やってない。 - 2005年12月12日(月) 知らないなら知らないと、やってないならやってないと正直に言わなきゃ駄目だよ。叱るけど。 それはそうとして、毎日パソコンを眺めて、文章を書いて、数字を見てと高次元の左脳活動をしていると精神世界に入ってしまいます。現実感がなく、自分の考えている世界のみが展開されるのです。 と言うことに気づいたのは、今日さむって思いながら空を見たてら知り合いの犬(長谷川よしおさん:野良)と会ったから。こいつの行動、無視っぷり、孤高さを見ると、いつも悩まされている重要な事柄が些細なことになり、気にするのが小さなことになる。いつも大切にしている重要なことも些細なことになる。こだわる必要がなくなる。自分にとって大切なことは、目の前にいる体芸食堂がなくなってちょっと痩せた茶色の犬にとってはどうでもいいことなのです。この犬にかゆい場所があることが自分にとってどうでもいいことであるように、自分がこだわっていることは他の誰かにとってはどうでもいいことなのです。 自分の住む小さな世界で自分がいかに肥大していことか!いかに視野が狭くなっていたことか!自分がどうしても投げ出せない、譲れない、とらわれているものを無理やりにでも、どうでもいいと考えてみるという勇気を! できないとほざくうちは世界は狭い。とらわれやすい。 と、別段物事に悩んでいるわけではないが、ふと思った。アハ体験。 ... 朝! - 2005年12月08日(木) これから実験です。ただいま朝の7時です。 昨日の夜、テレビで団塊の世代がなんたらかんたらっていうの見てました。 使えないとか、個性がないとか、なんたらかんたら〜って 団塊の人達は大きく分けて、一生懸命働いてそれが一番だという人と社会主義に心酔した反日使えないおっさんだと思います。 団塊が定年になって使えないおっさんらが減るのかと思うのですが、団塊の世代に育てられた団塊Jrが後を控えているわけであって、彼らは青春をバブル期真っ只中ですごしたわけで、個人主義がありえないほど浸透した世代なわけで。まだまだこれで日本が駄目になるのが終わるわけではないなと思いました。 まあ、ポストバブル世代、つまり犬のおやじの世代は生活などに華美さはないものの、ニートになったり職に就かなかったりするのでどっちかといったらそっちのほうが悪質だな! ...
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