独り言
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2007年08月07日(火) |
芸術と哲学とババァの陰口 |
一枚の絵画
キャンバス一面を淡いオレンジで塗りたくっただけの一枚の絵画
タイトルは
「幸福」
一人の老婆が言う
「あらこの絵は飛び切り素晴らしいわ。 まるであの人と最後に見た夕焼けの様。 『幸福』とは良く行ったものね。」
その老婆に手を引かれた幼い少年は言う
「この絵は飛び切り素晴らしいねぇ。 まるでオレンジジュースみたいだぁ。 こんな沢山のオレンジジュース飲んだらお腹がポチョンってなっちゃうよー。 …でもいつかは飲んでみたいなぁ。 『幸福』とは良く行ったもんだね。」
そこにたまたま居合わせた死神は言う
「この絵は飛び切り素晴らしいじゃねぇか。 熟れ切った内臓を連想させるぜ。 超美味いんだよなぁ…熟れ切った内臓。 『幸福』とは良く行ったもんだぜ。」
作者は語る
「あの『幸福』と題された絵。 あの絵…実は書き始めた当初は全然違うコンセプトの作品だったんです。 とても写実的な…つまらないもの。 だから、あのオレンジ色の下には全く関係ない絵の下書きがしてあるんですよ。 でも製作の途中で訳がわからなくなって。 絵を書く意味や書いた絵を披露する意義や。 そしたらもうなんだが全部どうでも良くなってしまって。 それで、全てを塗り潰してしまえって思ったんです。 パレットに一番好きな色を作って、メチャクチャにぬってやろうって。 …いや、楽しかったですね。 幼い頃に繰り返されていた『創作とは認識されがたい創作』に再び触れた様な解放感を味わいました。 その経験は正に私にとってこの上ない『幸福』でありその『幸福』は作品たる価値があると信じたんです。」
芸術とは確固たるものを確固たる形でAからBへと流通されるべきものでは無い
Aの提示したαは絶対ではなく、Bはそれに対して決して影響を受けるべきではない すなわちBは己の感性にのみ従いそれをπと認識する事も可能であるべきでなければいけない
AはAが提示した芸術作品がαである事を公言する事を極力避けるべきである それはBがAの提示したαをπであると認識する可能性を奪う行為であり、その行為は芸術に対する背徳であり冒涜でありクソでありババァの陰口であり靴下のワンポイント刺繍であり痛む親不知であり休日の雑踏であり、すなわちそれは蛇足であると考えられる
と考えられる
哲学とは暇人の酔狂に過ぎぬ
と考えられる
まともな人間なら生活の中で当然気付く当たり前の事を、学問たる様にそれらしい難解な語彙の羅列によって表現しているだけで、その中身は渋谷系ギャルの股上より浅い
と考えられる
なんちゃて
ねー
ナハナハ
それはそうと、東京MXで『ぼくらの』アニメVer.やってんでぇ
面白いかどうかはさておき (б_б)ゞシャキーン
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