The color of empty sky
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お盆に盆提灯を買って帰省。 母は、夜になると上階の弟の部屋から、生前のような物音がしてと泣き、父は、弟に知恵を吹き込まれ必要な事を陰ながら処理して貰って今まで元気な老人としての上っ面を整えていたのがすっかり剥がれ、耄碌した無能な老人に成り果てていた。 この人達の世話をあと何年続けるのだろうかと思うと、ただただ億劫で辛い。
ある日、私は山登りの同好会の先輩と二人で4月頃に登山に行った。 春とは言っても北海道の山奥、登山口の駐車場から登山用のスキーに履き替えて、冬山装備で硬い雪を踏んで、山へと入って行った。 雪山には登山道は勿論のこと先行者の足跡もなく、地図とコンパスを頼りに、時折ハンディGPSも確認しながら、細い尾根を渡り、2時間程で目指す山の基部に辿り着いた。 今日はここまでの予定だったので、テントを張り風除けに雪壁を作ってからは、テントに潜って2人でだらだらウイスキーを舐めながらつまらないおしゃべりをして過ごした。 やがて陽が落ちる時刻の前頃に、夕陽でも見るかとテントから這い出して辺りを眺めていると、沢1本越えた尾根を登ろうとする人影を見つけたので、慌てて先輩を呼んだ。 街で着るような白いロングコートの女性が大きなピンクのトランクを引きずって、もがくようにして雪深い急な尾根を登ろうとしていたのだ。 「おーい、大丈夫かー」と声を掛けると、女性は振り返らずに「大丈夫ですー」と返事をよこして雪の中でもがき続けている。私たちはしばらく無言で顔を見合わせていたが、先輩が、意を決したように大声で「こっちで一緒に酒でも飲まないか、寒いだろ」と呼んだ。 しかし女性は何度声を掛けてもこちらは向かず「大丈夫です」と繰り返すばかりで、私は何だか嫌な予感がして、先輩、もうやめましょう、私はもう寝ますよと先にテントに戻り、外が暗くなり寒くなったのか、先輩もほどなくテントに戻ってきた。 先輩は若い頃、雪山で仲間を亡くしていて、山で困っている人間を見捨てることはしないはずだが、その時は無言でそのまま寝ていた。 翌朝は山頂直下は大雪降りで、朝早くから登り始めたが、雪を漕いでも漕いでも山頂に辿りつけず途中敗退。 テントを撤収して下山する途中、他の人の姿や足跡がないかきょろきょろしながらスキーで降りるも、自分たちのスキーの跡以外は見当たらないまま駐車場についた。 駐車場にも、一晩以上置いてありそうな車は自分達のしかなく、昨日見た女性のことは2人ともとうとう最後に別れるまで口にしなかった。
山登りの同好会はその後すぐ辞めてしまい、先輩も亡くなったらしい。 山で女性を見た事、もしかしたら幽霊を見たのかも知れず、もしかしたら自殺願望者を見殺しにしたのかもしれない事は、誰にも話さずに忘れかけていた。
弟が死ぬ前に、ある日急に元気になり、看護師さんに怖い話を知らないかなどと下らない話をせがむのを見た日の夜、あの日の雪山の夢を見た。 私たちが見たのは生きた人だったのか、生きてはいない人だったのか。誰も分からない。
弟が死んだ。 20年以上抱えてきた難病の方が随分良くなって、普通の人みたいに暮らせていたのに、癌であっけなく。
弟と私が高校生くらいの頃に、何がきっかけだったか忘れたけれど、うちの家は呪われている、私達は子孫は残さず滅ぶべきだという約束をした事があった。 すっかり忘れていたが、死ぬ一週間くらい前に弟がふと何かを思い出したのか、姉の死は我が家の呪いのせいだから気にするな、と言った。 私は、お前の病気も多分、我が家の呪いのせいだよねと返して、2人でしばし黙り込んだ。
私のは、毎日疲れて死にたいけれど、両親を送り墓仕舞いをして我が家の痕跡を無くすまで生き続けなければならない呪いだね。
なんでエンピツなくならないんだろう。たまに思い出して帰ってきてしまう。
毎日退屈な日々を過ごしている。 朝起きて弁当を作り、昼間は派遣社員としてたらたら腰掛け仕事をやって、帰宅して夫のご飯を作りながらどこか遠くに行きたいと考えるばかり。 いつになっても足は地に着かず、かといって走りだす元気はもう残っていないようで。
今の私をもうあなたには見せたくないよ。 怒ることも歯向かうことも忘れてしまった疲れきった老人のような私の姿。
今月で実家がなくなる。 先日の雪混じりの日にすぐ近くまで車で行ったけど、結局は寄らずに帰ってきた。 一目見て写真にでも収めようかと考え、しかしそれも面倒になってしまった。 記憶の中で美しく留めておいたまま、奥の方に仕舞ってしまおう。そうしよう。 親も老い自分も老いた。 何もかも静かに終わってしまえば楽なのに。
夏に再び妊娠したものの異常が見つかり手術を受けた。 妊娠中も特に症状がなく、お腹に赤ちゃんがいる気がしなくてほとんど諦めていた。 けれど術後、摘出した塩辛のようなものを先生に見せて貰った時に初めて涙が出てしまった。 私のような人間が子供を産んでも、私の親のように子供を愛さないで育ててしまうのかもしれない。 だから赤ちゃんは帰ってしまったのかもしれない。
もう少ししたら手術を受ける。「子供を授かるための前向きな治療」として。 一縷の光を信じて頑張れたらいいのに、まるで諦めるための理由を探しているように足元ばかりを見ているよ。
孤独を手放して何を手に入れたんだろう
当面別居生活をすることにした。 一緒にいてもお互い疲れて思いやりを持てないままなら、別に同じ家に暮らす必要なないのではないかと。 (家事の分量が増え自分の時間がなくなる、ということに対して不満を持ってはいけないのだろうか。結局その積もり積もる不満が「無償の愛」という信仰をぐらつかせるというのに)
一人で生きて好きな仕事をして休日は好きな事を出来るという暮らしの幸せを味わいつつも、やっぱり虚しい日々なのだと思う。 もしも赤ちゃんが生きていたら、今、楽しいかと考えてみるが・・・ そういうのはやっぱりやめよう。
趣味にのめり込むのは現実逃避なのだろうか。 では趣味は現実ではないのか?たまに夢みたいに美しいカタルシスの時が訪れるけれど、これはこれで私の現実だと思う。 しかし、何をしていても、斜め上から冷ややかに傍観する本当の自分がいて、苦しい時はその痛みを忘れさせてくれる代わりに、嬉しい時の喜びも持って行ってしまう。
辛くもなく楽しくもなく、さて何を頑張ればいいのだろう。
遅くまで残業して仕事を仕上げても、ボーイフレンドと遊びに行って笑い転げても、やっぱり虚しさは埋まらない。
短い間でも、普通の人並みにお母さんになれてとても嬉しかった。 あんなふうに、腹の底から生きていく勇気が湧いてくることは生まれて初めてだった。 どうかそれを忘れないようにこれからを過ごせたらと思う。 今はただ泣いてばかりでも。
あと半月もしたらまた姉の命日が来る。もう8回目。早いものだ。 自殺した人は成仏できないというけれど姉はあの世で7年間みっちり修行して晴れて生まれ変わることが出来るようになり、私のところに来てくれたんじゃないかって思った。本気で。ばかみたいだけど。
もう悲しくないし落ち込んでもいないと思うけど、ご飯はあまり美味しくないし毎日何もしたくない。 今年は雪が多くてなんだかとても憂鬱で長い冬。いつか終わるんだろうか。
昨日多量の出血を見て、赤ちゃんが遠くにいってしまいました。 久し振りに一人になった身体のなんと軽いことか。 短い間だけど母親になれて生きてゆくことの希望の光を見せてもらえて本当に嬉しかった。
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