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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2017年11月30日(木)
Vol.861 新聞に掲載される

おはようございます。りょうちんです。

小学3年生の時、国語の授業で作文を書き、それが俺の知らないうちに地元の地方新聞に掲載されたことがある。たぶん担任の先生が授業中に書かせた生徒の作文を、地方紙が主催する作文コンクールに勝手に応募し、俺の作文が入選か何かしたのだろう。ずいぶん時間も過ぎた頃、「おめでとう! あなたの書いた作文が選ばれたから、朝の集会で校長先生から名前を呼ばれたら大きな声で返事をしてね!」と担任の先生に突然言われ、実際に全校生徒の前で名前を呼ばれたのだった。どんな内容の作文だったのか、そもそも本当にそんな優秀な作文を俺が書いたのか、そんなことすら忘れていた俺だったが。さらにそれからずいぶんたった頃、本当に俺の書いたであろう作文が地元地方紙の片隅に小さく掲載された。
昔から文章を書くことは好きだったし、得意な方だ。数年前にはベトナムに行った時の体験記を書いて、某旅行雑誌に掲載され商品券をいただいたこともある。比較的時間がある今、小学生の時以来久しぶりに新聞に投稿してみようという気になった。実家で購読している全国紙の読者寄稿欄を読むと、最近ではネットからも投稿できるらしい。330字前後というかなり限られた字数制限があり、その中で言いたいことを表すのは相当難しいが、先日行った北海道への家族旅行で感じたことをネタに投稿してみた。
数日後、全国紙の読者寄稿欄の担当の方から直接俺のケータイに連絡が来た。俺の書いた文章が掲載されるという。紙面の字数の関係で、校正されさらに字数が調整されるが、近日中の新聞に掲載されるとのことだった。
それから毎日、実家に届く新聞の読者寄稿欄をチェックしていたが、今月初旬、本当に俺の文章が掲載されていた。実名なので少し恥ずかしいが、やっぱり気持ちがいい。こんな小さな記事を見る人なんてあまりいないだろうが、それでも全国紙、世界で最も発行部数が多い新聞社に掲載されたのだ。薄謝が届いてもたぶんジャイアンツのタオルだろうし、そんなものに期待はしないが。これに味を占めた俺は、また次の投稿を企んでいる。



2017年10月25日(水)
Vol.860 さよなら『BE POSITIVE!!』

おはようございます。りょうちんです。

今回は個人的に、お知らせがある。2002年1月に、俺の個人ホームページ『BE POSITIVE!!』が完成した。初期の『りょうちんのひとりごと』を読み返すと、稚拙な文章でそのよろこびをつづっている。日々の日記や思っていることを書き、気に入った写真を載せ、趣味のページを作り、興味あることなどを紹介する。今ではSNSで簡単にできることを、当時はホームページでしか表現できなかったのだ。その頃俺のように個人ホームページを立ち上げる人が続出し、ちょっとした個人ホームページブームだった。
しかし『BE POSITIVE!!』を立ち上げたおかげで、俺は生活が大きく変わった。俺のまわりの日々の情報をこちらから発信するだけじゃなく、全国各地のいろんな人とつながることができ、それによって趣味や興味あることの幅がぐんと広がった。今でも連絡を取り合う友達がたくさんできたのは、『BE POSITIVE!!』を俺がやっていたからこそだと思う。
そして今。ホームページでできることが、SNSで簡単にできる時代になった。あの頃生まれたホームページの数々は、SNSに代わりどんどん閉鎖され管理されなくなっていった。そんな時代になったのだから、仕方ない。そして俺の『BE POSITIVE!!』も、今月末を持ち約15年10カ月の歴史に幕を閉じることにした。理由は簡単、契約中のプロバイダがホームページ管理サービスを廃止することになったからだ。プロバイダの移行等も考えたが、俺も『りょうちんのひとりごと』以外『BE POSITIVE!!』の管理を10年以上も放置している手前、ここで潔く終わりにしようと決断したのだ。『BE POSITIVE!!』には強い思い入れがあるが、あとは俺の中に静かにしまっておこうと思う。さよなら『BE POSITIVE!!』、本当にありがとう!
ただ、勘違いしないでほしい。ホームページの『BE POSITIVE!!』は終了するが、この『りょうちんのひとりごと』はまだまだ書き続けていくつもりだ。だからこれからは、『りょうちんのひとりごと』で検索をかけてここに来てほしい。そういうわけで、これからもよろしくお願いします!



2017年09月30日(土)
Vol.859 母の北海道旅行

おはようございます。りょうちんです。

今年の初詣で、母は北海道に行きたいと願ったらしい。もちろん家内安全や無病息災や商売繁盛も願ったそうだが、できるならまだ行ったことない北海道に行きたいと、密かに願ったそうだ。そんなことはつゆ知らず、春に俺は父と母を連れての北海道旅行を企画する。秋になったら北海道に行こうと提案すると、母はこんな早く夢が叶うなんてとよろこんでいた。
母のイメージする北海道は、本当に漠然としていた。キタキツネがいて、ラベンダーが咲いて、夜景もきれいで、ジャガイモもトウモロコシもメロンもおいしくて、サケもカニもウニも新鮮で。簡単に北海道と言っても、母の考える北海道は場所も季節もばらばらで、それを全部叶えるのは到底無理だった。それでもできるだけ母の願いを叶えようと、相方の力も借りて王道のコテコテコースを行く3泊4日の北海道旅行を俺は企画した。
母は普段、車いす生活だ。そのため、飛行機やレンタカーやホテルや観光地など、バリアフリー対応可能かどうか調べて選ぶ必要がある。また、旅行中に一度人工透析をしなければならないため、対応してくれる病院に事前に依頼しておかなくてはならない。障害者の旅行は、少し面倒なのだ。
幸い旅行中、天候には恵まれた。新千歳空港に着いた俺らは、まず富良野から美瑛を回り初日は旭川に宿泊。2日目は旭岳から再び美瑛に戻り、2泊目も旭川に連泊。翌日一気に札幌まで南下し、札幌市内を観光。最終日は札幌から小樽に向かい、夕方の飛行機で新千歳空港から戻って来た。
メロン、ソフトクリーム、新鮮シーフード、ラーメン、北海道限定スイーツなど、食事制限があるのにせっかくの旅行だからと母はおいしいものに舌鼓を打ちまくっていた。ラベンダーはなかったけれど色とりどりのきれいな花畑や、北海道らしい広々とした牧草の草原や、一足早い旭岳の紅葉も見た。きれいな夜景も眺め、定番観光地での記念写真もたくさん撮り、お土産も大量に買い込んだ。4日間の母の北海道旅行はややハードだったかもしれないが、最高の思い出になってくれたら俺はうれしく思う。



2017年08月29日(火)
Vol.858 45歳の挑戦

おはようございます。りょうちんです。

正直に告白すると、水泳は好きじゃない。浅めのプールや波打ち際でぱちゃぱちゃと水遊びするのは楽しく思えても、泳ぐこと自体は嫌いである。理由は単純、俺はまともに泳げないからだ。いや、泳ぐことは一応できるのだが、息継ぎが上手くできない。学生時代、学校の授業で25mのプールをなんとか泳ぎ切ったことはあるが、もちろんその時は大量の水を飲んでの完泳だったので、死にそうになったのは言うまでもない。あれから30年以上が過ぎ、もはや25mを泳ぎ切る自信なんて俺には微塵も持ってない。こんな俺、胸を張って泳げると言えるわけがない。
毎年夏休み期間中、市内の某中学校のプールが市民に開放される。実家から車で数分で行けるそのプールは、市民なら無料で使用できる。日頃の運動不足解消を兼ね、俺はできる限りプールに通う決意をした。この夏の目標は、ちゃんと泳げるようになること。1日約2時間弱、週3〜4回の特訓で、夏休みが終わるまでに俺はどのくらい泳げるようになれるのか。ちょっと無謀な、45歳の挑戦である。
プール開放初日、俺は水中歩行から始めることにした。足腰をリハビリ中の老人みたいだと自分でも思ったが、水の中でカラダを動かすだけでも結構な運動量になる。ある程度水に慣れてきた数日後、今度はビート板を使いバタ足と水をかく練習を始めた。その次は問題の息継ぎの練習。隣のコースでスイスイ泳ぐおばちゃんをじっくり観察して、どのタイミングで顔を上げているのか盗み見る。顔の角度も大事。やがて効率の良い呼吸法を自分なりに見つけ出した。それぞれの理屈がわかれば、あとはカラダが覚えるだけ。大量に水を飲み何度も咳込みながらも、猛特訓を繰り返した。
プール開放もあとわずか。今ではクロールも平泳ぎも、息継ぎしながら25mは泳げるようになったと思う。スピードは全然速くないが、クロールと平泳ぎを毎回各500m以上泳げば、もはや泳げないとは言わせない。こんなにも上達できるなんて。どうやら俺は、やればできる子らしい。



2017年07月12日(水)
Vol.857 夢のような10日間

おはようございます。りょうちんです。

肩と首のうしろと胸のあたりの皮が剥け始めてきた。理由は明白だ。キューバのリゾート地バラデロにて、カリブ海の青い海に降り注ぐ焼けつく強い日差しを身体中に浴びたからである。夢のような10日間だった。嘘みたいなアクシデントもとんでもないハプニングも予想だにしなかった出来事も、数えきれないほど遭遇した。でもそのすべてがおもしろいくらい良い方向に転がって、今振り返ってみると怖いくらい上手くコトが進んだ。だからこそキューバで過ごした日々も、飛行機を乗り換えるために少しだけ観光したカナダでの日々も、全部が全部俺にとっては非日常の連続で刺激的な時間だった。キューバとカナダでのたくさんの思い出たちを、日焼けした身体の皮がボロボロ剥がれてなくなるのと同じく消えてしまう前に、しっかりと今のうちにこの胸に焼きつけておかなくっちゃ。
相方とふたりでデジカメに撮った写真は10日間でおよそ2,000枚。腕の良くない俺らだからもちろんピンボケやミスショットもいっぱいあるし、似たようなアングルの写真も山ほどあるのだが。そのどれもがその時確実に俺らがその場所にいた証であって、忘れかけた記憶を呼び戻してくれる鍵になってくれるだろう。チケットやおみやげなども含めて、手元に残っている思い出の品々を参考に、できるだけ早いうちに今回の旅行記を書き上げたいと思っている。おそらく超大作になってしまうのは間違いないだろうが。
帰国して数日が過ぎた今、時差ボケこそたいして苦しめられることはなかったが、実は感覚がいまだに戻り切れていない。早く次のステージに向けて準備を進める必要があるにもかかわらず、気がつくとキューバやカナダの思い出に浸っている自分がいる。でも仕方がないことだ。だって本当に楽しくて楽しくて、当分の間はその余韻に浸っていることも含めて旅行の醍醐味なのだから。夏はまだ始まったばかり。幸先の良い今年の夏を、もっともっと思いっきり謳歌したいと企んでいる。



2017年06月27日(火)
Vol.856 キューバに行きたい

おはようございます。りょうちんです。

キューバへ向かう日が目前に迫っている。2年4か月ぶりの海外だから、旅立つ直前のまさに今、テンションがマックスになってしまうのは仕方ない。しかも今回は9日間のロングステイ。今までで過去最長の海外旅行になる予定だ。次の海外はキューバにしようと決めたのは去年の暮れで、あの時は半年以上も先だと悠長に構えていたが、時の流れはやっぱり早い。
半年間も準備に充てることができたのだから、下調べは完璧だと言いたいが。前回のミャンマーに続き、キューバも同じくらい情報が少ない。インターネットからの情報は偏ったものばかりだし、ガイドブックなんてほとんど出回ってない。コアな行程を企む俺らにはかゆいところに手が届かない状態で、作り上げた予定もどこまで順調に実行できるか不安だらけなのだが。それでもキューバまでの往復航空券しか予約していない無謀なプランを引っ提げて、できる限り旅を楽しんでこようと思う。半年間勉強し続けた俺のスペイン語がどれだけ通用するか自信はまったくないが、予定通りにいくかどうかはもしかしたらそこにかかってくるのかもしれない。
ところで、なぜキューバなのか。そもそも、最初にキューバに行きたいと言い出したのは相方である。ミャンマーから帰国後の俺は、東南アジア以外の国にはまるで興味がなかった。キューバのガイドブックを見ても相方がキューバの魅力を切に語っても、俺の心にあまり響かなかった。しかしそんな中、キューバとアメリカの国交が復活された。半世紀以上流れてくることのなかったアメリカの文化や風潮によってキューバがどんどん変わってしまう前に、ぜひ行っておかなければ。そう思うようになったのだ。
社会主義国は、中国にもベトナムにもラオスにも行った。だが市場経済を取り入れていない完全なる社会主義国家は、キューバ以外ないという。医療費や教育費は無料で治安もすこぶる良いキューバは、国民の幸福度指数も相当高い。そんなキューバに一刻も早く訪れてみたい気になったのだ。
出発は今週木曜日。思う存分、キューバを堪能してくるつもりだ。



2017年06月13日(火)
Vol.855 10年後の結婚式

おはようございます。りょうちんです。

今から10年ほど前。当時かわいい高校生だった彼女は、いつも元気で明るく仕事もてきぱきこなす働き者だった。好奇心旺盛で新しい仕事にも積極的にチャレンジして。律儀で面倒見が良く、年下の後輩からもパートさんからも誰からも慕われていた。頭の良い彼女には大学進学という道もあったはずだが、高校卒業後はアルバイトの経験と特技を活かし、調理の専門学校へ進学した。自分の好きなことを極めたいという意思は、固かった。
俺と彼女が一緒に仕事をした期間は、彼女が高校生から専門学校を卒業するまでのたった3年足らずだったはずだ。接点はそれだけ。でも彼女とはその後も年賀状のやり取りや、時々集まる飲み会の席で近況を聞くことができた。ホテルのレストランに就職した彼女はそこで厳しい修行をしたあと、卒業した専門学校で調理の講師となった。教えることが上手で、なおかつ自分の好きなことを仕事にできるなんて、彼女には適任だと思う。
6月の日曜日。俺は新潟行きの新幹線に乗った。彼女の結婚式に出席するためだ。千葉から遠く新潟まで、俺なんかが彼女の結婚式に出席していいのか不安はあったのだが。彼女の「ぜひ来てください!」の声に、足を運ぶことにした。海の見えるチャペルでの式が終わり、そのまま日本海と佐渡島が一望できる見晴らしの良い会場で披露宴が執り行われた。花嫁姿の彼女は、あの頃の面影を残しつつもずっときれいな女性に変わっていた。
「今の自分があるのは、アルバイトで働いた日々が原点です。ありがとうございます!」なんて、改めて言われたけれど。俺は何もしていない。彼女が人生の分岐点だった時に、そばにいただけ。彼女が一生懸命走っている横で、頑張れと声援を送っただけ。頑張ったのは彼女であって、俺はそれを見ていただけ。それでも、彼女がそう言ってくれるのが心からうれしい。あれから10年後の結婚式に招待してくれる心遣いが本当にうれしい。
新潟まで行ったのに、観光はできなかった。だから今度は結婚式に参加できなかったみんなと一緒に、また彼女に会いに新潟に行こうと思う。



2017年06月01日(木)
Vol.854 解放初日

おはようございます。りょうちんです。

「あなたが今までで最も眠り続けたのは、どのくらいの時間ですか?」との問いに、俺は「27時間連続で眠り続けたことがあります!」と答えることができる。別に自慢することではないが、二十歳そこそこの頃は徹夜で遊んで死にそうなくらい疲れて帰ったあと、一度眠りにつくと何時間でも眠り続けていられた。27時間もの間、何も食べずトイレにも起きなかったのだから、いくら疲れていたとはいえやっぱりちょっと異常だった思う。
昨日付けで仕事を辞め、俺は自由になった。これまでの時間的にも精神的にも縛られた日々から、ついに俺は解き放たれたのだ。解放初日の今日の予定を、俺はもうずっと前から決めていた。何もせず、ただひたすらに眠る。過去最長だった27時間という連続睡眠時間を超えるくらい、永遠に眠り続けてやると思っていた。
にもかかわらず。いつもより早めに目が覚めてしまう俺。たった5時間ほどの睡眠で意識が戻ってしまった。原因はまさかの腹痛。昨夜の夕食をたらふく食べたあと、相方が退職祝いだと買って来てくれた大きなケーキまでぺろりと平らげてしまったから、それが朝になってやってきたに違いない。食べ過ぎが原因で連続睡眠時間の記録更新ができなかったとは、何とも不甲斐ない。まぁ年齢を重ねるに連れ睡眠時間も短くなってきているので、どっちにしろ記録更新は難しかった気もする。
一度目覚めてしまうと、真っ昼間から再び眠りにつくのもどうかと考えてしまう。結局本を読んだりくだらないTVを見たりしてだらだらと過ごした。ちょっとだけうたた寝したあと、雨だと言っていた天気予報に逆らったカーテンの隙間からこぼれる夕方の日差しに誘われて、買うものもないのに近くのスーパーまで歩いてみた。雲間からのぞいたまだ色のついていない三日月を見つけただけで、なんだかうれしくなる。心に余裕ができるって、こういうことなのかもしれない。解放初日、当初の予定どおりにいかなかったけど、本当に久しぶりに何もしない一日にすることができた。



2017年05月31日(水)
Vol.853 終わり良ければすべて良し

おはようございます。りょうちんです。

予定通り、本日5月末日を持って俺は仕事を辞めた。自分のロッカーを片付けて、荷物も全部引き上げて、返却すべきものはすべて返却した。立つ鳥跡を濁さず。あとは退職後に必要な書類を後日取りに行くだけ。退職の手続きを順調に進めてくれるかいささか不安はあるが、見事に円満退社まで漕ぎつけることができたと思う。終わり良ければすべて良し。
最後まで職場のみんなには俺がいなくなることを内緒にしたつもりだったのに、最終日の今日、休みなのに会いに来てくれた人もいたし、お別れのプレゼントもいただいた。だから俺は、そっとメッセージを残してきた。
『長い間お世話になりましたが、5月31日付けでこの店を卒業することになりました。突然の報告ですみません。俺が初めてこの店にやって来たのは、1995年の4月だったと記憶しています。当時まだ俺は大学生で、何も仕事がわからない新人アルバイトでしたが、あの時これから20年以上もこの店に身を置くことになるなんて思いもしませんでした。空白の期間はあったけれど、足かけで23年、ここまで長くこの店に携われたのはひとえに一緒に働くことのできたたくさんの人たちのおかげです。ひとりだけの力では、絶対にここまでやってこれなかったと思っています。ぶっちゃけ苦しい時もあったけど、今はただ一緒に働いてくれた人たちへ感謝の気持ちでいっぱいです。心から、ありがとうございました。
人員不足の中で、俺がいなくなることはとても心苦しいですが、みなさんこれからもがんばって仕事に励んでくださいね。これからはひとりのお客さんとしてこの店を利用したいと思っています。その時はよろしくお願いします。俺は遠くに引っ越すわけでもないし、これからも相変わらずこの街にいます。もしどこかですれ違ったら、今までと同じように気軽に声をかけてくれたらうれしいです。
最後になりましたが、本当にありがとうございました。これからも応援しています。さよならそしてありがとう。それではいつか会いましょう。』



2017年04月30日(日)
Vol.852 攻めていこーぜ!

おはようございます。りょうちんです。

この年齢になると誕生日がやって来たからって、昔ほど浮かれることもなくなった。昔は誕生日が来るまで毎日カウントダウンしたり、それまでの一年の反省をしたり、これからの一年をどういう心持ちで過ごそうかとテーマを決めたり。そうやって日々の生活の中のひとつの区切りとして、誕生日はやっぱり特別な日ではあったのだが。40代を迎える頃からかいつの間にかそんなモチベーションも日々の忙しさに紛れ込んで、それほど重要視しなくなっている自分になっていた。
昨日の続きが今日で、今日の続きが明日で、そんな中たまたまその日が誕生日だったみたいにありがたみもなく毎日を過ごすのは、本当は望ましくない。同じ日は二度とやって来ないのだから、その日その日をもっと大切に生きていかなければいけないことは、頭の中では十分わかっているのだが。毎日の忙しさの中で、ココロもカラダもどうも追いついていかない。うん、これは反省しなくちゃいけないな。
そんな誕生日の仕事中、ふと流れてきた曲に耳を傾けた。斉藤和義さんの『攻めていこーぜ!』。以前CMソングに使われていたおなじみの曲だ。「別に大したことじゃない そりゃね失敗はコワイけど 命まで取られるわけでもないだろ 好きなことは譲っちゃダメさ」と、改めて歌詞をじっくり聴いてみるとなるほど元気が出てくる。
曲を聴いているうちに、久しぶりにこの一年のテーマを決めてみようと急に思い立った。この曲のタイトルと同じ、45歳は「攻めていこーぜ!」でどうだ! せっかくもうじき自由に解放されるのだから、いろんなことを攻めてやっていきたい。どう転ぶかわからないのがおもしろいのだから、恐れることなしでがんがんやっていきたい。歌詞の通り、守りはゴメンなのだ。そういうわけで、世界を味方につけちゃうくらいのイキオイで、俺はこの一年を突き進んでいこうと思う。