夏 - 2005年08月29日(月) 名古屋−岐阜−高山−岐阜 を1週間でこなしてきました。ちょうど台風から逃げるかのように動いたので この一週間一滴も雨と遭遇していません。 実家には2日ぐらいいました。 母方のおじさん一家が遊びに来てて、従妹である2人の兄妹も珍しく登場。 お兄ちゃんは中学2年生。担任の先生は27歳。 妹は小学校3年生。犬のおやじがお兄ちゃんの担任の先生と同じ年だと知って一言。 「おにいちゃん、結婚しなあかんやん!」 ぼふっ! おじさんの奥さん(義理の叔母) 「お兄ちゃんまだはたらいとらんで、でけへんのよ」 ばふっ!! おじさん 「お兄ちゃんはお勉強が大好きなんやて、だからまだええんや」 吐血!! 母 「まあ、諦めとるでええわ。」 つくばの方がいいごこちがいいなぁ(東を見ながら) ... 終戦記念日で思ったこと。 - 2005年08月19日(金) テレビで悲惨な先の大戦を振り返ることは良いことだと思う。できれば、戦争のない、核の使われることのない国際社会であってほしい。 「戦争で日本が悪いことをした。謝りましょう。」 犬のおやじは生まれて、物心ついて、学校教育を受けて今までずーーっとこの話を聞かされてきた。そのままだったら「戦争で日本が悪いことをした。謝りましょう。」と思っていたかもしれない。 しかし、20歳の頃、東南アジア諸国の指導者の言葉に触れ、教科書にない歴史に触れることによって何かが変わった。 21歳の頃、祖父母の時代の人たち、政府に戦争責任を押し付け、謝りましょうといっている自分は善人だと思っている、そんな似非善人ぶりに嫌気がさした。自分の祖父母や親、戦友を裏切っても善人になりたいなんて。 戦争をした人たちは犯罪者ではない。しかし、仮に犯罪者として現代の殺人犯の例をとってみてよう。犯罪者の家族は世間からバッシングを受ける。しかし家族にとって犯罪者でも家族の一員。世間は犯罪者を懲らしめようとも家族はそれを護る義務がある。腐っても家族。 戦争をした人たちは犯罪者でもないのに犯罪者として、しかも家族である者たちからバッシングを受けている。犬のおやじはこのバッシングを続ける人々に対して軽蔑の念を抱くことを禁じえない。 22歳の頃、神社の歴史について触れた。神社とは何か。日本中にある神社とは何か。その勉強をしなければ靖国が戦争賛美の施設として捉えられてしまうのかもしれない。無知とは家族や先人たちでさえも貶めてしまう恐ろしいもの。神社を省みて、自分が日本人であることを知り、日本の文化を理解しない者は日本人ではなくなってしまう。何の背景もなく靖国反対といっている人の顔が滑稽で歪んで見える。 それはそうとして、何も知らなかったとしても、毎年、毎日わけもわからず 「謝りましょう」なんて言われてきたら、本当に無気力で鬱になりそうだ。 ・・・・・それが狙いか!筑紫哲也!! ...
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