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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2016年05月31日(火)
Vol.841 春の良き日に

おはようございます。りょうちんです。

いちばん下の弟が産まれたのは、俺が小学6年生の時だった。だから俺とは年齢が12歳も離れている。俺の干支はネズミ年だが、弟も一回り下のネズミ年だ。さすがにその年になっていれば俺もあの頃の記憶をはっきりと覚えていて、弟が産まれた暑かった日や弟が病院から初めて家に戻って来た日はもううれしくてはしゃぎ回っていた。まぁそれだけ年が離れているとさすがに一緒に仲良く遊んだなんてことはなかったけれど、それでも小さな弟のことは大好きだったし、中学生の頃にはちょろちょろし始めた弟のお守りもそれなりに楽しんでやっていた。
あれから30年程の時が流れ、そんな弟もこのGWに結婚式を挙げた。入籍したのは去年の頭だったし、奥さんと一緒に住み始めてもう1年以上経つのだが、奥さんの誕生日に合わせて連休のど真ん中に式の予定を立てたのだそうだ。春の良き日に執り行われた結婚式と披露宴には、たくさんの友人や職場の知り合いも呼んで盛大に開かれ、ふたりの門出には本当に相応しい素敵なセレモニーになった。
披露宴の終盤で、弟は家族に宛てた手紙を読んだ。両親に向けた感謝の気持ちとともに、今の自分があるのは俺ら兄たちがいたからだとメッセージを伝えてくれた。確かに、弟には少し荒れた時代があった。荒れた時代はそう長くはなかったが、それでも何度か警察に厄介になったこともあった。それに追い打ちをかけるように、我が家は火事になり家は全焼した。そんな中、途方に暮れていた弟に将来のアドバイスをしたのが俺ら兄たちだったと言う。あの時の何気ないひとことが、弟にしてみれば最高の道標だったのかもしれない。両親の育て方も兄たちの助言も何もまちがっていなかったし、そのおかげで今の仕事に就き奥さんとも出逢って、こうして晴れの日を迎えることができたと俺らは感謝されたのだ。
涙が止まらなかった。弟がそんなふうに思っていたなんて微塵にも考えたことなどなかった。落とした照明のせいで俺が泣いたことは気づかれてないと思うが、弟が俺の弟で本当に良かったと思う。感謝したいのは、俺の方だ。
弟へ。俺はこれからも何もできない兄かもしれないけど。いつだって俺はふたりの味方だし、応援しているからね。誰よりもお幸せに。



2016年04月30日(土)
Vol.840 桜熱

おはようございます。りょうちんです。

「今夜から降り始める雨は本降りになり、風も次第に強く吹くでしょう。桜にとっては花散らしの嵐。満開の桜も今日が見納めになってしまいそうです!」
桜が見頃を迎えた今月上旬、天気予報で女性キャスターがそう伝えていた。毎年この季節、桜の花の咲く頃になるといつも、TVなどのマスコミでは桜に関する話題で持ちきりになる。ニュースでは今年の開花予想日はいつだとか、今日はどこでソメイヨシノが開花しただとか満開になっただとか。二言目にはほとんど桜の花に関する話題を持ってくるのだ。この季節に咲く花は桜だけじゃないのに。ユキヤナギもレンギョウもモクレンも、桜と同じ時期にきれいに咲くのに。
「桜ソング」なるものもここ何年かのブームだ。昔は今ほど桜を歌った曲は多くなかった。しかし今、毎年春になると何かしら桜に関する歌詞が散りばめられた曲が気がつけば流れている。過去にヒットした名曲と呼ばれる「桜ソング」は確かに存在するけれど、ここまで誰もが桜ばかりを歌っていると、何だかありがたみがなくなる。と言うか、むしろ少し幻滅してしまう気さえもするのだ。
最近の日本の「桜熱」は、やや過剰な気がする。それぞれの花は季節ごとに色鮮やかに咲き、花を愛でることによって四季の移ろいを感じることができる。花は桜だけではない。なのに、桜の花だけがどうしてここまで特出されるのか。
予報通り、夜になって風雨が強まり、本格的な春の嵐が過ぎた翌朝。桜の花も今年はもう見られないだろうと思いながら、通勤途中の川沿いの桜並木にさしかかった。すると、すべて散ってしまったと思っていた桜の花は、激しい雨風に負けずまだまだ見事に咲き誇っていたのだ。信号待ちの渋滞の間、その桜の花を車の窓越しにずっと見上げていた。改めて見てみると、心の底から本当にきれいだと思った。そうか、桜だ。桜はやっぱり特別なんだ。花見といえば昔から桜と決まっているし、華やかながらも儚い桜の花の命は日本の美学の象徴なのだ。だからこそ桜の花だけが特別だということに、花を眺めていて俺は改めて気がついた。
ちゃんとしたお花見は、今年も俺はできなかったけれど。日本人の心を持っている人なら誰でも、桜に特別な思い入れがあっておかしくないのかもしれない。



2016年03月31日(木)
Vol.839 はじめての眼科

おはようございます。りょうちんです。

確か小学1年生から2年生になる春休みのちょうど今くらいの季節、桜がもうじき咲くか咲かないかといった頃だったと記憶している。俺は目のケガをしてしまった。右目だったか左目だったかすっかり忘れてしまったが、目の中に鉄屑が入りそれが眼球を傷つけ、白目の部分がウサギの目のように真っ赤に炎症を起こしてしまった。当時はまだ視力も良かったのだが、炎症のせいで視界がぼやけて見える。そもそも目そのものが腫れてしまっていたので、しっかりまぶたを開けることもできない。朝起きると大量の目やにで目は開かないし、汚い手で触ると余計にひどくなると言われても無意識のうちにこすっちゃうし、近所の薬屋で買ってきた眼帯をやったところでもううっとうしいったらなかった。そんなわけで、両親に生まれてはじめての眼科に連れて行ってもらうことになった。
今なら市内に眼科はいくつもあるし、総合病院にも眼科が備わっている。だがかかりつけの小児科ですら我が家からは車を20分も走らせなければならなかった時代、市内では「羽鳥の目医者」と呼ばれる眼科以外に選択肢はなかった。ただこの「羽鳥の目医者」はすこぶる評判が良く、名医として非常に有名だった。
さて、ここからは一般的な病院や医院の固定観念をすべて捨ててから読んでほしい。「羽鳥の目医者」はかなり辺鄙な農村地にあり、広がる田園を抜けた森の中にぽつぽつある集落に名医は住んでいた。昔ながらの茅葺き屋根の大きなお屋敷が住居兼診療所になっていて、敷地内には庭木がきれいに手入れされていた。広い玄関に入り、三和土で靴を脱ぐ。土間から上がった待合室は畳敷きの和室で、患者たちは部屋の片隅に積まれた座布団を各々持ってきて、そこに正座や胡坐をかいて座って待つスタイルだった。板張りの廊下の奥の診療室はさすがにフローリングで診療台はベッドだったが、部屋の造りは紛れもなく純和風だった。
先日相方にこの話をしたら、たった40年足らず前にそんな町医者が存在していたなんてと、ひどく驚かれた。俺もその時一度しか訪れていないが、確かにかなりインパクトはあった。残念ながら俺が訪れた直後に高齢のため廃業されてしまったと聞くが、そんな町医者がいたら病院嫌いな俺でも行ってみたい気になる。



2016年02月29日(月)
Vol.838 理想的な関係

おはようございます。りょうちんです。

相方のご両親がそろって名古屋から上京してくるという。本来の目的は法事なのだが、せっかくの上京に合わせて都内観光もしたいと言っているそうだ。日頃お世話になっているお礼をこめて、俺も仕事の休みを取って都内観光のお供をすることにした。
とは言うものの、千葉に住んでいる俺がしっかり観光案内できるほど都内の名所に詳しくはない。スカイツリーにだって初めて登ったし、浅草寺や仲見世もきょろきょろしっぱなしだったし、初めて食べたドジョウ鍋も結局ごちそうになってしまった。観光のサポートというよりは、むしろ俺が足を引っ張りせっかくの観光の邪魔になってしまった気がして本当に申し訳ないと思うのだが。それでもお見送りした東京駅の新幹線のコンコースまでずっと笑顔でいてくれたことに、心から感謝の気持ちを伝えたい。俺らと一緒にいられた時間が少しでも楽しかったなら、俺もそれだけでうれしく思う。名古屋と千葉じゃそう簡単に会える距離ではなかなかないが、これに懲りずに機会があればいつでもまた遊びに来てもらいたい。
一方、相方と俺の両親との関係もいたって良好だ。先日も俺と俺の両親と相方の4人で隣県までドライブに出かけた。漁港の食堂で新鮮な魚介類に舌鼓を打ち、そのあとは水族館でみんなで仲良くイルカショーを見た。父や母と相方がお互いに気を遣っているカンジは少なくとも俺にはまったく感じ取れず、助手席ですっかり寝入ってしまった俺を差し置いて車内の会話も俺抜きでずいぶん弾んでいたようだった。
こういうのって、理想的な関係だと俺は思う。義父母との関係で上手くいかなかったり、嫁姑問題で真剣に悩む友達の話を聞いたことがあるが、それに比べたら俺らのなんと恵まれていることか。身内の人間関係に悩むことほどストレスになることはないと思うのだが、俺や相方やそれぞれの両親には、そんな煩わしいストレスの種とは無縁であることを誇りにも思う。このすばらしい関係をこれからも続けていけるように、感謝の気持ちと思いやりの心を忘れてはいけない。



2016年01月31日(日)
Vol.837 ピカピカに輝く5円玉

おはようございます。りょうちんです。

2013年に訪れたラオスの首都、ビエンチャンにて。宿泊していたホテルから帰国のため空港へ向かう手段に、東南アジアでよく見かける三輪バイクの荷台に人や荷物を載せるスペースを設けたトゥクトゥクを利用することになった。街角で暇そうにしているトゥクトゥク乗りのお兄さんと、カタコトの英語ともっとカタコトのラオス語で値段交渉が始まる。俺はここで奥の手を出した。5円玉である。珍しそうにしげしげと5円玉を眺めていたお兄さんだったが、やがてとびきりの笑顔でOKの返事をくれた。8ドルから下がらなかった乗車代が、5ドルと5円玉3枚で交渉成立したわけだ。別れ際、5円玉に紐を通してペンダントにすると言っていた上機嫌のお兄さんに、トゥクトゥクの写真まで撮らせてもらった。
俺の経験上、海外では5円玉がとても重宝する。特に東南アジアの上座部仏教が信仰される国では、どうやら5円硬貨は不思議で魅力的に見えるコインらしいのだ。理由はいくつか考えられる。まず、そもそも硬貨そのものが流通していない国が多い。硬貨=海外のお金なのだから、その分貴重な価値がある。それに、世界的に見ても今現在流通しているコインの中で、真ん中に穴があいたものはほとんど存在しない。穴があいていない10円玉や25セント硬貨よりも珍しく見えるのだろう。また、金色に輝く寺院や仏塔がたくさん存在する国々では、5円硬貨の輝きは上座部仏教を信仰する上でとても縁起の良いコインに見えるのかもしれない。値段交渉の際、ちょっとしたお礼、仲良くなった印などなど、5円玉という黄金の穴あきコインは現地の人との距離を縮める偉大な代物なのだ。
そういうわけで今、できるだけピカピカに輝く5円玉を集めている。調べてみると、平成25年までの4年間は5円硬貨は一般流通用に製造されなかったらしく、どんなに大きな銀行の本店に行っても未使用の5円硬貨は手に入れることができなかった。しかし消費税が8%になることを見越して一昨年から5円硬貨の製造が大幅に増えたようで、ピカピカの5円玉を見つけると決まってそれは平成26年製造か平成27年製造のものだったりする。すでに結構たくさんのピカピカの5円玉が集まっているのだが、実はまだ海外に行く予定は今のところ立っていない。



2015年12月29日(火)
Vol.836 ミャンマー一色

おはようございます。りょうちんです。

まもなく2015年が終わる。振り返ってみると、俺にとって今年はミャンマーに始まりミャンマーで終わったミャンマー一色の一年だった気がする。
年明け早々、まだ正月が明け切る前にミャンマーへ旅行することが決まり、それからの1カ月半は猛烈な勢いで渡航先のミャンマーの情報収集に明け暮れた。それと同時に始めたミャンマー語の勉強。2月半ばのミャンマー旅行中には習得したカタコトのミャンマー語を駆使して、旅の幅が大きく広がった。ミャンマー人以外はほとんど乗らないバスや電車に乗って移動したり、買い物や食事も拙いミャンマー語が大いに役立った。ミャンマーの旅が本当に濃厚に感じているのは、現地のミャンマー人たちとたくさん会話できたことがかなり影響している。
帰国後、調子に乗った俺はさらにミャンマー語の勉強に熱を上げる。車の運転中は常に教材用のミャンマー語のCDを聞き、少しでもミャンマー語を理解できるよう努力した。高田馬場のリトルヤンゴンと呼ばれるエリアを初めて訪れたのは9月。そこにあるミャンマー料理店で、偶然イーイーさんという通訳士の方と知り合う。俺のミャンマー語力は自分では情けないくらいまだまだだと感じたが、イーイーさんは1年足らずでそれだけミャンマー語が話せるようになるのはすごいと褒めてくれた。彼女からの助言と激励が、さらに俺の背中を押してれた。
11月。ミャンマー祭りなるイベントが開催される。このミャンマー祭り、ミャンマー料理の屋台が並んだりミャンマーの伝統芸能のステージがあったりミャンマー各地で撮られた写真が展示されたり、日本にいながらミャンマーのことを触れるには絶好のイベントである。在日ミャンマー人も多く集まるので、俺も喜んで参加した。イーイーさんが歌う舞台は見られなかったが、ミャンマーを訪れた時とは違った文化に触れることができ、さらに俺はミャンマーに興味が沸いた。
ミャンマーにはまたいつか行ってみたい。それはいつのことかまだ予定は立たないが、その時のために来年もミャンマー語を勉強していこうと思う。ミャンマーザガーケッテー、タービーメ、ミャンマーピーテイッチャイロー、チャノーレッラーポセイクーターデー!



2015年11月30日(月)
Vol.835 高校野球は逃げていかない

おはようございます。りょうちんです。

例年ならば。11月の下旬になると高校野球もオフシーズンに入り、それと同時に今年の観戦記録を見返しながら俺の中で一年の総括をおこなう季節である。だがしかし、今年の俺の高校野球試合観戦数はゼロである。実は今年、一度も高校野球を見に球場へ足を運んでいない。去年までは仕事の休みの調整までかけて、遠方でも構わず高校野球観戦に出向いていたというのに。多い年は年間100試合以上も観戦した年もあったというのに。高校野球観戦がいちばんの趣味で、自称高校野球オタクと言っていた俺だというのに。実は、これには少し理由があるのだ。
朝早く起きて目的の球場へ車を飛ばし、スコアをつけながら試合を観戦する。ひいきのチームを応援したり注目の選手をチェックすることもあれば、予想外の試合展開に驚いたりすることもある。確かにどんな試合でも観戦自体楽しくて充実感はあるのだが、何年も同じことを繰り返しているうちに、高校野球観戦は楽しまなければいけないという強迫観念みたいな気持ちが、知らぬ間にココロのどこかに芽生えてきてしまったのかもしれない。もっと肩の力を抜いて高校野球をより楽しめないかと思い始めた時から、それまで続けてきた俺の高校野球観戦のスタイルを一度やめることを常に考えていた。仕事が忙しくなった今春、そしてついに俺は高校野球観戦から距離を置くという選択肢を選んだのだ。
球場に足を運ぶことはもちろん、TVでの高校野球中継からもなるだけ情報が入らないように努力はしていたのだが。正直言って気になって仕方なかったこともあった。特に今年の夏の選手権では、多数の注目選手が甲子園で活躍して世間を騒がせた。事情を知らないバイトくんからは質問されたり、「今年はどこに観戦に行ったんですか?」なんて聞かれたりしたこともあった。
俺から高校野球観戦を取ったらどうなるか、ある意味実験的ではあったが、結果として良かったこともある。高校野球観戦以外にも楽しいことはたくさんあり、趣味の幅がさらに広がった気がする。高校野球は逃げていかない。また観戦したくなったら、いつかふらっと球場まで足を運ぼう。それが来年かどうかはまだわからないが。



2015年10月30日(金)
Vol.834 家を建てる

おはようございます。りょうちんです。

夏草がうっそうと茂り荒れ放題だった我が家の向かい側に、ある朝突然ショベルカーが入り込み土が掘り返され始めた。俺がこの家に引っ越してきてから15年以上もずっと、区画整理だけされてほったらかしにされていた土地だったのに、である。どうやらやっと土地の買い手が見つかり、建売住宅が建てられるらしい。その日から毎日、家を建てる工事が進められた。
一歩家を出ると必然的に工事風景が目に入ってくるのだが、いつも職人さんたちがまさに職人芸のごとく作業していて、これがまたとてもおもしろい。ある日は足場を組む作業をしていたのだが、ひとりの職人さんが下から鉄パイプを投げ、上にいるもうひとりの職人さんがそれを上手にキャッチしてその鉄パイプを組み立て、あっという間に下から順に足場が組まれていった。まるでサーカスみたいで見ていて飽きない。また別の日は高い屋根の上で職人さんが作業をしていて、気づけばただぽかんと見上げている俺がいた。ひとつ間違えれば事故になりかねない仕事ぶりは、無駄なく見事で本当にかっこ良く見える。不動産にはまったく興味ない俺ではあるが、家を建てる仕事ってすごいことなんだなと改めて思う。
俺が中学生の時、実家の建て替えをした。あの時も毎日職人さんが我が家に来て家を建てるために工事していたのだが、作業の邪魔になるからあまり近づかないよう父から言われていた。あの時、今と同じくらい興味を持ったなら。単純な俺は、将来職人さんになりたいと絶対に思っていただろうと容易に想像がつく。
雨の日以外は毎朝早くから、家を建てる工事の音が聞こえる。何をどうするとそんな音が出るのかはわからないが、リズミカルに響く工事の音を騒音だと感じることなどまったくなく、意外にもまだ布団の中にいる俺には心地よく聞こえてくる。職人さん同士で話す会話に耳を傾けると、日本語にまじってタイかどこかの東南アジア系の言葉が話されていた。
2か月以上に渡る工事がほぼ終わり、今どきのおしゃれな家が3軒並んで作られた。まだ買い手は見つかっていないようだが、どんな家族がこの家に越してくるのか。今度はそれが楽しみだ。



2015年09月30日(水)
Vol.833 野菜が高い

おはようございます。りょうちんです。

肉か魚か野菜か。日々の食事の中で、何をいちばん摂取するか考えてみると、我が家ではやはり野菜が最も大きなウエイトを占める。もちろん肉も魚もおいしいし食卓に並ばないわけではないのだが、少なくとも俺は野菜を中心にその日の献立を決めておかずを作ることが多い。煮物にしろ炒め物にしろサラダにしろ、ご飯の友は基本的に我が家では野菜なのだ。その野菜が、今年は非常に高騰している。
涼しかった夏のせいか、9月の長雨で日照不足のせいか、洪水の被害をもたらした台風のせいか。野菜が高い理由はこれ以外にももっといろいろあるのかもしれないが、それにしても驚くほどに高い。レタスやキャベツなどの青物も、トマトやピーマンなどの果実系も、玉ねぎやにんじんなどの根菜類も、リンゴや梨などの季節のフルーツも。一年を通して価格の変わらないもやし以外は、全体的にすべての野菜が例年よりもずいぶんと高い価格で売られている。本当に困ったことだ。
季節が終わる前に買いだめしておこうと、夏の終わりに俺も相方も大好物の冷やし中華の麺をたくさん買い込んだ。にもかかわらず、冷やし中華には不可欠なきゅうりやトマトが高すぎて、まだ食べずに残ったままだ。もうすっかり涼しくなって、冷やし中華の季節なんてとうの昔に終わってしまったというのに。レタスをたっぷりふんだんに使ったサラダが食べたいと暑かった頃からずっと思っているが、それもなかなか実現できないままだ。少ない家計を上手にやりくりしている花まる主婦であろうとも、スーパーの野菜売り場では今はため息しか出ないに違いない。
収穫の秋だ。食欲の秋だ。おいしい野菜やフルーツをもっとたくさん食べたい。そろそろ新米も出回る頃だし、旬を迎えるものが続々と増える季節になるのは心からうれしいと思うのだが、野菜の価格がもっと安くなってもらわないと手放しでは喜べない。お財布と相談しながらスーパーの野菜売り場を回る日々は、まだまだ当分の間は続きそうだ。



2015年08月30日(日)
Vol.832 2015年の夏

おはようございます。りょうちんです。

忙しかったお盆が過ぎて、さらに何日かたってからやっと休みを取ることができた。お盆中には実現できなかった実家への帰省を、数日遅れで実行する。たった一日半だけの、俺の短い夏休み。
今年の夏は、仕事以外のことはほとんどできなかった夏だった。7月になってすぐに無理やり連休を取って2年ぶりの登山で北アルプスを訪れたが、夏のイベントといえば今年はそれが唯一だった。登山以外で遠出することはなかったし、今年は距離を置いている高校野球観戦すら一度も足を運ばず、ただただ仕事に明け暮れていた夏だった。涼しい日が続いた梅雨が明けると一気に猛暑になり、3週間ほど真夏日が続いたあとはお盆前に一気に秋めいたメリハリのある夏だったのに、俺は仕事一辺倒の何ともメリハリのない夏だった気がする。相方みたいに海やプールに行ったり花火を見たり、できることなら本当は俺もしたかったな。
実家の居間に寝転んで、短い夏休みを満喫する。今はアクティブに何か活動するよりは、ゆっくり自分のカラダを休めたい。朝方まで雨が降っていたせいで、窓を開けておくだけで涼しい風が入ってくる。切り取られた四角い窓から見えるのは、緑色に茂った柿の木と夏の空。グレーの雨雲がものすごい早さで流れていって、時々青空が顔をのぞかせる。聞こえてくるのはうるさいくらいの蝉時雨と、扇風機のモーターの音。気がつくと猫も俺の隣で座っていた。父と母が見ているTVからは、ちょうど高校野球の決勝戦が流れてくる。折り畳んだ座布団の枕でいつのまにかうつらうつらしていた俺は、父の「スイカ切ったよ!」の声で目を覚ました。冷蔵庫から出てきたばかりの冷たい果実をかじると、思った以上の甘さが口に広がった。
こんな夏の風景は、昔は俺の日常に当たり前にあったひとこまだった。小学生くらいまでは退屈でつまらないと思っていたのに、今ではこれもすごく貴重な体験だったんだなと思えてしまう。久しぶりに味わう懐かしい夏。
俺の2015年の夏は、こんなふうに過ぎていく。我慢の夏、辛抱の夏。仕方ない、今はじっと堪える時期なのだ。つらくたって、まだまだ俺はがんばるからね。