![]() |
![]() |
梅雨に入り、傘を手放せなくなった。 今日は夕方から出かけ、夜までかなりの雨が続くのはわかっていたから、レインコートに長靴という出で立ちだった。 私のレインコートは、鮮やかなオレンジで、すっぽり足先まで被うくらい、大ぶりである。 かなり目立つから、車の中からでも目に入るだろう。 雨しぶきの中でも、遠慮無く大股で歩いていける。 実用本位で、出歩けるのも、年の功であろうか。 最近は、かなりの雨でも、レインコートに長靴などと言う人は、少ない。 格好が悪いのかも知れない。 若い女性は、ミュールなんかで、雨脚に濡れながら道を歩いている。 今日から「マタイ福音書」の講座。 講師は「遅刻10分以上したら欠席扱いにします」と厳しいが、授業は、とても面白い。 マタイ冒頭の文章は、アブラハムからイエスキリストまでの系図である。 その中の4人の女性と、異邦人の登場。 その部分の釈義とマタイの意図。 聖書は、ただ、事実そのままに書かれたわけではないのだ。 ぼんやりと字面をなぞっていた私のような無宗教者にとっては、思いも寄らない発見だった。 だから、新しいことを学ぶのは愉しい。 いささか興奮して帰ってきた。
人の心がとげとげしているのだろうか。 子どもの世界にも、それは反映して、つらい出来事が多すぎる。 11歳の少女が、同級生をカッターナイフで刺し、死に至らしめた事件。 死んだ少女の父は、新聞記者だったこともあって、事件直後、取材に応じたが、一生懸命メディアの質問に答えている姿が痛々しかった。 この人は、数年前に妻を亡くし、今度は娘の受難である。 こころの内を思いやると、何と言っていいかわからない。 少女達の担任だった教師は、事件のショックで、入院してしまった。 また、学校内で起こった惨事なので、事件直後の様子を目撃した子どももいて、その影響も小さくないだろう。 加害者である少女は、今、警察などの手によって、事件の真相や動機などを調べられているらしいが、大人のように簡単ではないようだ。 マスメディアなどでは、連日、いろいろな報道がされているが、いずれも、憶測の域を出ないようである。 事件の原因のひとつに、インターネットをめぐっての、少女達の人間関係が取り沙汰されているが、これも、果たして、どこまでが事実で、どういう点が事件の引き金になったかを、結びつけるのは容易なことではないだろう。 私はこの事件が起きるまで、こんなにも、インターネットが、子どもの世界に深く入り込んでいるとは、想像しなかった。 もちろん、私もインターネットを利用しているし、いろいろな場面で、子どもの域を出ない年齢層が、この世界には、少なからずいるらしいことは、感じていた。 安全のためもあってか、親からケータイを持たされている子どももいるらしい。 小さな画面で、中学生くらいの少年たちが、画像を見せ合って、はしゃいでいる姿も、電車の中で見ている。 学校教育でも、パソコンを使った授業形態が、取り入れられているようだ。 しかし、小学生がホームページを自分で持ち、掲示板で友達との遣り取りをするところまでは、ちょっと想像しなかった。 ホームページも、掲示板も、操作がわかれば簡単だから、誰でも作れるし、設定することも容易い。 問題は、そこに何を載せ、何を伝え、何を受け取るかと言うことなのだが、そこからが、インターネットの使い方の問題になってくる。 それは大人も同じである。 顔を見て物を言うときとは違う気遣い、文字のみが手段であることの限界と制約、その上で相手の真意を読みとる想像力、それらは、大人にとっても、非常に難しいことである。 匿名掲示板で見かける、人を中傷誹謗する汚いことばの遣り取り、直接自分に言われなくても、不快になる。 まだ表現力の充分伴わない子どもが、インターネットで、いい友人関係を保てるのだろうか。 私は、かなり懐疑的である。 虚実の合間の微妙なニュアンスを理解して、いい意味での遊び心がないと、インターネットで気持ちのよい遣り取りをするのは難しい。 そこには、いろいろな意味でのレベルが揃っていないと、成り立たない。 レベルというのは、何も、偏差値がいくつというような、左の脳の問題ではない。 そんなものは、むしろ邪魔になる。 想像力と感性、相手に対する思いやりが大事なのだ。 インターネットに頼りすぎると、虚と実の区別が付かなくなり、そのことで大事な人間関係を失うこともある。 子どもには、生活体験を通して、実感の伴った人付き合いをするほうが、大事なのではないだろうか。 部屋に籠もってのインターネット、こんなものは、まだ持たすなと言いたい。
5月は、梅雨のような、鬱陶しい日が多かった。 今月に入って、それを取り返すようないい天気が続いている。 昨日は、久しぶりに家を開け放って風を通し、布団を干した。 今日も少し暑いが、夏らしい陽気だった。 午前中は夫と共に、合唱の練習に都心へ。 モーツァルトのハ短調ミサである。 学生時代に入っていた合唱団が、創立50周年を昨年迎え、その記念にと、例年12月に行う定期演奏会に、OB、OGも参加して、ワンステージ出ることになった。 その出演希望者を募ったら、180人が名乗りを上げた。 メーリングリストを作り、最終的には140人くらいに落ち着いた。 4月から練習が始まり、大体100人くらいが、練習に出てくる。 指揮者は、OBの一人で、モーツァルトの研究家でもある。 やる気満々で、リーダーシップもあり、頼もしい。 事務的なことは、指揮者と同世代の人たちが引き受けた。 いつも、9時半から正午まで、ばっちり練習。 今のところは、月に一度の練習だが、秋になると、現役学生との合同練習も混じって、月に2回に増える。 それで12月の演奏会にまっしぐら。 果たしてどういうことになるかわからないが、長老組は、何十年ぶりかで懐かしい顔を合わせて、旧交を温めつつ、歌を愉しんでいる。 長い年月の間には、亡くなった人も、病気で、出られない人もいる。 練習のあとは、同年代の人同士で、昼食を共にしたりして、帰ってくる。 今日は、夫がそのまま大学の公開講座に行くというので、駅で別れ、私だけ帰ってきた。 心地よい疲れ。 夕方、帰宅した夫と買い物。 夕食の時、夫はテレビで巨人戦を見る。 このところ、いい調子である。 連句仲間で、同じく巨人ファンの人から「勝ってますね」とメールが来た。 明日は、浅草伝法院で連句。 平和な日常に感謝する。
先月から市のIT講座に週一回通っている。 市の情報サービスの手立てとしては、以前から新聞に折り込まれる月2回の市報があった。 数年前から、市報は、新聞に折り込まれずに、各家庭に配布されるようになった。 新聞を取らない家が、少なくないらしい。 新聞のほかに、米屋、ガソリンスタンド、図書館、公民館にも置いていたが、それでは徹底しないので、人の手で、配るというやり方になったようである。 年配の人が配りに来るところを見ると、わずかばかりのアルバイト料で、頼んでいるのだろう。 そのほかに、市のホームページがあって、インターネットでも、必要なことは、見られるようになっている。 市が主催する市民講座のページを、新しく作ることになり、その為のホームページ作成講座が設けられ、受講生を募ったので、応募した。 受講料は、2500円という教材費のほかはタダだが、終わったら、市のホームページ作りに協力するという条件付きである。 家からは自転車で行けるし、年齢制限もないが、希望者が多ければ抽選だという。 どのくらい申し込みがあったかわからないが、「受講決定通知」というのが来た。 最初の講義は、「ボランティアの心構え」というテーマで、どこかの先生が喋った。 いかにもお役所的である。 受講生は16人、男性はそのうち3人のみで、いずれも、年配者である。 女性達は、40代、50代くらいが多いようだ。 平日の昼間なので、ほとんどは主婦のようである。 2回目から実際にパソコンを動かして、ホームページの作り方に入った。 ホームページビルダー8を使っての、やり方である。 インストラクターは、若手の女性。ほかに3人のサブが付いている。 私は、ビルダー7を持っているが、2年前に購入したものの、使い勝手が難しいので、あまり使っていない。 日ごろのページ作成は、別のソフトを使っている。 この際、ビルダーの使い方を、覚えておこうと思ったのだが、私の持っている旧版とは、だいぶ仕様が違うらしい。 講座で作ったファイルを、旧版では読み込めないと言うので、ちょっとガッカリした。 やはり商売、こんなものはどんどん新しくして、買わせるように出来ているのである。 しかし、基本的なことは、共通しているところもあるので、ムダではなさそうである。 今日は、ビルダーを使っての2回目。 インストラクターのガイドで、みんな同じページを作り、一時的に設定したそれぞれのURLに、ファイルを転送するところまで終わった。
しばらく怠けていた日記。 日本でも、外国でも、あまりに悲惨な、つらい出来事が続くので、しばらく書くことが出来なかった。 北朝鮮拉致事件の被害者のうち、二人の人の子ども達が無事に帰ってきて、それはいいニュースだったが、拉致の被害者は、何百人という数で居ると言うことである。 生死の確認もとれていないし、すべての被害者が帰ってくるまでに、どのくらいの時間が必要なのか、正確なことは、誰にもわからない。 Hさんを例に挙げると、大学生だった20歳で、拉致され、24年間を、かの国で過ごした。 一昨年帰って来たとき、44歳になっていた。 生まれてからの人生の半分以上を、故郷に帰ることも、親族に会うことも出来ず、過ごしたことになる。 自分の意志でなく、突然断ち切られたそれまでの人生。 東京の大学で弁護士を目指して勉強していたという彼は、拉致されたその日から、全く予想もしていなかった日々を送ることを余儀なくされた。 驚き、怒り、悲しみ、絶望、どんな言葉を持っても形容できない思いをしただろうと思う。 ただひとつ幸いだったのは、一緒に拉致された恋人と、再会し、結婚できたことで、それが生きる為の大きな力になったに違いない。 夫婦の間には、二人の子どもも恵まれ、24年が経った。 そして、更に1年7ヶ月経った先日、二人の子どもを、日本に迎えることが出来た。 家族が揃い、その様子を伝える記者会見の中で、私が胸を突かれたのは、子ども達が、日本語の読み書きは少し出来るが、会話は全く出来ないと、言ったときだった。 読み書きは、多分、第2外国語として習う機会があったりしたのであろう。 でも、会話が出来ないと言うことは、いままで育つ過程で、家の中で、日本語が使われていなかったことを意味する。 Hさん夫妻が、最初の子どもをもうけたときは、まだ20代前半であった。 拉致されてから4,5年。若いので、言葉の覚えは早かったろうが、自分を拉致した国の言語を、進んで使う気になるだろうか。 日本から救いの手が来ることを、ひたすら待ち望んでいたに違いないし、まさか、24年間も、そのままその国に留まるとは思っていなかっただろうから、はじめは、赤ちゃんをあやす言葉は日本語だったかも知れない。 しかし、子どもが、物心着く頃になり、自分たちが、もはや日本に帰ることが絶望的になったと思った時点で、子どもを、朝鮮語で育てることにしたのかも知れない。 あるいは、当局の監視下で生活せざるを得ない状況だったから、自分たちが日本人であることは、ひたすら子どもにも隠してきたし、日本語も、使わないようにしたのかも知れない。 夫婦だけの時は、会話は日本語であったと思う。 また、日本語は、その国にとっては、役に立つ言葉であったかも知れない。 日本人を拉致した理由のひとつが、日本語であるからだ。 しかし、子どもの居るところでは、言葉は、朝鮮語が使われたのであろう。 母国語を、家族の間で、使うことが出来ないと言う状況。 嬉しい、悲しいという、自然の発露である感情表現を、母国語で出来ないとしたら、どんなにつらいだろう。 それは、人間として、自分のアイデンティティを否定されることではないだろうか。 その年月に思いを馳せ、私は、胸が熱くなったのであった。 そして、帰ってきた子ども達には、今まで育ってきた言葉や文化を、今度は自分たちには外国であった筈の国のものに、切り替えねばならないという、親とは逆の試練が待っているのである。
毎週金曜日の夕方、都内の某大学に、聖書の講義を聴きに行く。 現在パウロ書簡について、その生涯と活動を辿りながら、読んでいく。 6月2週目からは、マタイ福音書を読むことになっている。 2000年も前に、交通手段もなかったような時代に、ほとんど徒歩で、生涯に4回の伝道旅行をしたパウロと言う人がいなかったら、キリスト教は広まっていかなかったかも知れない。 地中海世界を歩いた旅程は、合わせて4000キロ以上に及ぶそうである。 シリアの町から始まって、トルコ、ギリシャ、ローマへと、次第に広まったキリスト教は、今は世界的な宗教となっているが、同時にイスラム教との軋轢も深くなっている。 もとは同じユダヤ教から出てきているふたつの宗教が、何故、こんなことになっているのか。 とりあえず、聖書と、その歴史を、少し勉強したいと思った。 受講生は神学校のシスターもいるが、ほとんどは社会人、キリスト教徒が多いのかも知れないが、私のような、無宗教の人間も、少なからずいるだろう。 いや、私は仏教の家に生まれたので、仏教徒と言うべきかも知れないが、私自身は、仏典も読んだことなく、葬式の時に意識するくらいで、無宗教と言った方が正確である。 キリスト教は、宗教としてよりも、物心着いた頃から読み始めた西洋文学に、必ず出てくる聖書のことばや思想によって、自分が信ずるかどうかは別として、興味を持ってきた。 特に音楽は、すべて、神への祈りから始まっているので、ミサやレクイエムを歌うとき、意味はわからずとも、ラテン語の歌詞は、自然に覚えてしまっている。 また、この7,8年は、市内にあるキリスト教系大学の公開講座に、行くようになり、少しずつ、神学や、聖書に関することを、学ぶようになった。 そこでも、神学通論と、アメリカの宗教的背景をテーマとする講座に出ている。 こちらは、学生と混じっての授業、一クラスに6,7人の社会人が混じっている。 どちらの大学も、大変安い受講料で、受講できる。 単位も、卒業も関係なく、自分の関心のあるテーマで学ぶ機会が、最近増えてきたのは嬉しい。 今日は、講座が終わって、チャペルに寄った。 パイプオルガンの演奏があったからである。 バッハなどの数曲を聴き、少しばかり献金して、帰ってきた。
5月というのは、日本では一番良い季節の筈。 緑の色が深みを増し、やさしい風が頬を撫でる。 暖房も冷房も、ほとんど遣わずに済む貴重な時期。 それなのに、今の時期は、一体どうしたことだろう。 風薫る、と言う言葉にふさわしい日は、あまり体感することなく、5月も半ばを過ぎてしまった。 このまま梅雨を迎えるのだろうか。 参加しているWEB句会で、今月の季題を出して欲しいというメールが、主催者から来たので、「薔薇」「走り梅雨(または迎え梅雨)」{蝸牛(ででむし、まいまい)」の三つを出し、そのうちの走り梅雨が採用された。 句会の主宰も、その季題に、感ずるところがあったのかも知れない。 数日前、会合で一緒になった、別の人から、その人のWEB句会に誘われた。 参加者10数人で、WEB句会を、大分前からやっている。 それは知っていて、昨年暮れから投句もしていたが、正式に参加していなかった。 正式というのは、面識のあるその主催者に、「ネット上と言うことで、本名はしばらく名乗りませんが、参加させてください」とメールを出し、「名乗る必要はありません。ネットでのお名前で充分です」と言ってくれたので、そのまま半年経っていた。 投稿の書き方などで、あるいは、私であることは解っていたのではないかと思っていたが、そうでなかったようだ。 話が出たからには、ここで名乗って、挨拶した方がいいと思ったので、「実は・・」と、白状した。 「そう思ったこともあったんですけどね」と、少しビックリしたようだった。 ネットは、実人生とは違う空間で、別の自分を表現できる場である。 自分を語る手段は、そこに表現された言葉のみ。 顔も姿も関係ない。 どんな美人も、同じ土俵に立たねばならない。 刺激的で、面白いが、厳しい世界でもある。 私も、WEB上の連作ボードをいくつか持っている。 趣旨に添った参加の仕方なら、顔見知りであろうと、無かろうと、どうぞお入り下さいと言っている。 ボードで共通の目的を持って、参加している限りに於いては、例え、参加者が、実人生で波長の合わぬ人であっても、構わぬと思っている。 その人が、どこでどんな生活をして、どういう人であるかと言うことは、ほとんど関係ないからである。 しかし、そうした区別の出来ぬ人というのも、存在する。 一時期、あるWEB句会に、参加していたことがあった。 主催者に参加申し込みをし、あくまでWEB上だけの付き合いのつもりで、参加していた。 だが、半年ほど経って、参加不能の状態になってしまった。 主催者が、黙って、URLを別の場所に移してしまったからである。 問い合わせたが、「閉鎖しました」という返事だった。 でも、それがウソであることは、すぐ解った。 私は、その句会に関する限り、礼儀正しく、ルールを守って参加していたが、何か、気に入らぬことがあったのだろう。 実人生で、自分の気に染まぬ人は、ネット上でも付き合いたくないという、タイプの人だったらしい。 私の投句した句をみると、それとは関係ない記憶が蘇ってきて、我慢できないと言うことがあったのかも知れぬ。 だが、それは向こうの思いこみである。詮索しても仕方がない。 個人サイトの管理者は、人を受け入れる自由も、拒否する権利もある。 文句を言う筋合いはないのである。 ただ、私にとって、不快なことには違いない。 私が親しくしている人たちに、広く参加を呼びかけているので、そんな話題も時に耳には入ってくるからだ。 見せびらかして、仲間はずれみたいな、姑息なことをするなあと、ずいぶん傷ついたが、この頃は、もうどうでもよくなった。 そんなことがあるので、今回誘ってくれたひとに、あとからメールを出した。 今まで黙っていて悪かったこと、これからは、あらためて、宜しくお願いしますと書いた。 すると返信が来て、こんな事が書いてあった。 「WEB句会にいるあなたが主人公であり、本体にはそれほど興味はないのです。 仮面であってもなんであっても、その人らしい気持ちと表現であるなら、どのようでもよいと私は思っております。 自分というものだって、何だか幻のようなものではあります。大事なのは、その場所にいるその人の思いだけです。 その人が、実際にどんな人かと言うことは、興味がありません。 句会に対する熱い気持ちがあれば、それがすべてです」。 そして、あまり思惑を持たず、自由な気持ちでお付き合い下さい、あなたが誰と言うことは、私から言うことはありませんからと結んであった。 その言葉に私は感動してしまった。 こういう感性の持ち主なら、多分、相通じるものがある。 正体のわからぬ忍者でいる楽しみは失われたが、これからも、月一回のWEB句会を愉しみたい。
|
![]() |
![]() |