2002年09月28日(土) |
看護って「愛」か、「信頼」か ・・・ ? |
さて、 学生実習が始まる。
今回は基礎看護3年間の過程の学生、いわゆる「看護学生」が来る。 ワタクシは教職ではなく一応現場の人間なので、現場で実習指導を するだけなのですが。
いつもうーん、と悩むことがある。 学生が訪問看護の現場で家族同士の様子を見て、
「きゃれるさん、やっぱり『愛情』なんだと思いました!」 「『親子の愛情』から介護するのと『義務』から介護するのでは やっぱ違いますよね!」 と言われることなのです。
他に、サービス従事者と、受ける本人・家族側の関係を見ていて、
「『信頼関係』があるから訪問看護師にまかせてくれると思いました!」 と言われたりすると、どう自分は発言するべきか、毎度毎度悩んでしまう。
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だってさ、、「愛」「信頼」で片付けられると、 看護って身も蓋もないじゃないですか!!!!!!!!!!!!!
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とりあえず「看護学」的な言葉をそれらしく使い、現場にいる自分と しては、それはこれこれこういう状況であり関係である、と解釈して かかわっている、と説明をする。ああ、と言って再度考える姿勢になる 学生と、すごくいいことを自分は言ったはずなのに、何故わたしから 違うことを言われたのか、納得が行かないという反応を見せる学生もいる。
そのような学生の短絡ぶりには、別に看護の将来など背負っていない このワタクシでも何だか不安を覚えてしまう。
それまでの実習経験から、教科書にも書いていない「愛」や「信頼」と いう、あまりにも大きく、看護では捉えていない概念まで、 何かしらインスタントに結論を出すよう習慣つけられてしまっているのだ。 看護教育の問題でしょう。
看護の中でも、知識として数値的に覚える部分や、とりあえずの結論として すでに一応は言語化されているような質的部分、 そんなものは教科書を読めばいい。わざわざ専門学校や大学へ行き、 人から教わる必要なんて無い。
自分が言った「愛」とは何なのか、別の言葉で他者に説明するとすれば 何と呼ぶべきなのか、「信頼」とは一体どういうことなのか、それを 学者の言葉ではなく、それぞれ異なる体験をして異なるココロで受け止めた 学生自身の言葉で言おうとして見ること。 その力を養うこと。
それが、今、事例を記述してみることで、再度、看護とは人の生活や 人生の質を高める仕事であることの確認作業を始めようとしている 今から次の看護「学」への礎であり、看護「教育」では ・・・・ないのじゃないかねええ。
人の言葉を聴き、態度を訊き、いっぱい語れ。 語りすぎると日本の現場では叩かれるけど。
無口なワタクシでした。
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