.第7話:「やさしいキスをして」 (Side:Toko)

「牧島、こないだのクライアント、山田の代理で行ってくれないかな」

 美和子たちと会って数週間後。
 だいぶ先だと思っていたのに、義兄の上京日をその週に控えた月曜日、出社すると同時に上司から指示があった。
 
 この間のクライアント=亨の会社。
 先輩の代理で通訳した商談は大成功に終わった、と後で亨から聞いた。
 ずっとあの会社を担当していた山田先輩は、当初の予定を前倒しして産休に入った。

 あの会社を担当することに、すごくやりがいを感じていた先輩。
 だからこそ、予定より早く産休に入らなければならないと決まった時に、だいぶ悔しそうにしていたなあ。
 ずっと欲しくて、やっと授かった子供は無事産みたいけれど、それよりも、独身時代からずっと続けてきたやりがいのある仕事を途中で放棄しないといけない悔しさ…引継ぎをする先輩は口にこそ出さないけれど、そう思ってるのはひしひしと伝わってきて。

 だからこそ、先輩が自分の力で作りあげた先方の信頼を裏切るようなまねはできない、と気合が入る。
 
 先方に行くのは金曜日。
 その日は、義兄が出張先での仕事を終えて、その後夕食でも…と言うことで話がまとまっていた。

 前日の夜。
 「明日の商談の通訳、瞳子がくるの?」
準備を進めていたところに亨からの電話。

「そうよ。明日も亨の部署が担当なの??」
「いや、今回は違うんだけど…仕事終わったら、一度会社に戻るの?…もし直帰なら、夕食でもどう??」

 その話にあれ?と首をかしげた。義兄が声をかけたのはあたしだけなのか?
 打ち合わせをした時に、亨も誘えば??と話を降ったら曖昧な態度をしつつも、連絡先を教えてくれと言うから教えたのに。

「あ…ごめん、直帰なんだけど、夕方用事があるんだよね」 

 そんな返事をしながら…そうか、亨こないのか…二人きりで会うのかな…そんな想いが頭をよぎる。
 義兄に会えるのは嬉しいけれど、あのことがあった今、二人きりで会うのも正直ためらわれた。

 …いかんいかん、余計な事を考えちゃダメだ。とにかく、明日の仕事をちゃんとこなさなきゃ…
 頭に沸いて来る邪念を振り払うように、あたしは明日の準備に没頭したのだった。



 翌日。

「牧島さん!通訳ありがとうございました!!
山田さんがしばらく来れないって聞いてどうなることかと思いましたけど、
あなたのような方にピンチヒッターを努めてもらって良かったですよ。
今回の商談も、うまくまとまりそうです」

 亨の会社での仕事を無事に終え、担当の方からそう声をかけてもらってあたしはほっとした。
 これで、余計な事を考えずに今夜義兄に会える…真っ先にその考えが浮かんで思わず苦笑する。やっぱり、どうしようどうしようと思いつつも、あの人に会えるのを期待してるんだな、と。

 会社に今日の業務報告をして、上司からも改めて直帰のお達しをもらえたので、夕方まではゆっくりできるな…そんなことを思いながら、一旦着替えに帰ろうと、最寄の駅へ向かおうとした、その時だった。


 「あの…この前亨と一緒にいた方ですよね…」

 そう声をかけられ振り向くと。
 あの日、遊園地で会った亨の彼女、がそこに立っていた。

 彼女はあの時以上に敵意丸出しのまなざしを向けている。あー…なんでこんな時に…内心舌打ちしながらも、
「あ、こないだはごめんなさいね」
と、作り笑顔を向けつつ彼女と向き会う。

 「あなた、亨のなんなんですか??…亨の話に時々出てくる、『瞳子』ってあなたですよね??」
彼女はニコりともせずに言う。

 「永井くんから聞いてませんか?私、彼と同郷で…」
ただの幼馴染ですよ、と言い切らないうちに、彼女があたしに詰め寄ってくる。

 「最近、亨の口から出てくるのはあなたのことばっかりで!
あたしがいるのに!あなたが現れてから亨、冷たくなったし!!
本当はあたしに隠れて、こそこそつきあってるんじゃないですか!?」

だめだ…この子完全に冷静さをなくしてる。
仮にもオフィス内でする話じゃないことぐらい、普通はわかりそうなものなのに。すれ違う社内の人たちがちらちらこっちを見て行っても、彼女は一向に気にするそぶりもない。
それだけ、頭に血が上っているんだろう。

 とにかく、彼女のためにもここで話をするべきじゃない。
「あたしと亨はそんな関係じゃない。ねえ、落ち着いて。ここじゃまずいから別のところで話しましょ」

そういって、目立たぬところに移動しようと、彼女の腕をつかんだその瞬間

「何よ、離して!!」

振り下ろされる彼女の手のひら。
よける間もなく頬を叩かれ、その勢いで思いっきりよろける。

あ、まずい…
そう思った瞬間、あたしの身体は階段を転がり落ちていく。

身体が痛い…頭も、どこか打ったかな…なんでおなかも痛いんだろう…それよりも早く起きなきゃ…あの人が待ってる…。

そう思いつつも、もはや自分の力で起き上がることすらできなくなって、

誰か階段から落ちた!救急車を呼べ!だのとあたりが急に騒がしくなり。

自分の周りにかけよるたくさんの足音、誰かがあげた悲鳴、遠くから聞こえてくるサイレン、そして…

「瞳子!瞳子しっかりしろ!!」

最後に聞こえたのは、亨の声。

そこで完全に、あたしは意識を失った。

2012年08月05日(日)


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