LORANの日記
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先月15日以来の九十九里海岸です。
富士市の海岸とは、比較にならないほど広大無辺です。
半月以上のご無沙汰ですから、新鮮な感覚が蘇ります。
空気の透明さ、光の強さ、風の冷たさ、圧倒的な海の大きさ。
そのすべてが、海鳴りに重なるように、私を押し潰してきます。
そう、これこれ、これなんです。
昨年1月に犬吠埼へ初めて来たとき、ここに寄ったのです。
夢にまで見た九十九里海岸に立ったとき、水平線へ巨大な
海の女神さまがたたれたのです。
「やっと来ましたね。」
私には、そう聞こえました。
そして半年後には移転して来ました。
いま、ここにいるのは偶然ではないのです。
すべては、初めから決まっていたのです。
ただ、自分がこだわったり、制限しているから実現しないのです。
今回の富士市の移転も、広告を見て1週間もかかりませんでした。
いまの住宅から、南へ3軒目の家へ移転するだけです。
2軒目は小学校ですが・・・
いよいよ、LORANは動き出しました。
巨大宇宙船「LORAN SHIP]と思っています。
(宇宙戦艦「ヤマト」の見すぎかも・・・)
2007年06月01日(金) |
今日は千葉へ移動します。 |
昨日、千葉へ移動する予定でしたが、不動産屋さんへの申込や、
LORAN FESTIVALのお知らせの作成や発送準備に追われていました。
今から千葉へ移動します。
移転に必要な書類を整えて、3日後には一度、富士市へ戻ります。
今月はすぴこん出店が2箇所。
富士市のLORANの引越しと、LORAN FESTIVALの打ち合わせなど。
大きな変化が始まったことを実感しています。
新しい出会いや新しい企画が始まります。
今朝、瞑想して気がついたのは、自分の中がカラッポなのです。
ただ、光に満ちているだけなのです。
自分の波動を上昇させようとすると、なんの抵抗もなく、ス〜っと
上昇してしまい、拍子抜けしました。
意識が光に変われば、いままで自分が作った感情まで消えてしまう
ことが分かりました。
この世界が「苦労の世界」と思うことは自由ですが、そんなに努力
しなくても、意識だけ変化させれば終わります。
「幸せとは、平和で穏やかなこと」と思っています。
しかし、オカネやモノがあっても、幸せでない人もいます。
遺産相続で、兄弟で傷つけあう人もいます。
どんな選択も可能ですが、無限の平和を手に入れた方がお得のようです。
今朝はすばらしい日の出でした。
いつものように海岸で瞑想しました。
私の中に暗い海の中のようなものが見えました。
その暗い中に、ボーリングのボールのようなモノが見えました。
それを見て、「私の意識だ!」と感じました。
その時、声がしました。
「意識よ、目覚めなさい。
そこから、現れなさい。」
その意識のボールが、ゆっくりと上昇してきました。
「意識よ、光を取り戻しなさい。
光輝きなさい。」
光が爆発したかのように、一気に輝きました。
近くにいた仲間の二人が、
「下から光が上がってきて、のけぞった。」
とコメントしてくれました。
いま、自分の中になにもありません。
あるのは輝く光だけです。
あなたが感情のカンヅメの中にいると言われたらどう思いますか?
ほとんどの人が、「感情のカンヅメ」状態にあります。
このカンズメのカンは、自分の主義や信条、信念のことです。
主義や信条、信念は絶対的なモノではありません。
すべて教えられたことばかりです。
ですから、国家、民族、宗教、文化、時代が異なれば、変化します。
しかし、親やマスコミ、学校教育などで、教え込まれたことが、
主義や信条、信念となって、自分のカンになります。
このカンが正義とか、邪悪などの判断をします。
義務や責任を決めるのも、このカンの仕業です。
カンが薄ければ、多少の変更が可能です。
シャボンダマのようなら、中の形に合わせることもできます。
しかし、厚い鉄板でできていたら、光も入らないし、空気も入りません。
暗く、固く、冷たいカンの中で、身動きが取れません。
なぜこんなカンを作ってしまったのでしょうか?
誰も、カンに閉じ込められることを、望んでいないのに。
それは、感情がそうさせたのです。
誰かを許せないという感情が、カンを作らせたのです。
もし、あなたがカンを脱出したければ、可能です。
「許せない」という感情をやめて、「許します。」と言えばいいのです。
「あなたを許します。 あなたに感謝し祝福します。」と言いましょう。
カンは次第に薄くなるでしょう。
光が入り、明るくなるでしょう。
鉄板がシャボンダマになり、窮屈でなくなるでしょう。
そしていつか、あなたは自由になるでしょう。
そのとき、あなたは大きな歓びを感じるでしょう。
見えないモノ、科学的に証明できないモノは信じない。
そう言う人がいます。
そう言う人が、大部分であると言えます。
これは西洋的発想ですから、明治以降教えられた思想です。
西洋は科学とキリスト教が、思想の根幹にあります。
明治以降に教育を受けた人だけになってしまった日本は、
東洋にある西洋国家と言えます。
日本の場合、キリスト教はいまだ少数派で、仏教徒が多数です。
仏教は哲学とも言われる広大な思想です。
この広大な仏教哲学の信者が、西洋的思考をするのですから、
メチャメチャな論理展開になります。
学者もマスコミも、教育者も、この原因に気づいていません。
日本の世論が、ウスッペラで、根が無い理由はこれです。
例えば、見えないものや科学的に証明できないモノは信じないなら、
生命も、天国も、地獄も無いとすればいいでしょう。
それなら、死を恐れることも、病気や加齢を嫌う理由もありません。
ところが、死を恐れるあまり、健康オタクになり、宗教に救いを求
めています。
生半可な知識が、貧弱な思考に根ざしているので、いたずらに不安
ばかりが増すばかりです。
西洋的思想と東洋哲学は、相容れない思考です。
高下駄を履いて、F1 レーサーを運転するような危険があります。
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