こんなこと・あんなこと

2002年11月04日(月) 小泉淳作記念館

小泉淳作さんを特集した番組を見て感動した友人の「連れてって!」の言葉に、11月3日、総勢6名で中札内村小泉淳作記念館に行ってまいりました。
京都建仁寺の天井画「双龍図」の制作現場となったのが中札内村です。記念館にはこの「双龍図」の下絵のほか、初期の油絵と、大作「鳥海山」や「かぶ」などの日本画、挿絵が展示されています。

入り口横で、NHK日曜美術館で放送された小泉さんの番組のビデオを見ることができました。これが、感動物です。完成間近の「双龍図」、和紙の水の含み加減が下絵と異なり、雲の表現に納得がいかない小泉さん。「難しい」とつぶやきながら、小筆を使ってポツポツと墨を置いていくことにしました。白とねずみ色の微妙な境界を補正していくのです。気が遠くなるような作業です。芸術家だなあ。

量が量だけに墨をするだけで大仕事です。しかし、いい墨。塗り重ねていくと、光沢が出てきます。同じ墨だと思うのですが、それを水の含ませ方を変えて、淡い雲まで表現するわけです。

いつか京都建仁寺に小泉さんの「双龍」に会いに行きたい!!



2002年11月03日(日) オークション

ヤフーのオークションをときどき利用します。
初めのうちはもっぱら息子のおつかいでした。私の方がパソコンの前にいる時間が長いので、「最高価格はこれこれで、これに入札しておいて」と指示されて、わけのわからない雑誌だの、CDだのと数点、入札しました。
終了間際の攻防は、なかなかスリリングです。自分はここまで、と決めて値を入れるので、まず熱くなることはないのですが、世の中、「これをどうしても手に入れたい」と思う方もいらっしゃるわけで、私(というか息子)が設定した金額の倍以上になるものもあったりします。

ここ数週間で私がオークションで手に入れたのは、息子のおつかいで「DJミキサー」、これは2000円。
次が、子供たちの家のFAXフォン(10年近く使っていたもの)がだめになってしまって、その替わりにと探したFAXフォンが5000円。
続いて、ずっと欲しかったアジザ・ムスタファ・ザデ(カテゴリーで言えばジャズかな)の「ジャジザ」というCD。これはCDショップでも手に入るものだけれど、オークションで新品が300円ほど安く売られており、しかも送料込だったので、迷わず入札。

今のところ、お金を送ったけれど品物が来ないとか、とんでもない品物だったということもなく、そこそこの買い物ができているかなというところ。
アジザ・ムスタファ・ザデのCDは、もう最高です!!



2002年11月02日(土) 肉体関係

ちょっと過激、もとい、かなり過激なタイトルですが、内容はどうってことないお話です。

地方での仕事となると、30分、1時間と車のハンドルを握らなければならないわけで、そんなときのお楽しみはラジオに限ります。もっぱらFM−ノースウェーブを流しています。
ノースでは国民的にヒットしている曲はまずかからず、よって平井堅の「大きな古時計」もモーニング娘が今どんな歌をうたっているのかも、全然知りません。

そのノースで最近よく聴くのがこの「肉体関係」(正式には「肉体関係PART.2)。初めて聴いて、もうはまってしまいました。
この曲が収められているCDというのが、「Rhymester/ウワサの伴奏〜AND BAND PLAYED ON」。グループ名Rhymesterはライムスターと読みます。

「肉体関係」のコメントをWeb上で探すと、次の記述が見つかりました。
「CKB(クレイジーケンバンド)のインスト曲にラップを入れた逆フィーチャリング曲「肉体関係part2」。横山剣さんもラップしていて、これが良い!」
そうそう、そうなの、そうなの……。

CDも買いたいのだけれど、もうすぐレンタルが開始になるので、まずはそっちでと思っています。

しかし、パソコン用語も難解でついていくのがやっとなのに、最近の音楽業界の用語もなんのこっちゃって感じですななあ。



2002年11月01日(金) 腋にゆったり

趣味で野生動物の写真を撮っているKさん。このたび某所でミニ写真展を行うので、パネルの下に掲示する説明文を打ってほしいといらっしゃいました。

数枚の説明文の一つ、ゴマフアザラシのものです。
「知床の浜辺で、腋にゆったりと眠っていた!」
私は「腋(わき)って、この字をわざわざ使うかな」と思いながらも、ゴマフアザラシの赤ちゃんがお母さんの腋に寝そべっている姿を想像して打ち込みました。

受け取りに見えたKさん、「この月夜(つきよ)の字だけ、もう少し離してくれるかな」とおっしゃったそうです。私はちょうど出かけており、応対したうちのスタッフのSは、もう吹き出しそうになったのですが、同時に、Kさんはとてもよい人だと思ったそうです。ホントに!!

思い込みで打ってはいけないと、常日頃、皆の者を指導する私ではありますが、こういうこともあるわけです。皆さん、気をつけましょう!!



2002年10月31日(木) うれしかった!

池田のサークルの学習会でした。メンバーのBさん(お歳は70歳前後だと思います)は、補聴器をつけていらっしゃいます。集団の講習についていくのは大変です。家のパソコンと学習会場のパソコンが違うこともあり、「家で同じようにやろうと思っても、なかなかうまくいかない」とかねがねこぼしていました。「31日なら時間がとれるので、会が終わってから見にいってさしあげますから」と約束していたのでした。
学習会が終わって、Bさんが運転する車の後を私もついて行きます。

Bさんのお宅の茶の間にセットされたパソコン。Bさんは囲碁が趣味で、インターネットで対局なさるそうです。その操作には特別困っていないのだけれど、印刷がどうにもうまくいかないとおっしゃいます。そして、IMEのツールバーも。

IMEの方はATOKになっていただけで、これはIMEを既定に設定して終了。
プリンタについてはテスト印字してみると、確かに黒だけ印刷できません。ヘッドクリーニングを何度か試みても状況は変わらず、「インクだけの原因ではないかもしれないけれど、ひとまず今度来るときに、インクを買ってきてみますね」ということで、診断終了。

さて帰ろうかなと思ったところへBさん、「すまないけれど、ビデオの調子も悪くてみてもらえるだろうか」とおっしゃいます。日付と時刻の設定を直せばいい状態なのはBさんもわかるのだけれど、どこをどうしたものか…、ということでした。
しかし、説明書がない! あるのはリモコンだけ。メニューと書いてあるボタンを見つけてあれこれ試行錯誤の上に日付の設定までたどりつくことができました。直りましたよ!! ニコッとうれしそうなBさん。

ぽつぽつお話を伺うと、奥様を昨年亡くされて一人暮らしだそうです。車の運転には支障ないようですが、足も少し不自由です。でも、身の回りのことは全部自分でやっていらっしゃるそうです。
そのBさん、お茶とケーキを勧めてくれました。「Bさんも甘いものお好きなんですか」と聞くと、「私は全然…」と。私のために買って用意してくださったのだと思うと、涙が出そうでした。



2002年10月28日(月) 堀知事

夕方、道銀に寄った帰り、信号待ちをしていると、商工会議所のKさん、Hさんがやってきて、ごあいさつをしているところに市役所のYさんもやってきて、「これはこれは皆さんお揃いでどうしたの?」と聞いてみると、GATE(広小路にオープンしたチャレンジショップ)に堀知事が来るので、動員されたということらしい。「博子さんも行こう」と誘われて、ちょうど空き時間だった私、一緒についていきました。

GATEの2階のトリニティ・カフェ(ケーキセット450円がお勧め)がお気に入りで、オープン後もちょくちょく通っている私。知事がお見えになるまで、やっぱりケーキでも食べながら待っていようということになり、市役所Yさんとカウンターに。
半分ぐらい食べたところで知事のおなーーりーー。
堀知事、GATEの1階をぐるっと周られた後、2階に上がってこられ、なんとお付の方に「コーヒー飲んでく時間ある?」と尋ねられ、私の横におかけになったのです!!名刺もいただいてしまいました。カウンターには市役所Yさん、私、知事、建築家のKさんという順で座っており、しばし街づくり談義となったのでした。
お付の方に「知事、そろそろ時間です」と促されて去っていかれました。

笑った話。
GATEにお店を出しているNちゃんと市役所Yさんの会話。
「知事が来るんだよ」という話を聞いたNちゃん。「エッ、石原裕次郎が来るの?」。「東京都知事は石原慎太郎だよ。来るのは北海道知事」「エッ、北海道にも知事っているの?」と言っていたらしい。まだ選挙権のないNちゃん。知事の名前を知らなくっても商売はできる! でも、おばさんとしてはこの国の行き先を思うと、ちょっぴり心配になってしまうのでした。



2002年10月26日(土) 121001938

昨年入れ替えたパソコン4台のうちの1台が、ときどき起動しないときがあり、あれあれーーと思っていたら、ついに全く起動しなくなりました。こりゃあハードディスク(HD)がいかれたな。HDだけじゃないかもしれないし、まずはNECフィールディングに持ち込むか。
でも、待てよ、NECのホームページに不具合の情報が載ってるかも、と調べてみるとドンピシャ。PC−MA66Hのハードディスクの一部に不良品があるとのこと。該当品は無償交換という項目を見つけ、早速電話をかけました。

ここからが大変。動かないマシンの型名、製造番号を控えて電話をかけたのですが、ほかに3台あることを伝えると、その型名、製造番号も教えてくれとのこと。確かに、確かに。電話の線を思いっきり延ばし、パソコンの裏側に回りこんで小さい数字を読み上げていきます。はあーーー。
結局、該当するのは1台だけと判明。これは日通さんが回収に来てくれるということです。

苦労して伝えた製造番号だったのに、翌日サポートセンターから電話があり、「製造番号をもう一度お確かめいただきたいのですが」とおっしゃる。「12100193Bではないでしょうか」と。最後が「8」ではなく、「B」ではないかと。確かによく見てみると「B」でした。
「12100193B」と「121001938」という二つの製造番号が存在するとは思えないけれど、コンピュータはあいまいは受け付けないからね…。
とにもかくにも無償交換でよかった、よかった。
サポートセンターさんは、こういう事態が起きると大変だろうなあ。この処理のために何人の人が動いていることか…。

うちはパソコンが何台もあるので、1台の不具合で仕事がストップしてしまうことはないけれど、そうもいかない事務所も多々あると思います。どうしてくれると怒っちゃう人もいるだろうな…。そういうこともある、という前提で使うのがパソコンなのだけれど。



2002年10月25日(金) 人材

午前10時からホテルノースランドにて開催の「帯広市シルバー人材センター設立20周年記念式典&祝賀会」に出席。
センターさんには会員の皆様対象のパソコン講座でここ数年お世話になっており、鳥越理事長を初め、会場には知った顔がたくさん。式典は永年継続会員の表彰、砂川市長を初めお歴々の祝辞と厳粛な雰囲気で進みました。

会場を移しての祝賀会は、うってかわってにぎやかなものでした。本当に人材センターです。こういった催しは任せとき、の人材も豊富なわけで、司会の方もおそらく会員さんだと思われるのですが、とても場慣れしていらっしゃいました。祝吟あり、大正琴あり、日本舞踊あり、最後はキャンドルサービスか、と思うほど、本当に華やかな祝賀会でした。

何度か講座でお目にかかっている会員さんがかわるがわる私を訪ねてくださり、なんだか同窓会で生徒に挨拶される先生の気分でした。実際、そうかもしれないのですが、会員さんは私の恩師、父母と同年輩の方ばかりなのですから、なんだか落ち着かない気分でした。

私のお隣には会員歴が一番長いというMさんがお座りでした。Mさん、おもむろにポケットから金時計を取り出しました。「すてきな時計ですね」と言うと、裏を返して見せてくださいました。桐の紋と「内閣総理大臣」と刻まれているではありませんか。Mさんが取り出したのはこの金時計だけではありません。数年前に撮影されたとおぼしき胸ポケットに5つぐらいの勲章をつけたハガキ大の写真、さらに、数十年前のものとおぼしき同様の写真、さらにさらに六、七十年前の軍服姿の写真まで! 恐るべしMさん。
やっぱり人材に事欠かない人材センターさんでした。
とにもかくにも20周年、おめでとうございます!! 



2002年10月24日(木) プリンタを買いに

買ったのは私ではなく、生徒のKさん。Kさんは1週間ほど前にこの秋モデルのNECのノートパソコンを購入(LaVie T LT500/4D インテル(R) Pentium(R) 4 プロセッサ 1.50CGHzだよ)。いいな、いいな。
プリンタを決めかねていて、あれこれ相談されていたのですが(パソコンを決めるまではもっと時間がかかったのですが)、結局CanonのPIXUSに決めました。決定に至るまで、あれこれカタログを比較検討。それもお勉強のうちと、レッスンを兼ねての話し合いを持ちました。

さて、決めたはいいが、免許のないKさん。さらに、プリンタもドライバのインストールや何やら、つないですぐに使えるといえば使えるけれど、超がつく初心者のKさん、一連の作業を自分でやる自信は全くないわけで……。

結局、私が運転手&ポーターを兼ねてお店までお連れすることにしました。パソコンは教室に置いたまま出かけました。あれこれ設定は買ってきてから教室で、これまたお勉強を兼ねて、やりましょうということになりました。

車でショップまで行き、買い求め、戻ってくるまでに多分15分程度。
ここからプリンタの初期設定をあれこれ行い、パソコン側にドライバをインストールし、テストプリンタに至るまで、約1時間かかりました。

Kさん、USBケーブルをつなぐだけでも大騒ぎ。家に帰ってからの作業を考えて、私、ケーブルにプリンタ側の差し込み口の上の部分に○にプと書き、パソコン側の口には○にパと書いて差し上げました。
一つ一つのハードルをゆっくりゆっくり越えて、テストプリントまでこぎつけたときの喜びは、さっさかやってしまえる人よりも、数倍大きいに違いありません。

1日では覚えきれない、明日また来ますとプリンタを置いて帰ったKさん。初めのうちは「自分はパソコンを覚えるのに1年ぐらいは絶対かかる」と言い続け、「そんなこと絶対にありませんから」という私の言葉を信用していただけませんでした。プリンタを買った今日は、Kさんがパソコンを始められてから49日目でした。



2002年10月23日(水) こんなところで

久々に地方で速記のお仕事でした。某お役所の「地域の○○情報」(そう秘密のものでもないけれど)作成のために、地域の行政担当者と住民との意見交換会というもの。そこに、先月までスクールにお通いだったMさんがいらっしゃいました。町内会長さんだそうで、その縁で呼ばれたそうです。

普通速記者は黒子に徹するものなのですが、会議に参加される方と親しくお話をしてしまいました。「その後も、デジカメの写真の取り込みにチャレンジはするのだけれど、ちっとも思うようにいかなくって、また通いますから」とおっしゃいます。
速記だけで食べていけていたら、本当に黒子で終わってしまうのだろうな。今は人に会うのが仕事のようなもの。人と接する仕事はちょっと苦手だなと思って選んだのが速記だったのに、人生わからないものです。


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Hiroko Watanabe [MAIL] [HOMEPAGE]

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