まゆ日記
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2003年05月26日(月) 年齢バレバレ

打ち合わせしつつ仕事を進め、集計しようかと思った矢先ぐらぐらっ。
このあたりでは結構珍しいくらいの大きさのゆれの地震であった。

震度4くらいかな。
災害にとんと縁のない土地柄なので、ローカルニュースでもFMでも、結構アナウンサー本人がうろたえていたりして。

中学生の頃、帰宅して制服を着替えている最中に家中がぐらぐら。当時古い借家住まいだったので母が泣き叫ぶように外に出なさいと言っていた。
茶碗や植木鉢が落ちた。いい加減な土台でつくったブロック塀が倒れて何人かの人が亡くなった。ガス・水道・電気が止まって、当時銀行員だった父が、一度帰宅してから勤務先へとんぼがえり。電気でロックされるはずの金庫が開けっ放し状態なのであと数人の若い社員と金庫の寝ずの番をしにいくとのこと。
いつもなら夕方ネオンサインや夜景が見えてくるはずなのにぼーーっと薄暗い街へ出かける父を見送るときにものすごい心細さを感じた。
水はいまのように売っていなかったしコンビニなんてのもなくて、近所の店はほとんど売り切れ。給水車が来るまでご飯は炊けなかった。それよりガスがなかったのでプロパンボンベを買ったり。
なにより兄ちゃんのとても大事にしていたハーレ・ダビッドソンのプラモデルが床に落ちて全壊…(このあと兄ちゃんはプラモデルを作れなくなるというトラウマにおちいる)。
これが宮城県沖地震だった。

そういえば今日「日本海中部地震から今日で20年目になります」と、ニュースでやっていた。
学校サボって喫茶店でお茶してたら、軽くテーブルの上の水の入ったコップとコーヒーがゆれるので何だと思ったらかかっていたラジオから震度1の微震とかいう放送があって、続報を聞いたら秋田が震源地とかいってる。
秋田には当時両親が住んでいた。青くなって電話してみると「ツーツーツー」
災害時に一時的に電話がつながりにくくなることは知らなかったのである。
で、たまたま母が秋田から私たちの家に来ていた。いつものようにひょっこりである。母も、私たちの家についてから近所の家に遊びに行ってて地震のことなんか全く知らなかった。
海辺に遠足に来た小学生だったか幼稚園児だったか…津波で大勢の子供たちが一瞬のうちに亡くなったそうである。
あとで、父曰く。家に帰るとプロパンガスのボンベが倒れていて、シューシューと本当ならガスが噴出しなにかの火が引火して大爆発するかって状態だったのに元栓のバルブはしまっていたとのこと。通りがかりの人が親切にも閉めていってくれたのかなあということだった。

今日の地震でいっきに思い出してしまったぜ。


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番目に読んでいただき多謝 いい加減なカウンタです^^;