ヒュルリーロラ〜 - 2006年12月05日(火) ままごとに飽きた女の子 ぎこちないバランスで くつ下を脱ぎ しゃぼんをふくらますよう 中に息を吹いている くつ下は口元でゆれる 妹よ ハハハ… - 2006年11月14日(火) 愛と悲しみのある笑いが 本当に少ないですね 何か、その時の一瞬だけを 笑かそうとする ワザとらしい笑いばかりで 僕はそういうのは遠慮しときたいです。 僕に多大な影響を与えた 山田洋次の映画作品と 松本人志のコント作品は 僕は 全然違うものだとは 思えないのです やっぱ寅さんはいいです トカゲのおっさんもいいです 昨日の日記に書いたように 現実を考えると 笑いの中には、悲しみがあり ちゃんと一本の時間軸に 一本の人生に、2つが連続してないと 嘘だと思います。 ノン・フィクションズ - 2006年11月13日(月) 人に説明するとき 笑いの映画です、とか これはコントですなんて言っちゃうけど 半分以上、嘘で 根底には、笑うことや 笑ってしまうことの、悲しさを 表現したいってのがあります 僕が思う 「笑う」という行為は やっぱり、人には悲しい過去が絶対にあって たぶんこれからの未来にも 悲しい出来事があるわけで じゃあ笑える内に、笑っとこう うん、でも、悲しいこともあるよね、きっと そうだけど、そればっかり考えてちゃ 面白くないじゃない という具合に 笑うという行為の中には、悲しみを忘れようとする 反発力みたいなものがあると思ってるんです だけどある瞬間、その反発力を感じた時に 又は僕は映画でそれを表現したいのだけれど 感じさせたとき ハッキリ面白いとも言えない 面白いんだけど、ものすごく悲しい どんだけ騒いで、ワーワー言っても 人はラストに向かって進んでんだ って ただ笑うことを、飛び越えた何かを 思うことができるんじゃないかと、思っています だから、笑いの映画を撮ってますってのを お気楽な馬鹿映画を撮ってますという風に勘違いされるのが ちょっと嫌なんだけど 悲しいシリアスな映画を撮ってるワケでもないし 笑いってのは、そこまで背負った、笑いなんだと 自分の心で言い訳をしながら とにかく完成品を見てくれと そんな感じで、久しぶりの日記でした。 熱があるようなことで - 2006年07月21日(金) 言いたいことも全部忘れて 僕は少し歩き出したような気がしてる 遠まわしな言い方が好きだったのも 今じゃ、ちょっと違う気がするんだ 後悔するでも 肯定するでも、きっとなくて 鉛筆の持ち方が、皆違っていいように 自分を好きになれるタイミングだって 選べないけど、きっとあるんだ 僕はあったよ これからも ヌメヌメの実 - 2006年07月06日(木) お父さん、時が経つのは早いもんですね まるで時がヌメヌメしてるようですよ いやはや、これは冗談 ヌメヌメじゃなく“メヌメヌ”でした …メヌメヌって何ですか? お母さん、時が経つのは早いもんですね まるで時がメヌメヌしてるようですよ いやはや、これは冗談 メヌメヌじゃなく“オヌオヌ”でした …オヌオヌって何ですか? お姉さん、オヌオヌって何ですか? (作品尺:30分25秒) ニックネーム - 2006年06月13日(火) 「君の名前は何だい?」 「ここで言っちゃっていいんですか?」 「じゃあニックネームでいいや」 「青い馬と言います」 「なんて、控えめな名前なんだ」 「控えめですか、僕のこと何も知らないのに」 「そうかい?」 「ちゃんと見てくれないと、僕はそこまで控えめじゃないよ」 「そうかい…」 「鬼の子なんだ」 「…鬼?」 「赤鬼から青い馬が生まれるなんてね」 「ニックネームじゃなかったのかい?」 「最近じゃ、青い馬だっていいと思っているんだ」 「そうかい」 「できることならニックネームにしたかったよ、でももういいんだ」 「そうかい」 「うん」 「それは、おとおさん、おかあさんに感謝しないとな」 「そうだね、今度会ったときにお礼を言うよ」 苗木土壌 - 2006年05月29日(月) この風に揺れる木々や葉や 書類のように重なる夜景 それら走ってくる光は もう純粋に美しいとは言えないわけで それは 今から生まれてくる子供たちに 申し訳ないわけで だったら その刻一刻と移り変わる模様も 美しいと受け入れるべきなのかと 私は、つくづく悩むのだ トーキング・ヘッズ - 2006年05月26日(金) ぼ、ぼくは 皆さんご存知の通り 口下手であり それにどもり癖がある。 ってこともあって(それが一番の原因なのだが) 端的に話すことが好きだ。 できるだけ少ない文字数で 僕の意思が伝わればいいと思っている ゴールまで短く進めるよう話す ご機嫌なときは 知らない間に口数も増えるのだけれど(笑) 基本的には 地雷を踏まないよう 短いコースを選ぶ。 これを僕は 20歳まで、すごくマイナスに感じてきた 今も感じるときがあるけど 特に20歳くらいまで マイナスに感じるのが強かったと思う もっと明石家さんまみたく 思ったことを、次々と放出したいと よく感じたものだ けれど こういう文章を書いたり 映像を作ったりするときに 僕は僕のこのマイナスを利用できることに気が付いた… 僕は映画やコマーシャルの キャッチコピーが好きで それと同じくらい 短歌や俳句が好きだ 短い言葉の中に 全体の匂いをかもし出せる 短歌や俳句やコピーは 本当に面白いと思う。 つまりそういうことなのだ。 短くて済む話を長く話す必要は無いし 整理して凝縮された言葉は 重いのだ 映像を考える上でも マイナス面は役立ってると思う。 カットの飛ばし方 つなぎ方なんかは、言葉と同じだ 数学の因数分解みたいなもんだ。 無駄を省いて、想いを残す 口下手でいいんでないのと、そう思う。 あとついでに 口下手ってことで類似してんだけど 映画とか作って 「この映画のテーマは何ですか?」とか聞くやついるけど そこで答えたら映画にする意味ねーだろとか思う。 お前は映画を観てねーのかと思う 自分なんかは、口下手で 言いたいことを言えないから “映像”って媒体を借りてるのに それで分からなかったら 自分の伝える能力が低いか お前の理解する能力が低かったかのどっちかで 寿司屋で 「このマグロは美味しいのか美味しくなかったのか分かりませんが ご主人、美味しいんですか?」 って聞いてるようなもんだ 手紙 - 2006年05月23日(火) 例えば、26歳のまでの毎日を 記録したフィルムでもテープでも 帰ってきた部屋のテーブルに ぽんっと置いてあって どこを見ようと迷うとき デッキが壊れてて、結局見れないみたいな ハナから見る気は無かったような 期待を裏切るとか そんな不甲斐なさじゃなくってさ それはそれで 有りだろうという精神は ずっと持ってたいよね 意味分かんないだろうけど なんとなく、そんな感じだよね 俺も意味分かんないけど ツアーコンダクター - 2006年05月19日(金) 雨でいいよ 今日でいいよ 気分がいいからさ
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