ヲトナの普段着

2005年05月23日(月) 時間を歩いて旅しよう

 アインシュタインの特殊相対性理論によると、光速で移動するロケット内における時間の流れは緩くなり、地球を出発して戻ってくると時間にずれが生じるらしい。しかしそんなことは確認のしようもなく、反対論が噴出するのもうなずけるけれど、時間感覚のずれというのは、日常生活とネット世界との間で、誰もが感じるものではなかろうか。
 
 
 まだ僕が建築系学生だった頃、教授にくどいほど叩き込まれたのが「ヒューマンスケールで考えろ」ということだった。勘の良い人ならわかると思うけど、ヒューマンスケールとは「人間的な縮尺」という意味で、建物を考える際には常に人間の大きさを基準に考えなさいということになる。
 
 何を基準にするかということは、僕ら人間が生きていく上でそこかしこで登場する。家族という小さな単位のなかにも沢山あるだろうし、もちろん社会にも星の数ほど基準は存在している。僕らはそういう沢山ある基準のなかを生きながら、自然と「複数の基準に自分を適合させる」習慣を、学習し身につけているともいえるだろう。
 
 そしてここにまたひとつ、本日のお題ともなっている摩訶不思議な基準が存在する。およそ絶対的であろうと思われる「時間」の概念を、根底から覆してしまう「ネットでの時間の速さ」だ。アインシュタインは論理的に真正面から「時間」と戦ったようだけど、おそらくこのネットでの時間感覚までは、考えも及ばなかったのではなかろうか。
 
 
 ネットで出逢った人たちは、男女の区別なく、驚くような速さで親しくなってゆく。昨日は赤の他人であっても、今日出逢って明日には恋人となっていることも珍しくないのが、このインターネットという世界だろう。かと思えば、呆れるほどあっさりと縁が切れてしまう。出逢いから別れまでの歳月も、現実世界と比べると極めて短いことが多いようだ。
 
 それを「関係が希薄なんだよ」と言う人がいる。そうだろうかと僕は首をかしげてしまう。自分の過去を振り返ってみて、たしかに希薄な関係の相手もいるにはいたが、むしろ概して濃密であったように思い出される。そう、関係が希薄なのではなく、通常にも増して密度が濃すぎたんだ。そして、その状態を自分で咀嚼しきれず、愛だろうか恋だろうか友情だろうかと思いあぐねている間に、あれよあれよと時間に流されてしまっていたような気がする。
 
 
 手紙というものを考えてみよう。現実世界で恋人に手紙を書いたとする。ひと文字ずつ彼女のことを想いつつ、僕は文章をしたためてゆく。書き終えるまでに何十分かかるだろうか。もしかすると、彼女のことを考えながら、一時間以上かけて恋文をしたためるかもしれない。そうやって書き終えた手紙を封筒に入れ、郵便局まで持っていく。投函した恋文が相手に届くまで何日かかるだろう。近ければ翌日には配達されるだろうけど、遠隔地だと三日から四日かかるかもしれない。
 
 そうやって届いた僕からの手紙を、彼女は開いて目を通す。読みながらもう返事の言葉が脳裏をかすめ、はやる気持ちを抑えるようにしながら、彼女は僕への返信をひと文字ずつ丁寧に記してゆく。そう、僕のことを考えながらだ。何枚の便箋を使うのかわからないけど、返信を書き終えた彼女は、それを封筒に入れ郵便局へと向かう。そうして僕の手許に、一週間ぶりくらいに彼女の言葉が届けられる。それが手紙というものだ。
 
 けれどネットでは、Eメールという便利なものがあって、書いて送信すると即座に相手に届いてしまう。もしその場に相手がいれば、数分後には返信メールが舞い込んでくるかもしれない。それを読んで再び僕はメールを書いて送信する。手紙に比べて遥かに時間が短縮でき、これほど便利なものはないような気もしなくもない。
 
 けれど、そう、時間があまりに早すぎる。相手のことを考え、自分のことも考え、自分のなかで状況を充分に消化するだけの時間的余裕がそこにはない。恋愛における「想いを温め熟成する」だけの時間というものが、どうも欠落しているように思えてならない。手紙を送り、それが返ってくるまでの時間は、関係を熟成させていく上で必要不可欠なものだろう。そうやって時間を経ることこそが、人間として適したプロセスであり、ヒューマンスケールなのだと僕には思える。
 
 
 チャットというのはリアルタイムに会話がなされる。メールより遥かに反応が早い。それだけに、そこで交わした言葉の数に惑わされて、たいした時間をシェアしてるわけでもないのに、自分と相手との関係を現実以上に深く受け止めている人は少なくないような気がする。そしてそれが、トラブルの種となっている状況を、僕はよく目にしてもいる。
 
 時間の道は、ゆっくりと自分のペースで歩みましょう。速い反応に慣れてしまうと、ときに相手の反応の遅さにいらだつこともあるかもしれないけど、そういうときこそ「ゆっくりと、じっくりと」と自分に言い聞かせ、相手のこと、そして自分自身のことを、時間をかけて考えてみてはいかがだろうか。
 
 慌てることはない。焦る必要だってどこにもない。時間の流れが速くなることなどなくて、普段のまんま、時間はいつだって同じペースで刻まれているのだから。



2005年05月22日(日) 異性を理解するということ

 人はなにかを判断する際、常に自分の価値観や感性を拠り所にする。考えるのは自分で、感じるのも自分であることを思えば、それは至極当然のことなんだけど、異なる性を理解しようとするときに、それら己の価値観や感性が適切な判断を邪魔してしまうことが少なくない。そう、ライブチャットに集う人たちが男と女という異なる性であることも、忘れてはいけないのだろう。
 
 
 その言葉、誤解されるかもしれないよ
 その言葉、鵜呑みにしないほうがいいよ
 
 賢明な読者諸氏であればもうお気づきだろうけど、上はチャトレに向けたもので下は男性客に向けたもの。ここで読み違えないで欲しいのは、僕は「言葉の使い方の難しさ」をいいたいのではなく、「男と女とでは、同じ言葉でも受け止め方が異なる場合が少なくない」ということね。
 
 例えば「好き」という言葉を、みなさんはどう使いどう受け止めてるのだろうか。僕はわりとこの言葉は「普段使い」している。だって、好きなもんは好きなんだもん。という、わけのわからない言い訳してるけど、「好き」という気持ちがある以上は、僕はそれを素直に伝えるようにしている。けれど、それを相手がどう受け止めるかは、相手によって異なるのだと思える。だから僕は、「好き」の前後にいろんな言葉をオマケとしてくっつける。そうやって僕の「好き」を、相手に伝えるように心がけている。
 
 それでもときどき、僕の真意がうまく相手に伝わっていないと感じることがある。「口が達者」と言われるヒロイさんですらそうなのだから、そうでない人たちはもしかすると、さんざんな目にあっているのかも……しれない。
 
 
 そもそも、誤解や鵜呑みはどうして生じるのだろうか。ひとつの拠り所として、いま「スタンス」というものを考えてみよう。「姿勢」と解釈していいだろうね。チャトレがチャットする際にお客さんに対して抱いている心理的な姿勢。そして、客がチャトレと相対するときに心に抱くもの。それらの違いを考えると、誤解と鵜呑みの仕掛けが見えてくるような気がするんだ。
 
 チャトレにとって客は大勢いる。「いや、おれはあの子にとって一番の客に違いない」ときみが思い込んだところで、そんなことは何の根拠もない。たしかに大勢の男を相手にしていれば、そのなかで自然と「序列」はできてくるかと推察している。けれど、それらの序列は「仲良し」の序列であることが多いような気がする。男が期待してるような序列ではないということだ。
 
 一方客にとってチャトレはそう多くはいない。現実には数百人いたとしても、そこで言葉を交わし「好き」になっちゃうチャトレとなると、極めて数は限られてくるだろう。おそらく多くの男たちが、チャトレを恋愛の対象としてみているとも思う。仮想と現実との住み分けが下手な男という生き物にとっては、チャトレとの関係は「一対一」が理想系なのである。
 
 この違いはとても大きい。一方は「お友だちとして」と思いつつ他方は「恋人として」向き合っているのだから、それらを双方が理解しない限りは、誤解と鵜呑みは堂々巡りをするようにも僕には思える。
 
 
 チャトレは多くのリスクを背負ってその場にいる。これも理解しなければいけない客との違いだろうと僕は思う。現住所や電話番号を明記はしてないものの、ネットという公の場で顔を出しているということは、一歩間違えると色々な危険が身に降りかかってくる可能性だってあるからだ。当然のことながら、普段以上に相手に対して距離を置くこととなる。その気持ちを、男は察してあげないといけない。
 
 チャトレ側も、客である男衆が自分のそういう立場を理解してくれているかを、そっと推し量る必要はあるだろう。言い換えると、そういうリスクを負う立場を理解しきれずにチャットルームに来ているお客さんも、ことのほか多いかもしれないということになる。立場を理解してもらうということではなく、相手がそれを理解してないということを、チャトレであるなら前提に把握して会話に臨むべきかもしれないということだ。
 
 
 こんなことを書くと元も子もなくなってしまうんだけど、常々僕は「所詮、男と女は理解しあえない間柄にある」と思っている。なんか投げやりな物言いに聞こえるかもしれないけど、理解しあえないから理解しようとしても無意味だということではないよ。
 
 男である僕がいくら女の立場を考え論じたところで、それは男である僕の言葉でしかない。理解したつもりではいても、自分が本当に女になってその立場を経験しない限りは、それは「本当の理解」とはいえないような気がするんだ。だから、理解しあえない間柄なのかな、と思う。
 
 大切なのは、「理解しきれないのなら、謙虚に思いやりを持とう」ということではなかろうか。自分の考えや行動に、ほんの少しでもいいから疑問符を投げかけ、相手を認める努力をしてみることではないだろうか。チャトレと客との間には、そういう関係があって欲しいなと、僕はそう思っている。



2005年05月21日(土) ライブチャットの流出動画について

 ライブチャット流出動画というのがある。知らない子ももしかしたらいるかもしれないけど、チャットの様子をキャプチャー(録画)して動画ファイルにし、それを種々のネット媒介によってばら撒かれたものが一般にそう呼ばれているのである。今回はその流出動画にまつわるお話。
 
 
 流出動画のほとんどは、おそらくアダルト系のものだろう。女の子が単にお喋りしてる様子を動画にして流したところで、それに食いつく輩がそうそういるとも思えないからね。ということは、ノンアダチャトレにとっては関係ない代物なのだろうか。そうかもしれない。けれど、これは自己防衛知識のひとつとして、やはり知っておいて損はないと僕は思う。
 
 基本的に、パソコンに映し出される映像は、キャプチャーすることができる。いつだったか馴染みのチャトレちゃんに「試しにやってみて」と言われて、手許の無料ツールでキャプチャーしたことがあったけど、彼女もそれをみて驚いていた。そのとき僕が使ったツールは低機能だから、それこそ動画がかくかくしちゃってたけど、高機能なツールを使えば臨場感溢れる動画ファイルを作り出すことも可能だろう。
 
 そのとき彼女から、相手にキャプチャーされてるかどうかを判別する方法はあるか、てな質問を受けた覚えがあるんだけど、僕にはあるとは思えない。彼女の弁によると、相手がキャプチャーしはじめるとチャトレ側のカメラ映像の動きが鈍くなると聞いたということだったけど、キャプチャーしてるのは客側のマシンであって、それがチャトレ側のマシン負荷に影響するとは思えない。「気のせいじゃないの」と返事した記憶があるんだけど、いまでもそう思っている。
 
 
 ライブチャットの流出動画とは直接関係ないんだけど、動画の裏事情というのを少しお話ししておこうか。僕はかつて、ネットのアダルト動画関係に手を染めていた時期があった。自分が動画をみたいというよりは、ファイルを操作したり仲間と共有する方法を模索したりするのが好きだったんだ。どこにいてもこの男は、そういう裏方的作業が好きらしい。
 
 物の真贋はさておき、いわゆる有名人の流出動画というのもけっこう目にしてきた。もちろん、動画の世界には素人物も沢山あって、援交物からホテルの盗撮まで、およそこの世にある男女の性行為を感じさせるところには、キャプチャー(盗み取られる)可能性がそこここに潜んでいるものだなぁと少々怖くなったほどだった。
 
 僕は自分でキャプチャーして配布したことがないから(あったら誰にも相手にされなくなってたかもしれないけど)、正直なところ、彼らの心理というものが掴みきれない。そんなことして何が面白いんだ、とすら思う。ただ、他人の生活を覗き見るということへの興味は、形こそ違え、多くの人たちが持っているものだろうし、それが高じてキャプチャーへと走ったと解釈できるような気はしている。それと、やはり「腕試し」なのかな。ハッキングにもそういう心理があると思うけど、「してはいけないもの」を自分の技術でやってしまうことの快感というのも、おそらくあるんだろうなと想像している。
 
 それでもかつては、パソコンの処理能力やネットの転送速度の関係で、動画もどちらかというとこじんまりとした隆盛ぶりだったような気がする。それが近年、マシンのスペックが飛躍的に向上し、さまざまな高機能ツールの登場とトラフィックのブロードバンド化によって、大きなファイルが大量にネットワークを流れるようになってきた。
 
 率直なところ、ライブチャットの映像をキャプチャーして動画ファイルに変換し流すなんてことは、もうお茶の子さいさいの時代なのである。そういう「技術の現状」を、僕はチャトレのみんなにも把握しておいて欲しいなと思う。だから、こんなコラム書いてるわけ。
 
 
 とはいえ、冒頭に書いたように、流出動画の多くはアダルト系に違いないだろうから、ノンアダでやってる子たちがそう神経質になることもないとは思っている。ただ、ノンアダであっても、自分の姿や素性がわけのわからんところに流れるのを嫌う子はいるだろうし(ほとんどそうだと思うけど)、チャトレをやってること自体を恋人や親兄弟に隠してる子だって少なくないと思う。そう考えると、まんざら他人事でもなく、充分注意しておくに越したことはないのかなという気がしてくるんだな。
 
 こう書いてきて、ひとつとしてお得意の「傾向と対策」がないじゃないか、と怒られそうだけど、正直なところ、ないものは書きようがない。動画世界を歩いてきた僕が言うんだから、おそらくないと思う。仮にあったとしても、それなりにノウハウを身につけないと処理できない方法であるのなら、それは汎用とは呼べないだろう……。
 
 甚だ説得力のない結論になるけど、やはりチャトレ個々が「人を見る目」を養うしかないのかなぁと僕は思っている。それと、危険を察知する心構えを常に持っておくこと、かな。ただ繰り返すけど、ノンアダであればそれほど案ずることはない。誰かにばれるのを怖れていても、ノンアダであれば、キャプチャーしようと考える輩そのものがそうそういるわけでもないからね。
 
 ひとつの知識として、心に留め置いてください。


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ヒロイ