| 2004年07月27日(火) |
ボビー・フィッシャーが見つかった。 |
「ボビーフィッシャーを探して」は、天才チェスプレイヤー、ボビー・フィッシャーの少年時代を描いた映画。
フィッシャーはその後世界チャンピォンとなったが、次の防衛戦(だったかな)をすっぽかし、行方不明に。 さらにその後、ふらりと現れ大金を賭けた勝負に勝ったのち、完全に姿を消した……と、思われていた。
が。こないだ日本で捕まったってさ。
61歳になってたそうだ。 年月の流れるのは早い。
実を言えばフィッシャーが日本にいるという噂はかねてよりあったらしく(チェス人の間では有名だったとか)、まさかねとか本当だろうかとか言われていたそうだ。 その上、実際には行方不明後の足取りも多少残っていたんだそうな。
行方不明の理由だが。 私は、勝負に勝って満足したのでいなくなったか、プレッシャーに追われたかと思っていたが実は、ユーゴスラビア経済制裁決議とやらが深くかかわっていたんだそうだ。興味を持ったのでこの機に勉強させていただくこととなった。以下、違って理解してしまっていたらメールでもいただけたらうれしく。
1992年。 ロシアVS米国間冷戦の間、ユーゴスラビアはそれまで複数の民族と宗教が上手くまとまった国であったが、指導者の死去により内戦が勃発したそうな。 (92年といえば、私もきちんと物心ついていたので、なんとなくニュースは覚えているが如何せんアホな子供だったので、そーゆーのよりも漫画を読んでいた。 そして多分この年の前後にJリーグ発足があったはずだ。ユーゴが結局いろいろな国に分裂し、それぞれの国名をもらい、その中にチェコスロバキアが。 そして浦和レッズのゴールキーパー・ミロ選手がその国の人だった。 興味を持って、あの辺の地図を見てみたときに、ちまちまと分かれた国があったと覚えているが、どうか。) ま、ともかく。 そこで国連はユーゴスラビアに経済制裁(その国に対しての物品送金などを遮断することだそうな)することを決定したそうな。
そんで、彼はその経済制裁のさなかに、ユーゴにでかけて大金を賭けたチェスの勝負に出て、見事に勝った。そして賞金をせしめて逃げた。 経済制裁は輸入だけでなく輸出も許可制になるらしいので、これは金をユーゴ国外に持ち出したというわけで、十分アメリカに対する反逆罪になったんだね。 格好いい、と思ったんだがどうか。バカなことをしたんだろうか。
今回、名前だけは聞いたことがあったコソボ問題なんかも順を追って知ることができ、にわかに頭がよくなった気が。事件だけ覚えて順や地名などはすぐ忘れるかもしれないが。
ジェンキンスさんの問題なども絡めて、彼は米国に強制送還される確立が高そうな気配だという話。どうなるかな。ニュースでやるならちょっと顔を見てみたいんだが。どんな顔になっているのか。
それで、もうひとつ。調べている間に引っかかってきたIBM社のチェスプログラム「デイープブルー」、後に出てきたイスラエルプログラマの「ディープジュニア」 できるならフィッシャーとの対決劇、なんてのも見たい(試合は見てもわからんから結果が見たいんだけれど)今日この頃であります。
では、また明日。
派遣先が変わるときには必ずなんだけれども、初日は緊張して寝られないのね。 やっぱり、新しい人間関係とか仕事とか、気になるものです。 全てそつなくこなせるわけではないから、失敗してしまったらとか、明日はこうしてみよう、ああしてみよう、どうしたら印象良く……たとえば単発のお仕事なんかだったら、次回も逆指名してもらえるようにできるだろうか、とかいうのがグルグル頭の中で回って、考え事をしているうちに午前3時くらいになっているのが常。
でもまぁ、終わればすっきりだし、疲れりゃ有無を言わさず眠りは来るんだけれども。 今日はなー。なんか体が疲れすぎてて、心的にも体も疲れてるのに目が冴えている感じで眠れず。
いや、こまった。 こういうときは、明日早いんだからさっさと寝なければというプレッシャーもあり、余計に眠れなくなりますね。
では、また明日。
目が覚めたら二日酔いでした。 昨日珍しくほとんど酔っ払わず(いや、酔ってはいたけど倒れたり気分が悪くなったりせず)、友人宅にお泊りしたんですが、朝起きたらだるい事だるい事。 はじめは寝不足かと思っていたけれど、あー、長い事呑んでなかったから忘れていたけれど、そういえば二日酔いもする人だったっけと我が事ながらいまさら思い出し、ぐったり……。
酒は美味かった。話も弾んで楽しかった。でも。
コップ2杯で夕方まで動けないってのはどうかと思い……(遠い目)
決してね、 「ワタシったらお酒飲めないの〜」 とカワイ子ぶりっ子している訳ではなく、むしろ酒が飲めないと、その場の雰囲気に乗れなくて損をするほうが多いと思っているほうなので、自慢とかではないです。 昔は無理矢理呑めるようになろうと、かなり頑張ってぶっ倒れては運ばれていたし、その後、「呑めないものは呑めないと言ったほうがいい」と思い直して堂々と「呑めませんごめんなさい」を言うようになったクチです。
特に発掘やってた頃は、合宿っちゃー夜は宴会だったから。 呑めないってのは致命的だったよ。 あの頃もっと酒が強ければ……もしくは呑む楽しさを知っていれば、良かった。
しかし兎も角。 こうして二日酔いしながらも、楽しいお酒が飲めるようになってきたらしい自分に乾杯。 ほどほどに、自分のペースでこれからも楽しみたいと思う次第。 昨日の決意は変わらない。 もう運転手はやらんのだ!
では、また明日。
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