兎に角日記
三日に一度は兎に角と書いてしまう。

2014年09月13日(土) 忙しい。一生恨むぞPART2

子供たちが小さいのは仕方ない、産まれたんだしとにかくよかった、と思うことにした。
今日も車いすを薦められたけど、ゆっくりいられないので、点滴台を杖代わりに別棟迄あるくことにして、一人で見に行った。

二人ともあい変わらず保育器暮らしで、低血糖を補うための点滴が刺されている。
それでも弟のほうは、明日あたり点滴だけは外れるかもとのこと。

心配だけど、何が起きているのかよくわからないので、何を質問していいか分からずに、保育器に手を突っ込んで二人をちょっとだけ触って戻ってくるしかなかった。

体が衰えているらしくそれだけでぐったりして、部屋に戻って昏々と眠る。
これって個室の必要あったのかな…と思ったけれど、大部屋だと他の人たちには赤ちゃんがちゃんと手元に居るわけです。
遠くから子供の泣き声が聞こえてくると、余計に一人だなぁと思ってしまって、また鬱な感じに。

この、鬱っぽい感じに自分からなりたいわけじゃないんですが、なんか落ち込んでしまって、ああこれがナントカブルーとかいうやつか? と考えたり、だったらきっとホルモンバランスのせい、と割り切ろうとして失敗したり。



そして旦那さんがようやく暢気な顔してやってきた。
早く名前決めようね、と動き出したところ。

まず小児科医、次に家の姉夫婦がやってきて。
休む間もなく保育器の所に行ったら、弟のほうが保育器から出してもらっている! ああ、だっこできる、と喜んで、初だっこ。

私の嬉しさと、旦那さんの嬉しさは絶対違ったと思う。
可愛い可愛い、ときゃっきゃしていて、なんかすごく腹立つ。

可愛い、じゃねぇ! と私むっつりしてしまいました。
可愛いじゃなくて、そうじゃなくて、うまく言えないんですけど!

とどめに、今月末、サッカーあるから行ってきていい? だって。

はあ!?

って思いました。

聞けば、子供産まれたの自慢しに行きたいんですって。

へー……そうなんだ。

可愛いよね確かに可愛いよ。生まれたこと自慢したいのも分かるよ。
でも保育器入ってるんですけど?
月末に退院してるとは到底思えないんですけど?

貴重な休みを病院に来ないでサッカー行くんだ、へーぇ?
子供にも私にも会いに来ないつもりなんだ、へーぇ?

だから。
言ってたでしょうよ。
出産前に、独身気分を充分味わっておけって。

ああ、この人。
赤ちゃん可愛い、可愛い、だけなんだなーと。しみじみと思いました。
可愛くないと思われるよりよっぽどましですから、切れることもできませんでしたけど。(忙しくて切れて怒り出す時間もなかっただけですけど)

赤ちゃんが自分の子供で、責任を持たなくちゃいけないものだと実感しなさい、とは、ほぼ赤ちゃん初対面の男の人に望むものじゃないのでしょうか。
と、心のどこかで考えながら、すっごく冷たい目で旦那を見てました。

来訪者が多すぎて、碌に話しもできずにその日はそのまま別れましたです。





2014年09月12日(金) 子供たち、自分の状態

背中にあった麻酔の管が抜け、とうとう最後の点滴が抜けた。
両腕が痣だらけ。でも、ようやくあの点滴パックを引きずりながら歩くことから解放され、背中を気にせず寝返りが打てるようになって、ほんとに久しぶりに快眠しました。一度に6時間近く寝るのって本当にしばらくぶりです。

抗生剤が出る様になり、子宮の収縮を助ける薬、熱を抑える薬、鉄剤など、毎日大量に薬を飲みつつ、いつになったらおっぱいが出る者なのなのかな…と、うんともすんとも言わない胸を見降ろす。

食事は5分粥からだんだんと通常食に戻り、産褥食と言うおやつ付のご飯になりました。相変わらずおいしくはないですけども。

旦那さんからの連絡はなく、淡々と夜になり。
ここでかんちがいしてた事が分かったのですが、もう、あの時キレたらよかった。そのほうが、後に引きずらないで良かったかもしれないなぁと今は思います。

立てるようになったのですが、結局貧血で長い距離は歩けず、車いすを押してもらって子供たちの部屋に行き、ふらふらしながら点滴の台につかまって、保育器の元へ。

子供たちね。
小さいと思ってたけど……小さいわ。
涙が出るわ。

なんでこんなに小さいんだろ。
3か月近く安静で、1か月入院して、ほんとに大事にしてたのに、育ってなかったなんて。

立っていられなくて傍に椅子を置いてもらって眺めていましたが、なんせ保育器越しなので。
だっこもできないよ(涙)

小さい手の甲に点滴を打たれて、真っ青になっている。大きくなったら記憶もなくなるだろうけど、点滴の痛さを今となっては知っている身としてはほんとに泣けてきた。

姉のほうは仰向けになれなくて、タオルの上にうつぶせになっている。そのほうが肺呼吸しやすいらしい。手の皮も足の皮も余るほど肉がなくて、子ザルは子ザルでも宇宙人のように目の切れ込みが目立つばかり。
弟のほうは何とか動いているけど、こんこんと寝ている。

泣きそうになったけど、一人ではなかったし、車いすを押してくれる看護婦さんの都合と言うものもあって、とにかく部屋に戻るしかなく。
部屋に戻ってから泣きました。


もう一度、面会時間に保育器へ行った時には、弟のほうだけおむつ替えさせてもらえましたけど。
腕とお腹に力が入らなくて、だっこできなくてそこでも泣きました。その場でじゃないけど。


そして、昨日のおばとは違う叔母がやってきて、立派な葡萄を二房おいて行ってくれました。
食べるにも、立って洗面所へ行って洗うということが必要なわけで。
……食べられませんわ。




2014年09月11日(木) 一生根に持つぞ

ゆっくりとゆっくりと明け方がやってきて、ようやく回診が始まった。
が、回復室の4名の中、私の先生だけやってこない。

水が飲みたいよ……背中の麻酔がどうなってるか気になって寝返りが打てないよ…背中がだるいよ床ずれになるよ…。
と、不快な時間を延々と過ごす。

そして昼近く、ようやく来てくれた先生が、お腹の中を攫って様子を見、そしてようやくの水! ……どれだけ美味いだろうと思ったら、そうでも、ない。

……なんでだろ。

そうです、体が不快すぎて、そしてお腹が減りすぎて、体が受け付けないのです。

寝返りを打ってもいいことになったけれど、この時点ではまだ、麻酔の管が背中から首筋まで、寝返りごときでははがれないテープで張られていることを知らず、怖くて寝返りが打てない。体がこわばる…。

それでも、診察後、個室に戻ることができました。

個室に戻った後の事は、あんまり覚えていないです。

資料によると、昼が流動食、夜が3分粥。そうそう、そうでしたっけ。
流動食はほぼ、塩味のお湯と無味の重湯、その他生リンゴジュースと更にお茶、と言うような感じ。3分粥はほんのり塩味のおかゆと桃ジュース、という感じ。
お腹がものすごく減っていたのに、体が受け付けずに残してしまった。ジュースがすごくおいしかったけど、お腹ががぶがぶな感じになってしまった。

で、この日。
歩けと言われていたのです。傷の癒着を防ぐためらしいんですが、じゃあ、午後チャレンジしましょうと言われ、そういわれるからには誰しもが、痛みに耐えて立てるものだと思ってました。

結果、立てませんでした。

痛みは我慢できるのですが、貧血でふらふらだったのです。双子の帝王切開だったため、輸血直前まで血が出てしまったそうな。
だから、座るところまではできても、立ち上がれない。

なんで!? という感じ。

子供たちは別棟の保育器の中で会えないし、体は動かないしで焦る、焦る。
数時間後にチャレンジしても結果は同じ。

ここがね。
一番つらかった。体的にも精神的にも。
だから、誰より旦那さんがちょっとでも顔出してくれたらほんとに嬉しかったと思うんですけど。
……来なかった。
個室に移ったので、面会時間はあってないものになり、電話もオッケーだったのですが、くれたのはメール一本だけという。
後日、まだ回復室にいると勘違いしていたらしいことを知るのですが、なぜ、手術の流れを見ているくせに間違うんだろうと。

ほんとにつらかった。
前日は意識がないようなものだったので、子供が産まれた、嬉しいねという気持ちも話しあえなかったのに、今日話したかったのにこない訳ですかそうですか。
これは引きずるわ。この日記書いてるのすでに10日以上経ってますが、ここの部分を未だに引きずってますわ。

この後数日間は、個室に移ったにも関わらず、出産関係の書類の提出やらで旦那さんはほとんど病室に来ず(仕方ない事ですが)、子供の命名や、保育器の中にいる子供たちのお世話、お祝いの来訪者でまったく二人で居る時間が取れなくなりました。

世の中のこれからお父さんになる男性に言っておきましょう。

子供が産まれたら時間は取れなくなる。
けど、子供が産まれた直後だけは、何をおいても奥さんのそばにいてあげて欲しいですと。

勿論出産の日には居てほしいですけど。
帝王切開の場合はほぼ会えないし、意識もないので、翌日が大事よ!

でも、きっと出産にも翌日にも立ち会えない、忙しいお父さんはきっといるんだよね……私が贅沢なだけか。
いやいやでも、それこそ個人個人の違いですから。
できることをやらなかったということに腹が立っているだけですから! ええ!

この点、出産前のように二人で居る時間が長ければ、すぐ話をして、不満を持っているんだと伝えられるんですが、今の所(23日現在)まったくそのような時間も取れていません。
旦那さんは子供が可愛くてきゃっきゃしていて、それにすら腹立ちを覚えるのは後日の話。

そんな中。
あのKYな叔母が連絡なしにやってきた。

もう。
もうやめて。来ないで。

立てないんだってば。動けないんだってば。しゃべりたくないんだってば。

ああ、私……誰かほかの人が入院しても、手術直後にお邪魔するのは絶対やめようと思いました。




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