けんたのプロレス&演芸論
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2003年11月07日(金) 第11回 「エンタの神様」の罪

 前回はM−1の「功罪」を書いたが、今回は違う。「エンタの神様」の「罪」だけを書く。理由は簡単。「功」がないからだ。

 芸人は芸をするものである。まあ、TVに出ているほとんどの芸人は、「バラエティータレント」としての一面を持っていて、そちらの面を出す番組の方が圧倒的に多いのは確かだ。しかしそれをもって「あいつは芸をしない」というのはおかしな話であるし、芸人としての評価とバラエティータレントとしての評価は別物であることもわすれてはならない。例えば、これはあくまで個人的な評価だが、ナインティナインの二人は芸人として3流、バラエティタレントとして1流。綾小路きみまろはその真反対。
 話がそれた。「エンタの神様」は「芸人が芸をする番組」になってきている。これは僕にいわせれば「バラエティー番組」ではない。純粋な「演芸番組」である。実際、司会者やゲストと芸人が絡まない。ステージ・エンタテイメントである。それなのに、番組のつくりがかなり「バラエティーチック」になっている。字幕の多用、しかも説明のカッコ書きつきの字幕。これは芸を台無しにする。さらに前振りがくどい。カットが多い。特定の芸人の多用が目立つ。持ち時間が短い。これらは全て、芸人を食いつぶす要素でしかない。作りこみをしっかりすべきコント系の芸人にとって、今のペースでネタを出し続けることは、自分の芸人寿命を縮めることに直結する。それでも彼らは続けるだろう。ここで売れれば「バラエティタレント」としての道が開けるだろうから。芸人、よりも楽で儲かる商売だから。ドランクドラゴンは案の定、バラエティ番組への露出を始めた。彼らがTVでコントをしなくなる日も近いだろう。個人的にはあのコントを見ずにすむのはありがたくはあるのだが、インパルスが、長井秀和(この人は大丈夫か)が、陣内智則がそうなってもらっては困るのだ。
 「エンタの神様」は、TVという媒体には利があるかもしれないが、演芸界にとってはかなり厄介な存在かもしれない。演芸を支える若い才能を、早い段階で摘み取っていくのだから。とはいえこのブーム下では、この番組もそれなりに続いていくのだろう。ならばせめて、この番組に「消費」されずにしぶとく芸人として生き続けられる、そんなたくましい芸人の出現を望む。

 少なくとも長井秀和は、普通のバラエティに馴染むことはありえない、間違いないっ。


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