1ヶ月、と口にするのは簡単だが。
暦の上の1ヶ月と、曜日を重視した1ヶ月(4週間)では感覚が違うのだと昨日気付いた。 日付ではなく感覚重視の1ヶ月後に当たる昨日、買ったまま持ち帰ってパソデスクの上に放置していたコーラを飲んだ。 温いまま。 ・・・すいません、冷たいもの飲めないんで・・・。
タイムリーというか何というか、会報を読ませてもらったんですけども、何も感じない方がむしろいい、あの空間における究極は社会主義(笑)だとも思うので、だからこそあの時間は覚えていなければならないのだと思った。
いつか死ぬのにどうして生きなきゃならないんだ、と思ってた。
考えても分からなかった。 答えなんか見つからないと思ってた。 真っ黒なまんま、血反吐でも吐いて死ぬんだと思ってた。 それでいいんだと、思ってた。
答えを見つけてしまった。
探してたわけでもなかったのに。 少なくとも、見つけようなんてつもりはなかったのに。
教えてもらうことと気付くことは雲泥の差で、それは言って分かることじゃない。 気付いてもらうしかない。 他人が手ほどきできることじゃない。
だから私は何も言わない。
そして終わりが来るのなら、それでいいと思ってる。
死ぬ理由がなくなったから、生きるしかなくなった。 それは今の私にとって、どう考えても死ぬより苦しいんだけど(苦笑)仕方がない。
自分で決めたから。
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