| 2005年11月23日(水) |
育児しないことによる不仲 |
昨日、ゆずから聴いた話。 友達が離婚しそうだという。 聞いてみると、だんなが全く育児に関知しないようだ。
うーん、確かに育児は大変だと思う。 ノイローゼになるくらいだしね。 でも、昔よりは道具もそろってるしなあ。 その一方で、昔みたいに親や近所の人たちの協力あって育てる、というわけにも行かないしね。 昔あって今なくなったもの。 今出来て昔なかったもの。 その辺をいちいちピックアップはしていないが、何かどこかで夫婦間、人間関係間にひずみを生じさせているような気がしてならない。 それは当然、会社とか、社会福祉制度とか、そういうものも影響している。 育児休暇をとらせるという方針がある一方、育児休暇を取っている間の労働はほかの人に割り振られて、ほかの人の負担が増す。 育児手当というものを出す一方でいろんなところで増税し、支給した手当てそのものを無効にしかねない。
手当てがどうの、なにがどうのっていうものを超越した、全体的な流れで見ると、大差がないのかな。
それは人の心にも影響を落とす。 開放された性に対し、こころは明らかに貧弱。 流行の最先端をいっているように見えて、実は本人の含蓄は全くない。 テレビでやっていた節約術を行うため、わざわざ新しい道具を買いに行ってる。でも、その道具で作った物だって、それ専用に作られたものではないから、意外に不便。で、便利さを求めて改めて買いなおす。愚の骨頂。 以前は学歴、今は情報通がある程度尊重される風潮はあるが、その実、情報は持っていてもその情報を分析する能力がなく、情報を持っていない昔と実は変わっていない。 物理的に豊かになり、情報のやり取りも可能になったが、そこに蔓延するのは便利さより卑屈さ。 容易に人と話せるため、意見交換ではなく、思い込みや思い付きをほかの人にさも事実のように伝える。
ジャーナリズムの言う心の貧困さは、なんとなく薄っぺらい。何しろ、その心の貧困さにつけこんで商売している感がぬぐえないからね。 けれども、その情報の処理の仕方はともかくとして、彼らのものの見方は当たらずとも遠からずな気がする。
なんか話それちゃったけど、昔は母と呼ばれる存在は概して子育てが出来た。 そりゃ出来なかった人も居るし、失敗しちゃった人もいる。で、それがいい悪いは別にして、さげすみの対象になってしまった。 たとえば、司法試験に結局受からなかったとしてもさげすみのまなざしがないのは、ほとんどの人が受からないから。逆に、いい悪いは別として、高校進学しない人間があまりいい目で見られないのは、誰もが出来ることをできないから。 そういう視点で物を見た場合、子育てって如何に苦労すれど、できるものなんだろうな、って言う判断をせざるを得ない。 そりゃもちろん、すごく大変で、発狂しかねない状況だってあるだろう。 今、ここで子育ての話がトラブルとなって出てくるのって、昔からなのかな。 昔からのものが水面下から水上に姿を現しただけ? おそらく後者だと思うのだが(ここでも実は情報伝達機器の発達による情報交換が盛んな結果、話だけが外に流れている状態だと思う)すごくふしぎ。 それは、夜の性生活が意外にオープンに話されるようになっていることにもつながるのかもしれない。 そして、それは本題である子育てにも。 友達の子はもう歩いた。もう歯が生えてきた。うちのはまだ。 そういう情報の伝達も早い。 まあ、情報の伝達の容易さはよしあしだが。 ただ、いずれにせよ、いろんな者に対して頭でっかちになっていることは否めない。
世の中のお母さん。子育て、ま、なんとかなるって。 みんなやってきていることってことは、一応曲がりなりにもだれでもできるってこと。それは、いい教育をつけるとか、そういうことではなくて。うちの子はよそとは違うって言う淡い誤解もいいけれど、その結果が肛門性格になるかもしれないってことを考えると、意外とアバウトでいいんじゃないかな。 親を頼ってもいい。友達を頼ってもいい。だんなをこき使っても(爆)いい。 目的は人間ではない赤ん坊を人間のそこそこにすること。方法はなんでもいい。その方法を選択することだって親からすれば大変なこと。 まあ、そこそこに育てればいいじゃない? 目的ではなく、手段を自慢する親が居るけど、それは大間違い。 いい大学を出した。いい教育をつけた。いい衣服を与えた。 それはあくまで親の都合。それらの物を与えたって、引きこもりで変質者になっちゃう場合だってある。 目的は、さっきも書いたことだけど、そこそこの人間にすればいい。なら、そんな気張らずにそこそこにやれば。 子どもに見返りを求めてはいけない。
昨日、ゆずっこがオムツかぶれになった。 痛がるらしいけど、おいらはぬるま湯につけて、お風呂に入れちゃった。 実際にはニコニコしてたけどね。 確かに気にかけることは必要だけど、過敏になっちゃいけないようなきがする。 説明は必要だけど、説明なしの困難回避は子どもにとってよくない気がする。 ま、ほどほどに。てきとーに。
人間、自分が持っているほどすごくない。けれど、自分が思っているほどひどくもない(^^;
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