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ボールの行方 - 2002年06月24日(月) ゴールの瞬間は歓喜の時であり、 特別なものである。 点がはいらないのがサッカーであり、 それがゴールへの欲望をさらに強いものにする。 ボールはただ、ゴールネットにはいっていくのではなく、 そのシュートだけがもつリズムとともに生まれる。 目を見開いてそのボールを追うことができるのか。 それが、味方のボールでも敵のものでも。 ゴールが今にもはいろうとしている瞬間、一歩手前で 「はいった」、「はいってしまった」という言葉は一緒に サッカーをみていると回りから時々出てくる言葉である。 これは敵のゴールが入る場合が多い。 そのあと、実際にはいることもあり、はいらないこともある。 目を見開く必要がある。 じっと受け止める必要がある。 そこには、その人のものへ向かっていく姿勢が現れてしまっている。 ゴールする前に言葉にすることで、実際にシュートがはいった時の 衝撃をやわらげようとする自己防衛本能みたいなものが働いている。 敵にゴールを入れられることはとても怖いことだ。 だが、戦いがおわったわけではない。 最後のホイッスルが鳴るまでじっと見つづけていかなければ ならない。 やられるときもある。それを恐れていては戦えない。 敵のゴールこそじっと目を見開かなければならない。 - 壁 - 2002年06月22日(土) 韓国が勝った。 日本はすでに敗退している。 ここにきて日本と韓国の比較が始まり、日本の精神力の 無さに話の焦点がきている。 何のために戦うのかということになるのだと思う。 韓国は国、歴史を背負っているが、日本は国を背負っているとは いえない。 今の日本の性格は、戦後の歩みの中でたどりついた国民性であり、 日本人独自の個人主義が広がっている。 国で戦うということは否定的な見方で見られることも多い。 日本選手は個人のために戦っているのだろう。 チームとして日本という名前を背負って戦うには、日本人には 無理がある。 さらに上へいくためにはただ勝ちたいでは届かない。 もうすでに大きな壁が存在している。 ベスト16以上にいくためには強いモチベーションが必要だが、 ワールドカップレベルだとゲームに勝ちたいという単純な気持ちでは 勝てないということだ。 戦うべき中心をもっていない国は負けていく。 ゲーム、スポーツとは違う。 こういう状況の日本が悪いというわけではなく、日本はこの舞台で 戦う目的をもっていない国なのだ。 完全に遅れをとっている。というより、こういう国なのだ。 何かに飢えているという状況にはない。 あらゆるものが飽和している。 国の状況がサッカーにもあらわれてしまう。 最後のぎりぎりの勝負のところで。 強い目的が必要だ、 もし勝ち続けたいならばだ。 - 会話 - 2002年06月21日(金) おもった以上に、イングランド対ブラジル戦は、 日本人の興味をひいている雰囲気がある。 みんな面白い物を楽しむのは悪くない。 初めての人でも楽しめばいい。 東京は何かが動いているときは、わりとはっきりと 姿をあらわす。 人々の会話の片隅からイングランドの話の一端が 聞こえてきたりする。 街をあるいてすれ違う瞬間なんかに。 それが、一日に3人も聴けたら、それはかなりの 動きがあるとみることができる。 楽しみ方は人それぞれでいい。 感心のないひとは寝ていればいい。 携帯の普及によって、情報だけは早くなった。 街では携帯で会話をしている人たちがいくらでもいるため、 会話は聞くつもりはなくても流れてくるときがある。 ここのところ、「今、2対1。」とか言った試合経過の実況中継 のような会話がよく流れてきた。 すべて、どっちが勝っているといった結果の話だ。 サッカーは結果が大事だが、流れもとても大事だ。 結果だけを聴いてもどんな試合なのかはわからない。 結果がついてこない試合だとしても、いい試合はある。 勝ったとしてもだめな試合もある。 結果だけを知って楽しめるものではないが、 彼らは楽しんでいるのだろうか。 もちろん、楽しんでいるのとは違う。 踊っているだけだ、だれかに操られて。 情報はそんなに早い必要はない。 -
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