルトの器は楓が綺麗になめ取った。 けれど、それを悪しきこととは思わない。 皆、楓がかわいいからこそやったこと。そして楓が喜び、おいらたちも喜んだ。 ただそれだけ。
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その晩、おいらは一人で楓の通夜をするつもりで、実家に行く。 発泡酒を一缶準備。そして、楓の小さい頃からのずっととってある写真を眺めて、楓に思いを馳せよう、と思ったのだ。 アルバムを引っ張り出し、まだ生まれて一週間くらいの、本当にころころした楓から順番に見ていく。最期に、楓の遺体を見ることで、楓の一生を見届けた、という、楓に対する記憶のインデックスをつけようと思ってたのかもしれない。
本当にいろいろあったなあ。 実家にあるものは、ほとんどが楓用にカスタマイズされた。 車の下にもぐらないようにつなげられたすのこ。 先代の飼い犬との生活場所がかぶらないように設けられたアルミ柵。 玄関に置かれたアルミの水飲み皿。 台所に置かれたアルミの水飲み皿。 応接間の机の下に置かれたドッグフードやらジャーキーやら入った元衣装箱。 PCの空き箱で作られた楓専用ベッド。犬小屋とは別にあった。別荘を持っていたんだね、ヤツは。 電子レンジ下に設けられていた楓専用おもちゃ箱。この中には、『ワンワン』と呼称されるライオンやらトラやらシマウマやらのぬいぐるみ、ボール、タコ糸を絡めて作ってある歯磨き用の骨がある。ご飯を食べているときには、そのおもちゃを持ってきて、これと交換して、といわんばかりに目の前に置いた。 居間にあるソファーの座布団には、必ずぼろバスタオルが巻かれた。楓がそこで寝るためだ。人間が腰を沈めて落ち着けるくぼみが、楓にとってちょうど体を丸めて収めるのにちょうど良かったのだろう。体の弱ったバーちゃんに対してはわきまえているのか席の要求はしないし、必要があって「ソファーから降りろ」というと決して逆らわないけれど、「そこ、かわってもらってもいい?」とじっと見上げる楓においらたちは席を譲る。じゅうたんに腰掛けたとき、目の高さに楓が来て、なでやすいのもあるんだよね。
おいらが寝ているとよくおいらが寝ている布団のところに穴を掘って(実際はおいらが足を広げるとできるくぼみ)、そこで横になっていたものだった。 生理中の楓はといえば、すごい勢いで朝飛んできては人の顔をなめまわす。 楓にとっては、おいらは強力なオス、だったのだろうね。
実家の車の助手席は、楓の特等席だった。 車に乗ると、酔うか窓から顔を出し続けるか、というほかの犬と違い、楓はずっとシートに腰をかけていた。背筋をピンと伸ばし、窓の外を見る。シートベルトつけようと思えばつけられたかもしれないね。実際、おいらが運転するときは、おいらがブレーキをふむとき、左手で楓の胸の部分を押さえ、前につんのめらないようにしたものだ。チェイサーのときは、マニュアルだったので、なかなかそれは難しいが、それでもきちっと手のひらで受け止めたものだ。
楓とは、いろんなところに行った。 まず、まだ親父が社会人だった頃に毎年のように行っていた、伊豆高原。 おいらの心のふるさとなわけだが、ここにも毎年のように行った。 途中から、出向してもとの会社の寮そのものには立ち寄れなくなったものの、それでも三回ぐらいはその寮には泊まったかな。 その後も中央区の寮にとまったり、と楓は毎年必ず一回は伊豆に行ったものだ。 今は、箱根の社員寮も伊豆の社員寮もないけれど、たまにそこを通るとよるようにしていた。やはりおいらの思い出の地だからね。今回、さらに重みが増したかな。 海も行ったけど、楓は海はだめだったな。風呂もだめだったところを見ると、泳ぐのはあまり好きじゃなかったようだが(母親の最初の風呂の入れ方がまずかった(−−;)足先がちょっとぬれる程度の水は好きだったようで、近所の小川には膝まで使ってはよろこんでいた。 岡崎とかにも行ったな。 親父の父親(父方の祖父ね)の何周忌かは、常に連れて行った。 途中、おいらが群馬で五年ほどいたときは、人数的に乗せられなかったけれどね。 墓参りにも必ずついてきたっけ。墓参りの済んだ墓地の前で、レジャーシートを広げ、おやつを食べている横で、必ず座っておいらたちがおやつをあげるのを待っていた。 おいらがいない間に、楓はおいらの親たちに、いろんなところに連れて行ってもらっていたようだ。 ばーちゃんの痴呆が始まってから、母親はどこにもいけなくなっていたが、一回だけ一泊旅行に行ったことがある。だが、そのときも犬可の宿を探したものだった。 けれどね、楓はやっぱり外泊は好きじゃなかったらしく、あまり落ち着かなかったねえ。
おいらが実家を出て一ヶ月。 正月時にゆずをつれて帰ってくる。 そのとき、楓はゆずを家族として迎えてくれた。 時は過ぎて、ゆぅが初めて実家にきた。 基本的に小さい子どもは苦手だった楓だが、おいらの子どもだとわかったのだろうか。 ゆぅの目を軽くなめる(犬にとって、最大の敬愛表現)。 けぃがきたときは、覗き込みに来て、何とかして目をなめようとしていた(ラックが邪魔で届かなかったみたいだけど)。
ばーちゃんと親父と母親が心配で群馬での生活を締め、東京に戻る。 そのとき、楓はどう思っただろうか。 近くに住んだと思ったのだろうか。 一度行ったら、おいらの新居までの道を覚えたよ。
本当に頭のいい、考える子だった。
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楓を斎場に連れて行く、最後のお別れのとき。 親父の発案で、実家の車の助手席に、楓の棺(元楓の別荘)をのせ、散歩コースをぐるりと一周。途中、仲良くしてもらった一歳年上の犬の家の前を通り、世話になった獣医の家の前をクラクションで通過。そのまま、楓の実家(親父の妹の家……楓の父親の家だった)により、一生を全うしたことを報告。そして、斎場へ。 斎場で手続きをし、楓の棺とさよなら。 最後の最後まで凛々しい表情でした。 死後一晩たつと、さすがに口元は剥製っぽくなってきちゃったけど、まだ全身の毛はなぜればやわらかかった。 首筋、尾の付け根、あご周り、と楓が生前なぜると喜んでいた箇所をなぜる。 反応は当然ない。けれど、手を止める気にはどうしてもならない。 撫ぜ足りない。触り足りない。抱き上げたい。 多分、人の目がなく、後に予定がなければ、ずっと撫ぜていたかもしれない。
参列した家族が皆、自分なりにけじめをつけ、楓の棺に背を向ける。 そのまま、新人の楓を受け入れてくれるように、先代先々代の犬の眠る塔へ詣でる。 リリ、シェリー、楓をよろしく頼むわ。 最期にもう一度楓を目に焼き付けておこう、と思ったが、楓の棺はもう霊安室に移った後だった。
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なんと表現すればいいのだろうか。 『取り返しがつかない』 『過ぎたときは戻らない』 上記の表現が適当はわからないが、楓のために何かしてやりたい気はすごくしている。 けれど、もうできない。そして、何をしていいかもわからない。 ただ、脱力している気にもならない。
とりあえず、自分の気持ちを整理するため、日記を綴っている。 それが最大の手向けになるのかな。
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追記
荼毘に付された5/21午前八時。 当直の作業中だったが、親父から電話がある。 「楓が荼毘に付される時間だ」 わかってるよ。 けれど、まさかそれだけのために電話してくるとは。 親父にとって、近しい存在の初めての喪失、なんだろうか。
さすがに、おいらは知り合いにそこまではしない。 ただ、当直中にふらっと外に出て、お寺のある空のほうを見上げただけだった。 やっぱり、死んだら上に行くのかな。 そんなことは思わなかったが、そこで下を向こうとは思わなかった。 やはり上だ。
不思議だけれど。
とりあえず、さようなら。 まあ、おいらもそのうち逝くよ。 あっちでも元気でね。
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