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PS2の「機動戦士ガンダムめぐりあい宇宙」をやってみました。 トホホな香りがしたので、30分しか睡眠時間は削られませんでした。
| 2003年08月22日(金) |
ただいま「ヘルシア」お試し中 |
それなりの年を取ってくると、体にまとわりつくお肉が気になってくるものですが、仕事が忙しくなると、「減量どころじゃねーよ」となってしまう意思の弱さの為、対抗策を講じる事も熱心にしなかったのですが、気休め程度に体脂肪を減らすと謳っている「ヘルシア」というお茶を先月から飲んでいます。
しょーじき言って、効果は怪しいと思うのですが、お茶(特に緑茶)は大好きですし、まあそれでもし何か効果があればめっけもんという事で、毎日一本、 グビグビと愛飲しております。
ですが周りからは「あんなにっがいモンよく飲むねー」と言われますね。まあこのお茶普通の何倍もカテキンが入っている所為か、普通の市販のお茶に比べれば、倍くらい苦いですからねー、自分もコンビニのお茶でこんなに苦いのはチョッと味わった事がありませんでした。
しかし、実家にいた頃はお湯を入れたまま、何時間も放置されていた急須からお茶を飲んでいた(入れて放置したままの母も母なら、んなもん平気で飲む自分も自分だ)自分にとっては、まあ懐かしい味と言った感じです。凄まじいまでに濃縮された苦味と、透明感のない濃い黄緑になってるとこまでソックリ。 もしかして、昔痩せていたのは、こんなのしょっちゅう飲んでいた所為か?
まあ決して美味しくはないですね。不味いと言う程ではないにせよ、苦いのが嫌いな人にはとてもお勧めできません。ゴーヤチャンプルーが平気で食べれるくらいの人なら、屁でもありませんから、試してみるのもいいかもしれません。ゴーヤは自分も食えないですけど。
コミケも終わって、一段落と言ったところですが、 夏コミに来ていただいた皆さま、雨の中来て頂いてどうも有り難うございました。雨に足をすくわれて、自分もなかなか十分な対応が出来なかったので、 ご迷惑をかけた事と思います。
自分はと言うと、3日間の夏コミ参加でかなり消耗してしまい、普段滅多に昼寝をしない人間が、2,3日は昼寝三昧でした。その間にHP更新の仕方を教えて貰い、覚え直しつつ、少しづつ更新等もやっていました。
ただ更新した物が目新しくない物なので、早めに又更新をしようと思います。 とにかくやる事は沢山あるので、コミケぼけも程々にして、又真面目に仕事をいたします。それでは又。
今日は夏コミの前日搬入です。 恐れていたとおり、1日目は雨が降る様で・・まあ、だから雨が止めれるという訳でもないので、気を取り直して、イベントが滞りなく終わり様に頑張ります。
では行ってきます。また会場でお会いしましょう。
もうイベント開催までたったの2日となりましたが、 色々やる事が多くて、慌てて今日から色々と準備を始めました。当日は暑くなければ良いなあと思いつつ、腐れ台風野郎だけはもう来るなと言う心境です。
きっと今年は「これ以上仕事や予定に茶々入れないでくれ・・・」と天に祈りながらイベントに望んでいると思います。梅雨が明けても雨ばっかりなんて、ホントに勘弁して欲しい・・
とりあえず気がつく事から準備をしていく事にいたします。 んなこと言ってたら、もう今から緊張してきました。 イベント参加歴長いのに、イベント前の緊張だけは、無くなってくれないもんですね。無くて失敗するよりはいいのかもしれませんが。
自分は良くクラシックCDを聴きます。
それでよく思う事は(考えるまでも無いかもしれません)この世には色々な音楽がありますが、蒐集と言う一点において、クラシック音楽ほどオタク的な音楽ジャンルは無いなあと言う事です。
ディープなクラシック愛好家というのは、傍から見ている人にイカれていると思われても仕方がないほど、一般の人にとっては本当にどうでも良い瑣末な事に一喜一憂し、無駄としか思えない浪費を重ねます。例えば「ベートーヴェンの第九が好き」と言う人は、クラシックを常に聴かない人の中にも幾人かは存在する事でしょうが、そういう人達は、CD1枚を持っているくらいで、かけるのも何年かに一遍年末にかけるくらいが普通でしょう。一般社会での、あるべきクラシックの楽しみ方だと自分も思います。
ところがディープなクラシック愛好家の(なかでも蒐集を好む人種の)「楽しむ」は同じ言葉で表してよいのだろうかと思うくらい、マニアックな世界であったりします。
この手の人の中でも筋金入りな人達は、同じ曲でも違う人間、違う楽団、違う演奏時期、挙句の果てには、演奏自体は全く同じのものでも、やれ使っているソースがオリジナル原版か否かや、マスタリング(録音ソースを編集加工する作業。ノイズの除去や音質の調整等を行う)方法が違う等という理由で、その度にCDを買ったりします。そして一般の人達には多分サッパリわからないであろう演奏の様々な違いを見つけては、ほくそ笑むのです。それにも飽きたらず、諸事情によって、お蔵入りになっている録音ソース等から製作される出所の定かでないCD−R(ありていに言えば海○盤)等まで買い漁ると言う事までします。
かく言う自分も(全てではないにせよ)こういう楽しみ方をします。どうにも根がオタク気質な人間なので、こうなるのは必然な気もしますが。 (流石に本当に好きな作曲家の、本当に好きな曲にしか手を出す勇気は無いですけどね。クラシックのジャンル全てが好きと言う訳でもないですし、聴くのは殆どベートーヴェン、ブルックナー、マーラー等のドイツ系の交響曲と、それとドビュッシーのピアノ曲ばかりなので、クラシックマニアと言うよりは、純粋にこれらの作曲家の中の、好きな曲のマニアのような気もします。)
なぜそこまでするのでしょう。クラシック音楽はそもそも不特定多数の人間が演奏する事も踏まえて作られている上に、ポピュラー音楽のように「作品=歌手と作曲家のもの」と言う著作権を背景にした束縛も存在しません(現代曲を除けば)。ですから必然的に同じ曲でも多種多様な演奏を生むことになります。そしてそれらの様々な演奏の違いを味わう事がクラシックを楽しむ醍醐味の一つであると思っているからです。
演奏行為と言うものが、時間や人や楽団や時代等の要素が違う事によって、どれほど変わるかを知るに付け、人の感性、表現の多様性を知り、作品の内容に対する探究心を駆り立てられる。それらを見出す冒険の手段として、こんな事をするのだと思います。
とは言え、物が物だけに、とても人にこういう楽しみ方をやれとは言えないですね。
クラシックより、現代のポピュラー音楽が受け入れられるの当然の事で、語りかけ易い今の時代の言葉で表現されるポピュラー音楽の歌は、感覚でアーティストの伝えたい真理を感じ取る事が出来るけれど、そもそもオペラや歌曲を除けば、殆ど言葉と言うものを使わないクラシック音楽は、それらに比べるとはるかに抽象的で、聴くと言う行為を行いながら、ある意味瞑想に近いような、感覚と思考の挟間で、音のメッセージを、頭の中で具象化して行く行為が必要な場合があります。そして当然ながら、それぞれの嗜好が存在する私達に、それらの全てが素晴らしいと思える訳でもないので、当たり外れのリスクも解りにくく、又高いものです。
それにクラシック=高尚、ポピュラー=通俗と言うお定まりの概念もナンセンスだと思います。クラシックが常に高尚な内容に溢れている訳でも、ポピュラー音楽が常に感覚に訴えかけるだけの空虚なものである訳でもありません。 嗜好である以上、その人の心に語りかけてくる言葉は人それぞれですしねえ。 故に嗜好が異なる人に無理やり聴かせるのは酷だし、罪と言うものでしょう。
バブル時代と呼応するように、10数年前までカラヤンが大衆へのエバンジェリストととしてクラシック市場を席巻し、拡大させ続けていた時代も今は昔。クラシックをメインにしたCD店が軒並み閉店や縮小を続けているのを見るに付け、文字通り「クラシック」と言うものになってしまったと今更ながら痛感させられます。だからやはり無理に啓蒙などしてもしょうがないと感じます。 一昔前には、知人達に良さを知ってもらおうとか思って色々啓蒙っぽい事を試みた事もありましたが、何かの拍子に興味を持った人間だけが、居丈高にならずに、こっそりと楽しめば良いものなのだと今では思います。
そう言う少数派の音楽なのですから。
| 2003年08月07日(木) |
夏コミ入稿完了いたしました・・ |
滅茶苦茶疲れました・・・実質20日で40pオーバーの漫画を描くのは 体に相当負担が来ますね・・終わったからといって、他にもやる事がある訳で、ようやく今日の夜はゆっくりと眠れそうですが、(そう言えば今日はウイニングイレブン7の発売日でした。うー、やりてー)まだ片付けねばならない事もあるので、コミケが終わるまではバタバタしそうです。 入稿終わっても、色々とやる事があって、いままで起きていたのでこれから寝ます・・・それでは又後日。おやすみなさい・・
5位のクルサードと6位のトゥルーリのフィニッシュを見てある事を思い出しました。
昔マージャンをやっていた時、一人が出した牌(ハネマン当たり牌)をチャイした挙句、チョンボ上がりをして流れを乱した後に、何故か急にそいつがツキ始めて、終わってみればそいつがトップ、自分は3位。
確かに、その後にツキを呼んでこれない人間が悪いと言えば悪いのですが、勝負の流れと言うものが極めてデリケートなものである事を考えると、アクシデントの原因を作った側が、結果的にそれに助けられる形で、アクシデントの直接被害を受けた人間より上位に行くというのは、どーにも感情的に割り切れないものがあります。
「聖書を読め!」と言う紙を掲げて、途中で乱入してきた緑のタータンスカートはいたおっさんに関しては、大昔に婦人参政権を主張して、レース中の競馬馬に飛び込んで自殺した女の事件を思い出しました。いつの世にもトンチンカンな事して、周りに迷惑をかける馬鹿はいるようです。(そういやあれもイギリスだったなあ、イギリスこんなんばっかりか。)
トップを走っていたのに、敵の過失と、馬鹿の愚行によって稼げるマージンをオジャンにされたトゥルーリにとっては、片山右京の言葉じゃないですが「ノラ犬に噛まれたと思うしかないですよ!」と言う心境だったに違いありません。同情を禁じえませんなあ。
しかし、これで11戦して勝者が7人。殆ど毎回かつ人間が入れ替わる大混戦 と言うのは後半楽しみではありますね。
願わくばチャンピオン決定がアクシデントで左右されないすっきりとした形で決ればよいのですが。
| 2003年07月03日(木) |
見なくて良かったコンフェデ杯 |
更新が遅れましてどうも申し訳ありません。
まず、イベントに来ていただいた方々に心から感謝いたします。お陰さまで 無事終了しました。夏コミも皆さんに来ていただけますよう、更に精進していきますので、これからもよろしくお願いいたします。
で、イベントが終わって帰ってからは、たまった仕事を片付けていました。その他にも書類の整理やら、なんか色々大変です。
そんな訳でイベントの前後にはスポーツ鑑賞する暇も無かったわけで、コンフェデ杯もF1もK1も見る事が出来ませんでした。
しかし・・正直コンフェデ杯は見なくて良かったかもしれません。 まさかサッカーのプレイ中に選手に死人が出るとは思ってもみませんでした。正直誰もが一瞬「もし日本が勝ち進んでいたら・・」と思ったに違いありません。
同じ事はファンの方のメールの中や、作家仲間の中でも何度か話題になりました。「ポジション的には中田がああなっていたかも・・」と言う意見を聞いた時にはゾッとしました。「冗談じゃない、こんな場所で、日本の逸材達が死ぬなんて事があったらたまらん」それが本音でした。
今まさにカメルーンの国の人達はそんな辛い状況を味合わされているのでしょう。その事に割り切れなさ、やりきれなさを感じていると思います。
今回の事について様々な要因が考えられるのでしょうが、ピッチで人が死んだと言う事実がある以上、少なくとも体調不良で片付けられる問題では無いでしょう。何に責任が有るかより、こんな事が起こらないようにする方策を提示する方が、はるかにFIFAに対する非難も少なくなる事に会長さんも 早く気付いて欲しいものです。死んだ選手の名前を大会の名前にするという案にシラけた人は多くても、納得する人など一人も居ないのですから。
イベント前日です。ちょっと緊張しているのは、やはり開催地が関西だから 慣れてない所為なのでしょうか。関西出身のくせにおかしな話ですが、今のサークルになって、2回目の関西イベント参加なので、まあ仕方ないのかもしれません。色々書きたい事はありますが、時間もないのでイベントが終わりましたら、改めて書く事にいたします。それでは行ってきます。
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