衒学ファンタジア...tk

 

 

不動の夜明け - 2005年02月04日(金)

僕は自分を細分化し
分析して、文章におこす
という作業が
別に好きなワケじゃないんだけど
望まずとも脳が勝手にやらせるので

自分のダメな部分も
誰かが思う以上によく知ってるし
色々な失敗から
できる事とできない事の分別も
簡素化して容易である

そして欠点を変に隠そうとはせず
(鼻くそをほじくってるトコは見られたくないが)
逆に自慢したりもせず
何をそんなに構えているのか
分からない野郎がいれば

平静の態度で足払いを喰らわすのである

そういう人に私はなった



外装 - 2005年01月30日(日)

この外装は何なんだ


こんな醜態でよくエラソーなこと言ったもんだ




トンネルの外と中で話すのは疲れた



とっても不安 - 2005年01月28日(金)

とっても不安
とっても不安

舞台監督のセリフかっつーの(笑)



ウォーターディスペンサー - 2005年01月24日(月)

ウォーターディスペンサーっていうのかな?

あの水入れとく、タンクみたいので
最近色んなお店に
インテリアっぽく置かれてるやつ

あれ自分も欲しかったので

おもちゃで2リットルぐらい入る
安くて小さいの偶然みっけたので買って
なかなか便利だからよく使うんだけど

さっき
水出すトコのボタンみたいのが
ちょっと強く押したら凹んだまま
カムバックしてこなくて

水出っ放しになって、すげー焦った

コップいっぱいになる前に
コンビニで買ったアルカリイオン水を
止めなきゃならないし

しかしボタンはフニャったままだし

手は二つしかねーから
コップ押さえんのと
ボタンの復旧作業とで
でも復旧できそうもねーし
コップからもう水溢れそうだし
ゴクゴク飲みはじめちゃうし

このまま2リットル
飲み続けりゃいいんだとか
変なこと思うし

気がつけば
冷蔵庫の床まわり水びだし
夜中3時に帰ってきて朝6時に
家出なきゃならねーのに
なんで一人で
ウォーターディスペンサーを持ち上げて
キッチンへドーン



想えることを - 2005年01月23日(日)

雪に触れた白い空気を
まだ深く味付けするように

いくつもの愛の唄が
心まで混ざり込む


前より掛かりやすくなった
負け慣れたフックが

捨てられた過ちも
もう一度すくい上げて


僕は僕に言うよ
「今日はあの人のことを想うんだね」

「閉ざされた世界の、」

「僕の悔しがる世界の、」

「閉ざされた世界のこと、」


ビルの隙間を
幸せだけじゃなく与える為に
誰かのフックに掛かる形で
彷徨う愛の唄

それにふと気が付けた


愛の唄の目的は
きっとこういう事なんだって


誤魔化してるだけなのかも
だけど今日はいいだろう

それに幸せ感じたって


想うこと

いくつもできるよ



Shangri-la - 2005年01月22日(土)

ある一人の男

桃の香り漂う女を

忘れることができず

頭の中度々繰り返す

しかし女と再開することはなく

悲しいのか

それで良かったのか

答えは一つも浮かばず

ただ桜散る姿に見とれている



ナチュラル・ハイ - 2005年01月17日(月)

阪神淡路の震災から10年経ったそうだ

ここ最近の連続した
自然災害のニュースを見て感じることは

僕たちは豪邸に招かれた
VIPでもなく
ただのゴキブリなのかもしれないのに

勝手に家を建て
交通機関を張り巡らし

それが壊れて
「自然の猛威うんぬん」と…
「自然は恐い」と…

いやいや、俺たちが勝手に
恐くしてんだろって

人間ってのは、いかに
アホで
自然災害を軽く見ているかってことです

「地震にも火事にも強い
 震度7クラスにも耐えられる
 そんな高層ビル、マンション!」

そんなん言ってる時点で
自然をナメてるとしか思えないし
向かうべきところが、違うでしょ

だって何が起こるか
分かってるみたいだもんね

なんでそんな人間のものさしで
自信満々と豪語できるか
不思議でしょうがない…

つづく









セルフコントロール - 2005年01月16日(日)

誰かの優しい言葉が
地下に溜まった壊れる涙を
一気に掘り起こす

でも出なくていいよ
たのむ

ここは涙なんか要らないんだ

僕は激流の河でも
岩の上を軽快に跳ねて

向こうまで行きたいだけ
それだけなんだ

涙なんてそう、流したくない

無理を承知で
頼むでオレ



本音で言い訳_2005 - 2005年01月14日(金)

文章書いてると

「どこまで人の目を気にしないで書けるか」
「どこまで素を出せるか※」

挑戦してみたくなる

※(素=オリジナルなモノ)

たぶん
文章を書く、ほとんどの人が

身内や恋人、友人、仕事関係者や世間の
目を気にしながら書いていると思う

こういう事書くと
悪い印象持たれるんだろうな、とか
ちょーしこいてんな、とか思われるだろうな
って、気にしながら

普通は書いている

自分だってそうだ
これはやめとこうって

別に悪口をここで書くつもりも
今まで書いたつもりも無いが

悪い印象よりいい印象を
読んだ人に持ってもらいたいってのは
当前の話だ

…で、いざそういう目を気にして

安全なやさしい文章だけで
敵を作らない、平和な文字の羅列だけで
書こうとも、思うんだけど

自分は、それはやっぱ違う

人の目を気にしながら書くのは
自分のやりたいことじゃない

(ロックンローラーか俺は)

どうしてか?簡単に言うと

(ロックンローラーとの違いを言います)

自分が書いている文章は、人に読ませるのが
100%本来の目的じゃないからだ

いや、人にも読んでもらいたいんだけど…

どっちかというと

言葉を研究したいってのが
大きいからだ

(ロックンローラーみたく
自己主張の極みとは、ちょっと違うでしょ?)

よく分からないかもしれないけど

言葉の化学反応っていうか
この言葉と、この言葉を組み合わせると
自分の中に
どんな感情が生まれて
人は、どう受け取るか

そういうのが面白いし、執着したい
から。

しゃべり口調や、丁寧な語り口
カッコの位置、句読点の打ち方、改行

タイトルとのシナジー効果

引いては
毎日の連続性からの印象

直筆じゃない分、文字の形は変えられないけど

ここで表現できる材料すべてを使って

日々、実験を繰り返して

成長したい
から

そういう飽くなき欲求があるわけです

だから、そこまで人の目を
気にしてられないんです

気にしてはいるけど、そんなんやってたら
制限多すぎて…

だから
言葉使いが悪かったり
その書いてる精神が歪んでるように見えるかも
言い訳がましいが…
見えるかもしれないけど

俺だって、使いたくねー言葉だってある

この「ねー」とか

しかし実験なんだ、模索期間なんだ

料理人だって、素材の味を知らなかったら
うまい料理なんて作れっこないでしょ

オートバイのライダーだって
転んで初めて、本当の安全を知るでしょ

これは自慢でもなんでもないけど
自分自身、文章書き始めの頃とは
随分成長してると思うよ

それが良い方向か悪い方向か別として
オリジナルな書き方には
なってきた気がするし
実験の積み重ねで
テクニックも覚えた

だからここにある文章のすべてを
俺だと思わないで欲しい
というか
実験中の俺だと思ってほしい(笑)

それをふまえた上で
言いたい事があれば、言えばいいし

しかしピカソもゴッホも
筆を止めない

石川啄木、女癖悪い

2005年も宜しくお願いします。


13/1/2005 kawaguti takuma



ギャルソン’ズ・ラヴィ - 2005年01月13日(木)

2004年後期の目標は
普通二輪の免許取得だった

本気で考えてたら
本当に実現した

なんで

2005年前期の目標も
本気で考えてみる



う〜ん



ってアレしかねーだろぉぉ!!

2005開幕!!!







My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

mail shangri-la