最近、自分自身がわからない。 いろいろな仮面を付け替えている自分がいる。
会社の(物悲しくつらい立場の)中間管理職の仮面。 夫の仮面。 父の仮面(これはほとんどかけていないに等しいけどさ) なん家の(一応)主としての仮面(近所付き合い用) なん本家の長男の仮面
おいらって何者なんだろう。 いや、おいらはおいらだ。 呼ばれ方、見られ方、扱われ方はいろいろだが、それは持っている役割が違うだけ。おいらを呼ぶ人がおいらに対して求める要望が具現化した名前に過ぎない。呼び名があるだけ、仮面の数も多い。
運行管理者。 事務長(そんなもんじゃねー) 副所長(一部が勝手に呼んでるだけ) パパ(フィリピンのおねーちゃんにも呼ばれたことあります。誰やあんた) 息子 倅 亭主 夫
けれど、モチベーションが下がるとき、自分が持っている役割は、重く硬い仮面となり顔に覆いかぶさり呼吸困難に陥らせる。 その仮面が払いのけら得なかった者は、そのまま窒息し、あるいは脳に血がいかなくなり、おかしくなったりする。
たまには人間も仮面をはずすことが必要だ。 けれど、ある程度生きてくれば来るほど、仮面のはずし方がわからなくなっている。 おいらも、仮面に侵され、自分というのがなんだかわからなくなるときがある。 素顔って? 素顔を求めて浮気をする人もいるし、素顔を求めて趣味に走る人もいる。 おいらにとって、素顔を探す方法は、今のところない。 けれど、そこでぐっと踏みとどまる。 『仮面』という、自分に害なす対象として、自分の役割を捕らえるから重くなる。仮面ではなく、縁日のお面と捉えればどうだろう。 縁日のお面は、ほとんど子どもの顔を覆うことなく、頭の後ろのほうにへばりついている。 自分のいろんな役割を、隅のほうに寄せてみてはどうだろう。 ほんの少し楽になるかもしれない。
なーんてえらそうなことかいてみましたが、ねみーんだよ!!(−−;
|