2006年11月17日(金) 家という買い物

先日、ゆずのもと上司の家に遊びに行った。新築祝いを持って。
そこで、おいらは出産と同じくらい、一生の問題に遭遇することになる。

もともと、群馬からこちらに戻ってきたのは、実家で二世帯を建てるため。
そこで、生活をしながら、親の面倒を見つつ、生活していく。

けれど、この問題は、やはり『いずれ』という表現が頭につく範囲での考えだった。
痴呆の始まった祖母と、父母の人間関係。そして母方の姉妹を巻き込む人間関係。これ以上放置すると壊れる。
そう思い、下した結論だった。

これも、すべては頭に『いずれ』という問題が付く。
つまりは、まだ現実には起こっていない。
先延ばしをしようとすれば、先延ばしにできる問題だった。
実家のそばに越してきた上で、機会を待つ。
時期が来たら、協力して実家を二世帯用に作り直す。

傍目にみれば、すごく綺麗にまとまったように見える問題だった。
傍目にみれば。そして、現実を考える必要のない人には。

だが、家を買っていいのか。
一生の買い物だが、その払いは大丈夫なのか。
その結論が出ないので、群馬では家を建てられなかった。
いずれは、あるいは、いろんなことを頭がよぎって。
いろんな人に、家賃を払うより家を建てるほうが月々の返済は楽だよ、という話は聞いていた。
けれど。

家を建てるということは、そこに根を下ろすということ。言い換えれば、自分のこしに杭を打たれることに他ならない。
おいらはドリーマーにはなれない。
車のたった300万という買い物ですらそうだった。
好きな車に乗れる嬉しさより、返済は可能か、盗まれたらどうしよう、傷ついたらどうしよう、壊れたら修理費にどれくらいかかる、という問題のほうが常に頭をよぎっていた。
ローンが終わった今も、丁寧に乗り、買い換える気がないのもそれが原因かもしれない。
これで、すべて負わされた責務は果たした。やっと自分のものになった。

これが、家となったらどうなるのだろう。
35年ローン。
考えるだけでもぞっとする。
そして、今の仕事が続くとも限らない。
おいらの理由であれ、会社の理由であれ。
そうなったとき、家を売ればいい、という判断をあっさり下せるかどうか。

そこに加え、建てそこないという心配も生まれてきた。
ミスだと割り切って住めるならいい。
けれど、買い物額が買い物額なだけに、そうもいかない。
そして、一番の問題は、おいら自身が、『こうしたい』という希望があまりないこと。
与えられた環境に対し、順応することになれすぎてしまったせいか、自分で環境を構築しようとする気があまりないのだ。

その人間が家という大きな買い物をしたとき、ストレスでつぶれてしまうのではないかという心配。
自分が簡単に1500万だの2000万だの稼げる人間ならばいい。
しかし、そういう現状にはない。
さらに、老後の心配までし始めるともうきりがない。

ほかの人が一体どう考えているんだろう。
実は、まだ周囲の人間がそのレベルまで行っていない。
一人は転勤族。もう一人はまだ独身。
家庭もちである人間がまだあまりいないのだ。
当然、自分と同じ環境である人間がいないので相談できない。

会社の上司に、年齢が近く親と二世帯を建てた人がいる。
しかし、彼はバツ1のため、おいらたちとは経済状況が全く違う。
でなきゃ、キャバクラだのパチンコ三昧に暮らすことはできないよ。

親に相談したところで意味がない。
経済観念が違うし。
自分と同年代でない人間の話も、他社はもっと給料がいいとかそういう話ばかり。
自分と環境の近い人のモデルがどうしても必要だ。

けれど、今は当面二人目。
そこをクリアしないかぎり、考えることすらおぼつかない。
たまに、もうどうでもいいとおもうこともある。
その思いになったら考えるのをやめることにしている。
でないと、思いつめるから。

さあ、どうしようか。


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彩葉 [MAIL]

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