先日、ゆずのもと上司の家に遊びに行った。新築祝いを持って。 そこで、おいらは出産と同じくらい、一生の問題に遭遇することになる。
もともと、群馬からこちらに戻ってきたのは、実家で二世帯を建てるため。 そこで、生活をしながら、親の面倒を見つつ、生活していく。
けれど、この問題は、やはり『いずれ』という表現が頭につく範囲での考えだった。 痴呆の始まった祖母と、父母の人間関係。そして母方の姉妹を巻き込む人間関係。これ以上放置すると壊れる。 そう思い、下した結論だった。
これも、すべては頭に『いずれ』という問題が付く。 つまりは、まだ現実には起こっていない。 先延ばしをしようとすれば、先延ばしにできる問題だった。 実家のそばに越してきた上で、機会を待つ。 時期が来たら、協力して実家を二世帯用に作り直す。
傍目にみれば、すごく綺麗にまとまったように見える問題だった。 傍目にみれば。そして、現実を考える必要のない人には。
だが、家を買っていいのか。 一生の買い物だが、その払いは大丈夫なのか。 その結論が出ないので、群馬では家を建てられなかった。 いずれは、あるいは、いろんなことを頭がよぎって。 いろんな人に、家賃を払うより家を建てるほうが月々の返済は楽だよ、という話は聞いていた。 けれど。
家を建てるということは、そこに根を下ろすということ。言い換えれば、自分のこしに杭を打たれることに他ならない。 おいらはドリーマーにはなれない。 車のたった300万という買い物ですらそうだった。 好きな車に乗れる嬉しさより、返済は可能か、盗まれたらどうしよう、傷ついたらどうしよう、壊れたら修理費にどれくらいかかる、という問題のほうが常に頭をよぎっていた。 ローンが終わった今も、丁寧に乗り、買い換える気がないのもそれが原因かもしれない。 これで、すべて負わされた責務は果たした。やっと自分のものになった。
これが、家となったらどうなるのだろう。 35年ローン。 考えるだけでもぞっとする。 そして、今の仕事が続くとも限らない。 おいらの理由であれ、会社の理由であれ。 そうなったとき、家を売ればいい、という判断をあっさり下せるかどうか。
そこに加え、建てそこないという心配も生まれてきた。 ミスだと割り切って住めるならいい。 けれど、買い物額が買い物額なだけに、そうもいかない。 そして、一番の問題は、おいら自身が、『こうしたい』という希望があまりないこと。 与えられた環境に対し、順応することになれすぎてしまったせいか、自分で環境を構築しようとする気があまりないのだ。
その人間が家という大きな買い物をしたとき、ストレスでつぶれてしまうのではないかという心配。 自分が簡単に1500万だの2000万だの稼げる人間ならばいい。 しかし、そういう現状にはない。 さらに、老後の心配までし始めるともうきりがない。
ほかの人が一体どう考えているんだろう。 実は、まだ周囲の人間がそのレベルまで行っていない。 一人は転勤族。もう一人はまだ独身。 家庭もちである人間がまだあまりいないのだ。 当然、自分と同じ環境である人間がいないので相談できない。
会社の上司に、年齢が近く親と二世帯を建てた人がいる。 しかし、彼はバツ1のため、おいらたちとは経済状況が全く違う。 でなきゃ、キャバクラだのパチンコ三昧に暮らすことはできないよ。
親に相談したところで意味がない。 経済観念が違うし。 自分と同年代でない人間の話も、他社はもっと給料がいいとかそういう話ばかり。 自分と環境の近い人のモデルがどうしても必要だ。
けれど、今は当面二人目。 そこをクリアしないかぎり、考えることすらおぼつかない。 たまに、もうどうでもいいとおもうこともある。 その思いになったら考えるのをやめることにしている。 でないと、思いつめるから。
さあ、どうしようか。
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