The color of empty sky
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なんでエンピツなくならないんだろう。たまに思い出して帰ってきてしまう。
毎日退屈な日々を過ごしている。 朝起きて弁当を作り、昼間は派遣社員としてたらたら腰掛け仕事をやって、帰宅して夫のご飯を作りながらどこか遠くに行きたいと考えるばかり。 いつになっても足は地に着かず、かといって走りだす元気はもう残っていないようで。
今の私をもうあなたには見せたくないよ。 怒ることも歯向かうことも忘れてしまった疲れきった老人のような私の姿。
今月で実家がなくなる。 先日の雪混じりの日にすぐ近くまで車で行ったけど、結局は寄らずに帰ってきた。 一目見て写真にでも収めようかと考え、しかしそれも面倒になってしまった。 記憶の中で美しく留めておいたまま、奥の方に仕舞ってしまおう。そうしよう。 親も老い自分も老いた。 何もかも静かに終わってしまえば楽なのに。
夏に再び妊娠したものの異常が見つかり手術を受けた。 妊娠中も特に症状がなく、お腹に赤ちゃんがいる気がしなくてほとんど諦めていた。 けれど術後、摘出した塩辛のようなものを先生に見せて貰った時に初めて涙が出てしまった。 私のような人間が子供を産んでも、私の親のように子供を愛さないで育ててしまうのかもしれない。 だから赤ちゃんは帰ってしまったのかもしれない。
もう少ししたら手術を受ける。「子供を授かるための前向きな治療」として。 一縷の光を信じて頑張れたらいいのに、まるで諦めるための理由を探しているように足元ばかりを見ているよ。
孤独を手放して何を手に入れたんだろう
当面別居生活をすることにした。 一緒にいてもお互い疲れて思いやりを持てないままなら、別に同じ家に暮らす必要なないのではないかと。 (家事の分量が増え自分の時間がなくなる、ということに対して不満を持ってはいけないのだろうか。結局その積もり積もる不満が「無償の愛」という信仰をぐらつかせるというのに)
一人で生きて好きな仕事をして休日は好きな事を出来るという暮らしの幸せを味わいつつも、やっぱり虚しい日々なのだと思う。 もしも赤ちゃんが生きていたら、今、楽しいかと考えてみるが・・・ そういうのはやっぱりやめよう。
趣味にのめり込むのは現実逃避なのだろうか。 では趣味は現実ではないのか?たまに夢みたいに美しいカタルシスの時が訪れるけれど、これはこれで私の現実だと思う。 しかし、何をしていても、斜め上から冷ややかに傍観する本当の自分がいて、苦しい時はその痛みを忘れさせてくれる代わりに、嬉しい時の喜びも持って行ってしまう。
辛くもなく楽しくもなく、さて何を頑張ればいいのだろう。
遅くまで残業して仕事を仕上げても、ボーイフレンドと遊びに行って笑い転げても、やっぱり虚しさは埋まらない。
短い間でも、普通の人並みにお母さんになれてとても嬉しかった。 あんなふうに、腹の底から生きていく勇気が湧いてくることは生まれて初めてだった。 どうかそれを忘れないようにこれからを過ごせたらと思う。 今はただ泣いてばかりでも。
あと半月もしたらまた姉の命日が来る。もう8回目。早いものだ。 自殺した人は成仏できないというけれど姉はあの世で7年間みっちり修行して晴れて生まれ変わることが出来るようになり、私のところに来てくれたんじゃないかって思った。本気で。ばかみたいだけど。
もう悲しくないし落ち込んでもいないと思うけど、ご飯はあまり美味しくないし毎日何もしたくない。 今年は雪が多くてなんだかとても憂鬱で長い冬。いつか終わるんだろうか。
昨日多量の出血を見て、赤ちゃんが遠くにいってしまいました。 久し振りに一人になった身体のなんと軽いことか。 短い間だけど母親になれて生きてゆくことの希望の光を見せてもらえて本当に嬉しかった。
赤ちゃん出来ました。まだ2ヶ月。高齢出産だし、無事に産んであげられるだろうか。籍は入れない予定。頑張るよ、頑張る。
一緒に暮らしている男は帰りが遅い。 それを待ちながら私は、本を読み洗濯をしパソコンを弄って、天ぷらを揚げてキッチンで一人酔い潰れる。 しんどいので別れて下さいと告げたら、好きだから別れたくないと抱きしめられて返す言葉がない。 このまま一緒になり、家庭を築き普通の幸せを手に入れることになるんだろうか。 何人の人とこういうやり取りを繰り返したのかもう忘れてしまったけれど、実を結ぶことはなかったというのが唯一残る事実。
何の為に人を愛し尽くすのだろう。 人と触れ合うたびにその疑問が私の心を不穏にする。信じるということを私は忘れたのか、そもそも知らないのだろうか。
割と満ち足りて暮らしている気がし、
自己完結し過ぎていて、誰も幸せにはしていない気がする。
もう少し、何気ない日々のことを大事にして行かなきゃね。
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