| 2005年04月03日(日) |
曾ばあちゃんVSひ孫 |
本日、実家にゆずっこを連れて行ってきました。 初めておいらのばあちゃんと、ゆずっこの対面です。 お互いがお互いであるので、ひ孫と曾ばあちゃんです。 なんか、感慨深かったのはおいらだけだろうか。 半分ぼけていたバーちゃんだったが、おいらの子だということはわかったらしい。 すこしげんきになったろか。 少し生きたい気概が沸いたろか。
あんたの存在が、ばーちゃん(ゆずっこにしてみればひいばあちゃん)を元気にするのだよ。 ひょっとしたらね。
けれど、おいらは曾ばあちゃんを知らない。 若くしてなくなったせいもあるそうだが。
おいらに子が生まれたということは、父親や母親はじいちゃんばあちゃんになること。 そして、ひいがつく存在になったばあちゃんには、確実に死が迫る。
一時期、ばあちゃんが脳梗塞で倒れたときには、意識が戻らないようなら治療を停止してほしいという話をする予定もあったという。 尊厳死。 安楽死。
聞こえはいいが、所詮は他人の都合。 本人に決めさせてやりたい。 そして、本人が決めることだが、周囲に納得する時間はほしい。 権利と義務の主張。 それ以前の、人と人との関係がそこにある。
誰もが納得できる状況を。 能書きはいい。権利や義務もどうでもいい。 すべての人が納得できる方法を。 そう思わずにはおれない。 ばーちゃんは、ゆずっこが立ち上がるところを見られるか。 ゆずっこはばーちゃんを「ひいばあば」と呼べるか。 しかし、その時間稼ぎは確実に母親を蝕む。 妥協。譲歩。 それは表現を変えれば諦め。開き直り。
何がいいかわからないまま、時は進む。 結論は出ようが出まいがその時はいずれ来る。
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