コロナ禍があったり、昭和の有名人がどんどん居なくなってしまったり、知人が亡くなったり、行き慣れた場所のランドマークが無くなったり建て直されたり、人間関係が変わったり。 令和も五年過ぎたのだけは実感があまり無い。
何年もほったらかしにしていたエンピツ日記。 なのにこうしてログインしたら まだここにいた。 死んでしまってもここに居続ける。 自分の記憶や思考がちょっとだけ しばらくこの世に残る不思議。
18年前から存在するこの場所に 感傷的にはならずにいられるのは 不意に思い出しただけだからなのかも しれないし、当たり前にこうして書き込めるからなのかもしれない。
あたりだからいいかんじなかみさまならよかったのに。ちゅういばかりでいつかはあてるつもりなのであんまりありがたくないです。
もうすぐいちねん、とつぜんゆれだしてびっくりしてテレビをつけてまちがくろいおびにのみこまれていくのをぼうぜんとただただみていたあのときが、いちにちじゅうあらゆるメディアが震災をつたえつづけたあのときから、もういちねん。
停電で信号機が消え、交通整理が必要なのに、コンビニでもめ事を片付ける警察官は、目の前の大きな交差点の危なさが目には入らないでいる。
2011年03月11日(金) |
二千十一年三月十一日午後二時四十六分 |
今日の日を忘れない、それは突然午後2時50分ごろ襲い、そして十二時間経った今さらに恐怖に心をおとしいれている、北日本は沿岸を激甚な津波災害に襲われ、都市は交通が麻痺し、工業地帯にある化石燃料工場は炎に包まれ、町々も燃え続けている,海の果てから現れた津波は東北の平野を10キロ以上も瓦礫を巻き込み黒い先端を這わせながら、道を逃げ惑う車を飲み込んでいく、どれくらいの人があの波で命を落としたのか未だ不明だ、どのチャンネルもこの災害を夜明けまで伝え続け土日もそれは続く、経験したことのない出来事にどう向き合えばいいのか分からず、ただニュースを流し続けあの瞬間に起きた出来事を知るだけなのだ、原子力発電所の危険も東京タワーの先端が曲がったニュースと同じように情報として流され、なによりどのくらいの人が一瞬にして亡くなったのかという情報は未だにはっきりとは分からないのだ。
夜、道路沿いにある竹林に春先のまだ冷たい夜風が吹き抜けて青白い街灯に竹の蒼い縦線が動く壁の様に揺れている、まだ暖かい春は訪れそうにない。
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