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泣く女 - 2002年06月14日(金) チュニジアは戦う気力を失っていたかもしれない。 日本にとって敵ではなかった。 一点をとった日本のスタンドで、泣いている若い女がいた。 それは、笑顔ではなくパニックにおちいっている顔だ。 日本人には昔からよくある光景だ。 日本人気質であろう。 当然ながらよろこぶべきであり、または更に気をひきしめる べき時に、泣くというのは自分への甘えであるような気がする。 うまく説明はできないが。 このまま日本の国民がひとつになるのは、勘弁してもらいたいが そんなことはないだろうと思う。 日本にはワールドカップで負けたとしても、失うものというものはない。 多様な側面をもっていることは、非常に現代的であり、 強みでもある。 サッカー以外にもいくらでも日本には、代わりとなるものがある。 ただ、世界は違う国もある、負けることは何かを失うことである国。 だから、サッカーは面白くなる。 韓国の対アメリカ戦、ゴール後のスケートをまねたパフォーマンス。 冬季オリンピックでの不当な判定によりアメリカに負けた韓国選手への 恨みをはらすものであった。 これにはあきれた。韓国の執念深さと、いつまでも過去をひきずる姿勢 は最低だ。 国を背負う気持ちはわかるが、ここはもう新しい舞台だ。 今向かうべきものは、そんな過去のことではない。 こういう体質の韓国にはもう戦う資格はない。 今まで応援していたが、完全に興味を失った。 韓国にはまだ越えなければならないものが残っている。 - そぎおとしてしまえばいい - 2002年06月13日(木) ワールドカップはいずれ、そのイベント的要素から ぬけでて、本質のサッカーだけになっていくはずである。 しかし、まだ、その兆候はない。 できるだけ、民放の情報はいれないようにしたい。 サッカーそのものだけをみればいい。 意味のない情報ばかり流す、切り捨てる必要がある。 あとは自分で判断すればいい。 横浜国際競技場は小雨の中、美しく輝いていた。 横浜で決勝は正解だったな。 埼玉では、準決勝どまりだ。 街が違いすぎる。実はすんでる人も違うわけだが。 そんなことは、表にでてこない。 差別ってことになるんだろう、 しかし、差はあるのは間違いない。 かくしたところで、あるのである。 エクアドル対クロアチアはたいした試合ではないが、 98年3位になったクロアチアに対する郷愁のようなもの に惹かれて応援した。 運悪く、エクアドルホームの中にはいってしまった。 ボクシッチは最高だった。 98年、直前に怪我で代表落ちしたときは悲しかった。 まさか、もどってくるとは思わなかった。 混雑を避けるため、新幹線にのり横浜をあとにした。 あやうく、大群にまきこまれるところだった。 よくやった、ボクシッチ。 燃えろ、クロアチア。 - ローマの黒髪の女 - 2002年06月12日(水) わかったぞ。 イングランド戦を見に行ったとき、 けばいおばさんがいたんだ。 人種が謎の。 イングランド監督の女だった。 一瞬で俺はひきつけられたね、なんていうか、 魔性の色気にね。 ただ、よく見るとそれほどでもないんだが、 オーラがでていた。 ローマで女弁護士をやっている、38歳の女だ。 監督は57ぐらいだからな、どうなんだろう。 ワールドカップはいい席をとると、思わぬ人に会うらしいね。 まあ、サッカー見に行ってるんでどうでもいいけど。 ヨーロッパの女はきれいだね。 あいかわらず。 まいるな、あのうなじ。髪の美しさ。 日本は安全なんだが、サッカーは危険なんで女はあんまり足を 運ばないんだよね、世界では、だから、 ヨーロッパの女も少ないね。 男だらけ。 -
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