![]() |
ベッカムの心のすきま - 2002年06月20日(木) 今日、街を歩いていたら、ベッカムの頭を真似た 若い男があまりに多いんでびっくりした。 やっぱり影響受けやすいんだな。 ベッカムはプレイヤーとして素晴らしいし、彼の右足は マジックといっていいほど、奇跡的ゴールをもたらしてきた。 しかし、このワールドカップでは堅実なプレイはしているが、 これほど盛り上がるほどのプレイは見せていない。 ということは、もちろん、マスコミの影響だ。 ベッカムは過去にも何度か話題がになったことがあったが、 名前だけは知っていて、実物は知らないという人がかなりいたと思う。 それが、今回の大会で、顔が頻繁に映像になることで、ひとつに つながった人が多いんだろうと思う。ああ、これがベッカムなんだと。 かっこいいじゃないかと。 かっこいいと思ったものに直感的に反応するのは悪くない。 しかし、もっと多様性があっていいはずだ。 自分で判断する必要がある。 例えば、セネガルのフォワード、ドウーフはいい活躍をしている。 真似て、坊主に少し髪を残したシルバーヘアーを真似るやつがいて もいいんじゃないかと。 まあ、ベッカムと比べても無駄かな。 トルシエが最後に言った言葉のひとつに、マスコミに祭り上げられスターに なることに注意すべきだということを言っていた。 中村のことだろう。 つまりは、おだてられてそれに乗ってしまったら、自分に自身を持ちすぎたら、 その時点からプレイヤーは下り坂を下っていくということだ。 だれもが注意すべき危険な落とし穴だ。 民放の報道にはいらない情報がたくさんはいっている。 俺は決して民放にチャンネルを合わせない。 - 戦いは続いている - 2002年06月19日(水) 敗者を置き去りにして戦いは続いている。 同情や悲しみやもろもろの感情をごちゃまぜにしながらも 戦いに身をおかなければならない。 勝負はまだついていない。 いつまでもマイナスをひきずることはダメージが大きくなる 場合がある。 すぐに切り替えていかなければならない。 それは、生命力でもある。タフさが必要だ。 そして、時には忘れることも大事だ。 忘れるということはひとつの能力とも考えられる。 人間はどんどんものを忘れていく。 次から次に、それによってパワーを取り戻すことができる。 それを考えると忘れることを知らない韓国は恐ろしい。 彼らは執念深い、歴史が作り上げたといっていいだろう。 イタリアはなめてかかっていたのかもしれない。 韓国を、そしてアジアを。 戦いはより密なものになってきた。隙間がない。 少しのミスが命とりになり、取り戻すことができなくなる。 中田は泣かなかった。 中田が日本人であったというのはたまたまのことであり、 中田は中田でしかない。 遺伝子が変異して生まれたようなものだ。 泣く必要はなかったのだ。 中田の中で戦いはまだ続いているからである。 - 静かなうわさ - 2002年06月18日(火) 日本が負けたニュースは静かに伝わってきた。 負けた試合でもこの目でじっと見守りたかったが、 そういうわけにもいかなかった。 いったいどういう戦い方をしたのか。 世界のサッカーを楽しむ、そんなスタンスでいたのであるが、 日本が負けたことは、思わぬ精神的打撃だった。 じわじわと広がりを見せてきた。 優勝しない限りは、いつかは味わうこの感情。 試合が勝てば、欲望は次へとうつる。もっと勝ちたい、 さらに上にいきたいという願望がでてくる。 日本中がその欲望に突き動かされ求めた。 欲しかったものが手に入らない、消費大国でも手に入らないもの。 金がまったく意味をなさない。 大事なものを失ったとき、人は代用品で埋めようとする。 依存だ。 敗戦により、自分が何かにすがろうとしているのに気付いた。 一番危険な状態だ。 単純な手は、非常に状況が似ている韓国に思いをたくし応援すると いったことが考えられる。しかし、替えはきかないのである。 まっすぐに受け止める必要がある。 しかし、人間は探す、探す。かわりのものを探す。 それは、なんでもいい。なかったことのように別のことに気持ちを かえていく人はかなり多いはずだ。 大切な人を失った女は、すぐ近くにいた優しい男にカラダをあずけ 時がすぎるのを待った。 そして、いつのまにかそれが日常へととけこんで、 代替品が本物へとなった。 こんなシーンはよくあることだ。 だが、代替品はしょせん、そこまでのもの。 俺は、何にも依存せずに、この敗戦を受け入れることができるであろうか。 まっすぐに向きあうことができるのか。 -
|
![]() |
![]() |