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海老日記
管理人(紅鴉)
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2005年06月15日(水)
『暗夜行路』

 
 昨日の夜、佐々木女史が電話してきた。
「物部くん、起きとる?」
「起きてますよ、っていうかどうしてかけてきたくせにそんな眠そうな声なんですか?」
 いつものように私の問いかけは無視されて、佐々木女史の言葉は続く。
「あのさあ、飲まん?」
「飲みません」
「えー、そんなこと言わずにさー、飲もうや」
 この人寝ぼけているのだろうか。すこし確かめる。
「あの、佐々木女史? 今日が平日なの知ってますか? ちなみに明日も平日なのは知ってますか?」
「私あした昼から授業やけん平気やって」
「あなた私があした一時限目(八時五十分)からあるの知ってますか?」
「物部くんなら大丈夫やって。飲もうや」
 この大阪人め。
 そんなわけで、昨日の晩は飲み会に参加することとなった。


 話を聞くと、私の親友である『ゆう』さんと藍花(あいばな)も来るという。みんな元気だな、と思いながらもなんだかんだ言ってそういう誘いを断れない自分に嫌悪感を持ちながら、私は玄関を開けた。
「ぎゃーす」
 開いたドアが、入り口の前にいた何かを突き飛ばした。
 人か?
 慌てて確認すると、そこには太った猫が一匹鎮座していた。
 『ぐし』だ。

 いつも私外出するときには塀の上から監視している。奇妙な猫。
 この頃、猫でいい思いをしていない私には、あまり会いたい相手ではない。
 しばらくは、猫に構いたくない。
 しかしそんなときに限って、奴らは私の方に近付いてくる。

 のっしのっしぎゃーすぎゃーすと、ぐしが私の足元によってくる。ちょうど足の間に入り、足首辺りに首を擦り寄らせてくる。
 こいつは、何をしたいのだ? 
 私は少し考えて、結論にいたる。
 私の右手。手提げ袋。
 飲み会に持参するために準備した。あんぱんと鳥のから揚げ。

 貴様、これが狙いか。









 道中であんぱんを奪われながらも私は佐々木女史の家にたどり着く。野郎、なかなかにいいところに住んでいる。
 中ではすでに始まっており、アルコールはまだ入っていないがいくらか空になった皿がある。大阪人の佐々木女史がたこやきを作ったり普通に料理のうまいゆうさんが肉を焼いてくれた。藍花はバイトでまだ来ていないらしい。来なくていいのに、とぼやくと佐々木女史にたしなめられた。
 基本的に私の周りでは飲み会といえば宅飲み、自宅で飲むが多い。その方がやすくつくという理由で。
 しかし集めた予算でありったけの酒を買ってきてしかもそれを一晩かけて全部空けるというのも若さのなせる技だ。


 十二時を回り、日付が変わり、つまり今日になったのを確認して私は帰ることにした。
「ゆうさん、じゃあ私帰りますね」
「えー、まだこいつ潰してないじゃん」
 佐々木女史は、飲んでる最中に寝てしまった。……これ、潰れてるんじゃないのですか?
「『潰れて』るだけだろ? 『潰す』んだよ」
 俺ぁ明日も授業あんだよ。
 そんなことを言っているとちょうど藍花も着た。彼女は事情を聞くと
「あなたが帰ったらゆうくんは一人で片付けをしなくちゃいけないよ?」
 貴様、手伝わない気なのか?
 とか言っている隙に缶チューハイを手にする女は放っておいて私は頬を膨らませるゆうさんに別れを告げる。
「では、また明日……っていうか、今日」
 時刻は、零時十二分。
 戸を閉めて、ほっと一息。
 私は家路へとついた。




 が、やはり私も酔っていたのだろう。問題が起きた。
 何しろ私の住む南国市。広い上に家の密度が圧倒的に低い、典型的な田舎町なのだ。二ヶ月しか住んでおらず、しかも人よりも物覚えの悪い私は学校へ行く道と駅へ行く道しか知らない。つまりいつもと違う道を通ろうにも、違う道など知らないのだ。
 さらに、道沿いに電灯なんて文化は存在せず、私の自転車はライトが壊れている。

 つまり、まあ。迷子になったのだ。
 あせった。気がついたら周りが田んぼだらけで、知らない道の上だった。
 ここはどこ?
 灯りが少しもなく、月も隠れていたために、足元以外ははっきり見られない。
 いや、ほんとにここどこ?
 
 ……おかしい、どこで間違えた? っていうかどの道に入った?
 こんなとこきた覚えはない。いや、まずどこまで知っている道だった?
 ……。

 まずい、ここまできた記憶がない。


 アラート(危険) アラート(危険) アラート(危険)

 まずい、涙が出そう。
 ちょっと心細いぞ?!
 ……野宿には慣れていたが、明日は早いしなあ。と考えていた時だった。
「ぎゃーす」
 びくつく。
 何の声だ? ……いや、一匹しかいない。

 なぜか、ぐしがいた。
 いや、相手は猫なんだからどこにいてもおかしくはない。行動範囲広いな、と猫の顔を見ようとするが暗くて見えない。
 光が、足りない。
 ただぐしの瞳孔の開いた目だけが見えていた。
「何してるんですかこんなところで」
 普段の口癖か、猫にも敬語になってしまう。
 もちろん、猫は言葉を返してくれるはずは無いが、知っている顔に出会えたのはなんとなく心強い。
 おし、ちょっと希望が湧いて着たぞ。
 ぐしがここにいるということは、結構近いのかもしれない。
 今、私の目の前に広がる二つの分かれ道。
 左の方が道幅は大きいが方角的に右のはずなので、私は勘に任せて再び自転車を漕ごうとして……。
 見た。

 ぐしの横に、何かいる。
 なんだ?
 ぐしよりも小さくて、ぐしと同じ形のもの。

 ……子猫か?
 もしかして、ぐしさん妻帯者ですか?
 何故ぐしが私生活を現さないのか少し勘付き、私は笑いそうになる。
 すごい、子育てのためにあんぱんを狙っていたのかこの方は。
 するとそんな私の感情の動きにどう思ったのか、ぐしは子猫を連れて分かれ道の左へとゆく。暗夜の中に、その小さな体二つが、消えてゆく。
 少しだけ目が慣れた私は闇の先を見据えた。
 ぐしと……子猫。
 あれは……誰かいる?
 でも、眠いからさっさとペダルを漕ぐ。





 やっとこさ、見覚えのある道に戻ってきた。なんだかわからないけれど、安堵する。多分遭難した人ってこういう気持ちを覚えるのだろう。私は感慨にふけりながら、学校正門前まで着た。

 着て、なにかおかしいことを思い出す。
 酔った頭で、思考速度が落ちていたために気付けなかったそのことに、その瞬間、思い出す。
 私は、ぐしの横にいた、小さな子猫の顔を思い出す。

 なんだろう、あの不細工な顔は。と思った。
 皮膚病にでもかかっているのだろうか。と思った。
 どこかで見たことのある猫だな。と思った。
 随分小さな猫だな。と思った。

 誰かと、いっしょにその猫をみたことがあった。
 佐々木女史だ。
 けど、なぜ佐々木女史と?
 

 彼女はその時なにをしていた?


 そうだ、目やにを取っていた。
……何の?



















 違うはずだ。
 先週、その猫を、埋めたはずだから。
 似ているだけなのだ。


 振り返る。暗夜の向こう。もう、そこには何もいない。



 メールが着た。
 佐々木女史からだった。
『ごめんやー。帰ったの知らんかったわ。今日は来てくれてありがとうね』

 返信は、一眠りしてからしよう。


 私は夜に向かって進みだした。