LORANの日記
DiaryINDEX|past|will
2007年08月01日(水) |
富士市へ帰りました。 |
千葉・外房の九十九里海岸は霧が出ていました。
梅雨から今頃まで、日の出頃から濃い霧が発生します。
携帯電話の送信塔の上部は、濃い霧で見えないほどです。
今朝は近くの、今泉海水浴場付近で瞑想しました。
サーファーも今朝は数人だけしかいない、静かな海でした。
ゴーゴーと絶え間なく轟く海鳴りは、私をいつも圧倒します。
そこから車で5分のところに、農家の野菜販売所があります。
カマボコ型の温室のような建物の中に、今朝採れたばかりの
みずみずしい野菜が並べられています。
ここで毎朝のように、とうもろこしを買っています。
今朝は6本買って、富士市の娘宅への土産にしました。
朝取りのとうもろこしの美味しさは、びっくりするほどです。
先日退院してから、車に乗ることは極力避けてきましたが、
今日は移動日なので、高速道路をゆっくりと移動しました。
途中数回工事渋滞の警告がありましたが、徐行しただけで、
一箇所も工事がありませんでした。
8日の病院の診察日まで、富士市にいます。
ここ数日間の不順な天気が、回復してきました。
いま外房では、薄日が差し始めたところです。
今朝、仲間の二人から富士登山のメールがありました。
須走り登山口から、携帯電話で撮った写真が添付されていました。
この天気なら、今回の富士登山は成功疑いなしでしょう。
山頂からの大パノラマも、きっと楽しめます。
私が富士登山したのは、48年も前のことです。
当時中学生だった私は、高校生だった兄に誘われて登りました。
兄は2回目の登山だったので、安心してついていきました。
登山靴などは無く、御殿場口途中の砂走りのため、地下足袋でした。
行きは大雷雨でしたが、帰りは好天に恵まれました。
富士山山頂からの眺めは、さすが日本一だと思いました。
地元富士市に住んでいると、富士山と東の愛鷹山(標高1500m)が、
ほとんど同じ高さに見えますが、山頂からだと足元にうずくまって
いるように見えて驚きました。
8月になり、お盆過ぎになると、富士山に登る人は少なくなります。
海が次第に荒れててくるように、山も天候が変わりやすくなります。
富士登山の季節が終わると、富士山に静けさが戻ってきます。
10月になり、空気が澄み切ってくると、空はとても高くなります。
雲が無く、月も見えない夜、富士山5合目まで車で行きます。
シートや毛布を持って、駐車場からしばらく登ります。
適当な平らな場所を選んで、そこへ横になります。
空には満天の星が煌めきます。
「天の川」の小さな星が、一つひとつ数えられるほどです。
しばらく、別の世界にいるような気分になります。
あの星空を見てから、もう10年が過ぎ去っていきました。
昨夜は、にわか雨と雷鳴が轟きました。
上空に寒冷前線があるためだそうで、各地で影響があったようです。
ここ千葉・外房では、大雨と呼ぶほどではなく、雷鳴も多くはありま
せんでした。
梅雨明けしたと思っていましたが、昨日から厚い雲に覆われています。
7月も、今日と明日限りになりました。
今年も、5ヶ月余りになりました。
時の流れを早く感じるのは、老人の特徴かも知れません。
時は、自分の感性が決めると思います。
太陽の動きから、1日を決めたのでしょう。
太陽が作る影の位置から、1年が決まったのでしょう。
それ以外の時は、最初は要らなかったと思います。
多分、文明が発展して、権力者が命令を徹底するために、時間が細分化
されたのだろうと思います。
時間を定めたことで、時間に使われているのは、本末転倒でしょう。
これはお金についても言えることで、ツールであるお金に使われている
のも同じでしょう。
便利になることは悪いことではないでしょうが、いつの間にか、どちらが
主人公なのか、分からなくなっていませんか?
例えば、車があれば便利です。
しかし、便利以上に、経済的、環境的、健康的な面で、デメリットの方が
多ければ、止めなければなりません。
それでも、見栄や便利を優先しているなら、酒やタバコと同じように、
中毒症状であると言えるでしょう。
このような観点で現在の生活を見れば、殆どの人が中毒状態であることが
分かります。
この中毒状態を推進しているのは、消費経済であり、マスコミです。
自分にとって、本当に必要なものはなにかを、真剣に考えなければなりません。
今日は参議院選挙の投票日です。
日本国民には三大義務と三大権利があります。
三大義務は勤労、納税、子供に教育を受けさせることで、
三大権利は生存権、教育を受ける権利、参政権です。
参政権とは、国民が主権者として、直接又は代表者を通じて
間接的に国の政治に参加する権利のことをいいます。
今日の選挙の投票は、国民の権利に属します。
朝から何回も、「投票に行きましょう。」と広報で言って
いるのは、「国民の権利を行使しましょう。」と言うことです。
「国民は法の下では平等である。」という法治国家の日本において、
平等とは、権力者もそうでない者も、同じ法律の適用を受けると
いうことです。
つまり、他のことでは不平等でもしかたがないということです。
私たちの大きな錯誤=誤解は、すべてが平等であるように思って
いることです。
ここに大きな落とし穴があります。
「自由、平等、公平」は、民主主義の基本ですが、法的には以上の
ような状態です。
「アメリカン・ドリーム」とは、努力する者は大きな成功と報酬と
名誉を享受できることです。
マイクロソフト社の創業者・ビル・ゲイツは、正にその英雄です。
しかし、アメリカの人口=2億8千万人の中で、たった一人の成功
では、「自由、平等、公平」とは言えません。
250万本にたった1本の宝くじよりも、100倍も当たりません。
それでも、「自由、平等、公平」を謳っているのは、作為的です。
国民はテレビや新聞で、事実を知っているかのような感覚になり
ますが、事実の一部だけを知らされているに過ぎません。
相手を100回も叩いておきながら、相手が1回叩いたら、その
1回だけを報道することと同じです。
ケンカをしたら、双方の言い分を、すべて聞いてからでなければ、
仲裁はできません。
片方の言い分だけを聞いて、相手を無視するやり方は、公平では
ありません。
テレビや新聞報道は、基本的に政府とスポンサーの大企業の代弁を
しています。
国民は投票に際して、マスコミ以外の情報を入手しなければなりません。
それでなければ、自分の権利を正当に行使することはできません。
2007年07月28日(土) |
外房は稲穂が伸びています。 |
今日は仲間が、お見舞いに来てくれました。
病気ではなく、ケガの治療と言っていたのですが、わざわざ来ていただいて
感謝しています。
今日の午後は、強い風が吹いています。
房総半島には大きな山や山脈が無いので、海からの風が吹きぬけています。
周囲の水田の稲は稲穂が伸びて、すでに黄色になっているところもあります。
全国でも有数の早い田植えの地帯ですから、あと1ヶ月で収穫です。
1週間前に愛媛県松山付近の水田を見ましたが、稲の丈が低く、そのまま
田の水が見えました。
同じ稲作でも、地方によって大きな違いがあります。
ただ、どこへ行っても、田畑にいるのはお年寄りばかりです。
いつまでもお元気で活躍されているのはいいことですが、若い後継者が農業
から離れていくのは、単に時代のせいにしてはいけないと思います。
円高が始まってから、人件費の比重が大きい産業を中心に、人件費の低い
海外へ工場を移転する傾向が加速しました。
以前と比較して、電化製品などが、従来の数分の1の低価格になりました。
価格破壊と言って、材料費と人件費と諸経費の合計を無視した値段になりました。
安いことは消費者にとっていいことですが、日本国内に工場が無くなったら、
雇用が減少して、失業者が増えることになります。
自分たちの将来を考えたら、雇用が確保できるような産業の育成が大切です。
ただ安ければいいのでは、自分の首を自らが絞めているようなものです。
農家が減少すれば、農産物の供給を輸入に依存する割合が増加します。
1軒の家庭の経済を考えれば、家庭で料理しないで、外食専門になると同じです。
こんなことになれば、お金は海外へ流れ出してしまいます。
自分のことは自分でするのが、すべての原則です。
食料の自給は、例え2倍支払っても、皆で実現しなければなりません。
農家も工夫して、自立への道を探らなければなりません。
貿易の自由化は、両刃の剣です。
日本と言う国を大切にして、我慢すべきところは我慢しましょう。
|