こんなこと・あんなこと

2002年06月02日(日) 同口型異義語(どうこうけいいぎご)

昨日の6月1日は毎週土曜日午後、12回にわたって開催される「要約筆記者養成講座」の第1日目でした。
「要約筆記」は、聴覚に障害を持った方のために話の内容を要約し、書いて伝えようというものです(そのまんまですね)。ノートテイクといってノートに書く方法(これもそのまんま)、大きな会場だとOHPを使用してということだそうです。
昨年のIT講習会でたまたま聴覚障害者を対象に、手話通訳付きという講習を担当しました。手話も覚えなきゃなと思ってはいるのですが、これはなかなか大変です。要約筆記なら、何とかいけるかもしれないと思って参加した次第です。

1日目の今日は聴覚障害者の日常を理解しようというテーマで、突発性難聴で人生半ばにして音を失ってしまった方お二人の話をお聞きしました。現在は、自分の声を聞くこともできないのだそうですが、淡々と病気に至った過程、直後のご自身の気持ち、家族の様子、日常生活のあれこれを語ってくださいました。
お二方のお話の後、さらにビデオを見ました。ビデオに登場した設計事務所を経営する男性は、読話(どくわ)を身につけ、常日頃顔を合わせる人であれば、向かい合って話をする分には、口の動きでほとんど読み取ることができるのだそうです。ただ、同音異義語というのももちろんあるけれど、口の形は同じだけれど、違う言葉、例えば「タバコ」と「タマゴ」のような同口型異義語も多く大変だということでした。同口型異音語と言ってたかもしれない。はて、どっちだったかな。



2002年06月01日(土) 新技(しんわざ)

マウスの操作にまつわる技のあれこれ、つい先日の「定規使用法」や、「右手で固定、左手でクリック法」。はたまた「机が足りない」と机のせいにしてしまう方法や・・・。
今日お越しのHさん、新技を見せてくださいました。
Hさんのマウスはボール式ではなく、光学式のもの。マウスパッドはボール式に対応していて少しざらざらした感触のものが多いのですが、Hさんがお持ちになったマウスパッドもボール式用のもの。光学式のマウスをこの上で操作するのは少しやりづらいのは事実なのですが・・・。
Hさん、マウスを操作していてお持ちのノートパソコンにくっつくところまで来てしまいました。そこで、Hさん、パソコンの方を左に動かしたのでした。
マウスが思うように動かないときはパソコンの方を動かしてしまえという大胆な発想に拍手。



2002年05月31日(金) アクシデント

浦幌町IT講習6回の講座の最終日。今日はメールの実習。T先生がメイン講師で私はサブ。
T先生「では、アウトルックエクスプレスを起動しましょう」。すると、あっちの画面もこっちの画面も「設定ウイザード」になってしまい、「あららら・・・」。
昨年度、何度も講習で使用していたOEのアカウントがなくなってるなんて。
ここで、急遽、メールの設定を皆さんにやっていただくことになり、さあ大変。
どうなることかと思いきや、「これからあれこれ入力していただきますが、1文字でも間違うとメールのやりとりができません。絶対に間違わずに入力してください」というT先生のお言葉に、皆さん真剣そのもの。
0(ゼロ)とo(オー)を間違った方が数名、jpをipとしてしまった方が1名。パスワードの入力で「****」となってしまって驚きの声があちこちで上がったけれど、ここも何とかクリア。
15分ぐらいですべてのマシンの設定を無事終えることができ、実際のメールの送受信の段でミスが判明した方は1名だけ。
いつもは送信先のメールアドレスを入力するところで大騒ぎなのに、さすがに今日はそこはすんなり進み、たまにはアクシデントもいいものだと思った次第。



2002年05月30日(木) 定規

ここは普通、定規を使って書くでしょうが、というような場面でもフリーハンドでふにゃふにゃの線を書いてしまって後悔することが多い私。
手近に定規がないときに、フロッピーを定規がわりに(フロッピーはそこらじゅうにあるので)線を書くこともよくあるのですが・・・。
今日は今週火曜日から始まった、とある高齢者団体のパソコン講習の2日目でした。マウスに慣れていただくことを主目的にペイントに取り組みました。
ツールボックスの鉛筆、ブラシ、エアブラシと説明して、まずはフリーハンドで自由に書いていただきました。「幼稚園の子供より下手くそだな」と言いながらマウスと格闘する人あり、「へのへのもへじ」を書く人あり。
そんな中、Iさんのマウスパッドの半分がテキストで隠れてしまって操作しづらいように見えました。テキストをよけて差し上げようかと思った瞬間、画面を見て納得。Iさんはテキストを定規がわりに(マウスをテキストに当てて、ドラッグしていたわけ)、直線を書こうとしているところでした。納得すると同時に、私は吹き出してしまいました(Iさん、ごめんなさい)。
「まだ説明していなかったのですが、ツールの直線を使えば簡単に引けるんです」とお伝えすると、Iさんも大笑い。
マウスを定規に当てながら動かす、という発想はなかなかナイスです。楽しい、楽しい講習会です。



2002年05月26日(日) 床屋のおっちゃん(長文)

午前中は職業能力開発協会の検定試験でした。受験者の皆様、お疲れさまでした。
午後は私の所属するDV(ドメスティックバイオレンス=夫・恋人からの暴力)被害者支援組織「駆け込みシェルターとかち」の総会並びに講演会でした。
スクールには何の関係もない話ですが、講演会のお話がとてもよかったので、皆さんにもお伝えしたく、この日記に書かせていただきます。

道立緑ヶ丘病院の児童精神科田中先生のご講演でした。演題は「DVの子供に及ぼす影響」というものだったのですが、医学的見地から暴力に走る人間の心理や、その中で育つ子供への影響を語ってくださいました。とても勉強になりました。

講演後の質疑応答の中で、困難な状態に置かれている子供たち、その後の親子関係をあれこれ語ってくださった部分が胸に染み入るお話でした。

田中先生のお知り合いの女性の方のお話です。お知り合いの方を仮にKさんとしておきましょう。Kさんは何かといっては暴力を振るう父のもとで育ちました。父の機嫌が限界状況に達してある日、幼いKさん姉妹は「出ていけ!」と言われます。家を出されたものの、寒い日で、行き場に困って近所の床屋さんに助けを求めたのだそうです。
夫婦仲が悪いのは近所でも噂になっていたので、子供たちを迎え入れた床屋のおっちゃん、ほとぼりが冷めるころまで置いてくれました。その後、Kさん姉妹は、両親の喧嘩が始まると、床屋のおっちゃんのところに身を寄せるようになります。床屋に置いてあるマンガを読んだりして時間をつぶしたそうです。
そういうことが何度か続いたある日、この床屋のおっちゃん、Kさんの家に乗り込んで行ったそうです。「夫婦喧嘩はともかく、その間、子供たちがどんな気持ちでいるのかあんたたちは考えたことがあるのか」と。さすがのKさんの父親も、少しは反省したようです。しかし、そう簡単に人間変われるものではありません。

こういう劣悪な家庭環境にあっては、赤の他人はとんでもない両親の元から子供を引き離した方がいいに決まっているとか、夫婦にしても別れるのが一番と勧めることでしょう。それがそう簡単にいかないのが家族で、Kさんも父親を恨みこそすれ、病気になったら「それみたことか」と思いそうなものだけれども、そうではなかったというお話をされました。

Kさんは長じて何年もの間、実家に帰ることをしなかったそうですが、ある日、年老いた父親が怪我をして入院し、それが原因なのか痴呆のような症状が出てしまい、どこか病院を紹介してほしいと知り合いの田中先生に連絡をよこしたのだそうです。あんなにひどい父親に対して、そんな気持ちになるものなのかと驚いたそうです。父親の方も、病気が回復してから田中先生に連絡をよこしたのですが、こちらも「娘が大変お世話になっているそうで」というもので、これまたびっくりしたと言っていました。

家族の関係は他人がとやかく言えるほど簡単なものではないということと、育てられる者が、育てる側に回ったときに、見る目が変わるということ。長い年月がかかるかもしれないけれど、わかりあえるときがくることもあるということ。
もちろん、ケースバイケースで、例えば命にかかわるような重大な事態になってしまうこともなきにしもあらずなので、「待つ」だけではどうしようもないこともあるけれども。

辛い子供時代を送ったKさんは、「本当にひどい父親だったけれど、床屋のおっちゃんが心の支えだった」と語ったそうです。床屋のおっちゃんがいてくれると思うと頑張れたと。

田中先生は、今の世の中、人に何かを言ったら刺されるかもしれない、なんということもあるのは事実だけれど、それでもこの床屋のおっちゃんのようでありたいと言われました。

SOSをキャッチするにも能力が要るわけだけれども、発せられたSOSに反応する人間でありたいということでしょうか。
育てられる者から育てる者へという表現も心に響きました。今の世の中、幾つになっても「育てられる」側で居続ける人も多いのだろうな。さて、皆さんはいかがですか?



2002年05月25日(土) 街をきれいに

街中の商店街で組織する「中心部活性化協議会」では毎週第1土曜日を商店街の一斉清掃日と決め活動することにしました。
今日は第1土曜じゃないけれど、まずは全員参加でお掃除しようと、朝9時、藤丸前に商店街関係者、市役所関係者(砂川市長を初め)、商工会議所関係者、JC・・・、100名ほどが集まりました。
お天気もよく(午後からはまたとんでもないお天気でしたが)、一人でやると大変なことも、こうして仲間とおしゃべりしながらだと楽しいとさえ思えてしまうから不思議です。
今年は平原通りが北海道新聞の事業で花街道になる予定です。スクールの所属する北平原通り商店街も美化事業でお花に力を入れることにしていて、来週、みんなでポットにお花を植えます。
お掃除は大の苦手だけれど、何でも「みんなで楽しく」ということは好きな私です。



2002年05月24日(金) 停電

昔はよく停電したものです。工事のために日曜日の午前中いっぱい停電ということもよくありました。田舎だったからかなあ(帯広から25キロ東の池田町、時は今から30年以上前)。
実家は鉄工場なので発電機があり、停電とはいっても、テレビを見ることができ、そのときだけは「鉄工場に生まれてよかった」と思ったものです。
今日は午後、とかちプラザで講習会だったのですが、2時少し前、突然蛍光灯が消えました。いわゆる大気が不安定な状態。雷も鳴っていました。そのせいでの停電かどうかは定かではありませんが。
コンピュータは無停電電源装置(UPS=Uninterruptible Power Supply)のおかげでブチっと切れることはありませんでした。しかし、電源が不安定なまま、コンピュータを使い続けるのはとても危険なので、とりあえずシャットダウンしていただきました。このまま電気がつかなければ、今日の講習会の分をどこかで調整しなければ、と頭をかすめ、とりあえず10分間の休憩を入れました。休憩中に電気が回復し、やれやれ。
札幌方面では落雷被害も数件あったようです。そのうちの1件が息子のアルバイト先のスーパーマーケットに大当たり。幸い、けが人は出なかったようですが、そこから数キロの小学校では落下物が当たってけがをされた方もいらっしゃるようで、自然の力はかくも恐ろしいのです。
「コンピュータ、電気がなければただの箱」を実感した1日でした。



2002年05月23日(木) フリーセル31465番

フリーセルを1日10問が私の日課。32000番からさかのぼって挑戦中。いったんはあきらめた31465番にここ数日、またまたチャレンジ。いいところまで行くのにやっぱりだめ。
このままでは仕事にも支障を来す(決算期なもので)と、フリーセル解答集のホームページを見てしまいました。簡単に上がれました。悔しい!!
これで現在30230番まで全問クリア。自力で解けなかった1問はテストでカンニングしたような気分。汚点だーーー。



2002年05月22日(水) デマメール(jdbgmgr.exe)

この世にデマメールなるものが存在するのは知っていたけれど、まんまと引っ掛かってしまいました。
友人から次のようなメールが届いたのです。
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アドレスブックがウィルスに感染したので、私も調べるように言われました。このウィルスは電子メールを送付したかどうかにかかわらず、アドレスブックに登録されているすべてのアドレスに感染するそうです。ウィルスは jdbgmgr.exeという名前で、14日間静かにしていてシステムを破壊します。ノートンやMCAfeeのワクチンソフトでは検出できません。ウイルスバスターもダメです。メッセンジャーを通して自動的にアドレスブックにあるアドレスに送付されます。私も下記の要領で調べましたところ、感染していましたので、削除しました。恐れ入りますが下記の要領でプログラムの存在を発見し、削除し、アドレスブックに記載されている人すべてに警告してください。
―――――――――――――――――――――――――――――
友人はファイルの削除に今ひとつ自信がなく、私のところに電話をかけてきました。この段階で私が「それはデマメールだよ」と言ってあげられればよかったの、全く情けない限りです。
私もメールを真に受けてjdbgmgr.exeなるファイルをあっさり削除してしまいました。削除してから、念のためインターネットで「ウィルス jdbgmgr.exe」で検索すると、これまたあっさり「デマメール」だとわかった次第。なんてこった! 念のためのチェックを先にしていれば、どうということはなかったのに。
もちろん、この手のメールは無視すればいいわけですが、世の中、本当にたちの悪いコンピュータウィルスも存在するわけで、常にアンテナを張っていなければ…。
アドレス帳の知り合いすべてに2回もメールを書かなければならなかった友人はさぞかし疲れたことだろうな。



2002年05月20日(月) アルバム

私の友人のとてもまめーーで、きれい好きなOさん。写真もよく撮ってくれます。写真がたまるとコメントやイラストを添えたアルバムにしてプレゼントしてくれます。大ざっぱでお片付け能力ゼロの私には、こんなうれしいプレゼントはありません。
子供たちが小さかった頃、それなりに私も写真を撮りました。が、あっちの袋、こっちの袋と未整理のまま。子供はどんどん大きくなるから、未整理の写真も日付順にソート(並べ替え)するのはそう難しいことではないけれど、育ってしまった大人の写真となると、難しい。整理がめんどうだからか、カメラを持ち歩くこともめっきり減っていたのに…。
こんな私もデジカメ(デジタルカメラ)のおかげで、撮った写真を整理して、翌日にはホームページにアップすることができます。だからって、片付け上手とは言わないわけで、ただの物好きでしかないのだけれど。


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Hiroko Watanabe [MAIL] [HOMEPAGE]

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