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2004年04月28日(水) どうやって死にたい?死にたくない?

同じこと書いちゃうかも知れません。

いつも、病気のために死を意識している人たちと
お話させていただくと、やはり色々思ってしまう。

自分はどうやって死にたいのかなーーーーって。

さすがにです、いい大人の年になりますと
「死ぬことなんて想像できなーい」
「お祖母さんになる前に死ぬのー」なんてアホみたいなことは
考えなくなります。
(えへ、あなた、考えてる人?それはそれでいいと思います。)

痛いのは嫌だな、苦しいのは嫌だな、それだけです。
正直、ワタクシ今夜眠った間に、我知らず死んでても
それはそれで不満がありません。

痛みや苦しみがあればね。

今日、職場で何人もの同僚たちと話をしていて思った。
ああ、いいんだな、自分は今すごく満足だな、と。

あと、明日から訪問させていただくあの方に、
病気で心が苦しんでいるその方には、開口一番何て言おうか、
そんなことを考えていた。
「○○さん、会いたかったーーーーー!」
と抱きしめるのはやり過ぎ・・・・かも。
奥さんにあらぬ誤解を受けて
「あの訪問看護師明日から来させないでください!」と
怒られてしまうだろう。

でも。ワタクシはあなたとまた会えて嬉しいってことを
どうにかして伝えたい。「何で」って聞かれたら、
「あなたの顔が好き、そう話す姿が好き、
あなたの話すことが好き」と言うことを答える。

言えるか?そんなことが?他人を訪問していて?

HAHAHAHAHA!言えるんですよ、ちゃんと言葉を選べば。
だって、ワタクシたち、そういう仕事のプロですもの。
相手の存在を認めて、死に行く人じゃなくて、今目の前にいる
その人と「今」が楽しいね、穏やかだね、素敵だね、という
ことを分かち合う。

そういうプロでござんすよ。ワタクシたち。

ただね、ターミナルに向かう人への援助でやっちゃいけないことがある。
いけない、と淀川キリスト教病院のマニュアルに書いているわけではない。
日野原先生が言ってるわけでもない。
似たようなことは書かれてるかも知れないけど、
それは、あくまでワタクシが考えているワタクシローカルルールです。

それはね、

家族の役割をとっちゃあいけない。

その人の疾患のことは良く分かっている。
最適な介護方法も、ひょっとすると家族より分かってる場合もある。
予後も、一定のパターン内限定だけでも、ある程度その人の
心持ちや揺れ動く範囲もわずかばかり分かってる。
そこで、相手に訪問の度にすがられたり、
「あなたを必要としている」というサインを送られたりすると、
たちまち援助者は舞い上がるわけです。

「こんな人生の局面で、わたしを頼りにしてくれてるなんて」
「こういう場面であなたと出会えたのはきっと運命よ」
「あーっ、この人を救ってあげられるのは私しかいない!!!!」

・・・だめですよ。これ。ナースに愛情乞食が多いと
言われるゆえんです。ナースとして必要とされていることを、
「私人であるわたし個人」が求められてるーーーっ、と
まるで愛を告白されたかのように錯覚してしまうわけです。
その挙句に、看取るまでは親身になれる大きな動機になるので
まあ家族にも喜ばれますが、さて、亡くなって、お葬式。
これ、行ってご覧なさい。

いかに看護者が愛着を持ってかかわらせていただこうが、
所詮自分は部外者で、他人であることを残酷なまでに
思い知らされます。余裕のあるご家族は、ワタクシたちにも
優しい言葉をかけてくれます。ケアされるんですよ、
ワタクシたちの方が(笑)。

これらを全否定すると、またそれはスピリチュアルケアの原則から
遠く離れていってしまうようなので、一応、今の看護的には
推奨されているかかわり方なのかも知れません。

でもワタクシはダメだと思うな。
ダメダメ。そ・れ・は・家・族・の・仕・事・で・し・ょ。

そういうことでした。








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