ヲトナの普段着

2005年05月14日(土) チャトレの輪

 待機中の過し方というのも、チャトレによってさまざまなようだけど、これといってやることもなしにただ待機してるのって辛いよね。ぽつりぽつりとでも来客があればいいものの、待てど暮らせど覗いてくれる客すらいないときがあるかもしれない。そんなとき、暇つぶしというわけでもないだろうけど、他のチャトレの待機窓を開いたり、勉強がてら自分でポイント購入してお隣さんを訪ねた経験があるチャトレも少なくないだろう。そしてそこから、チャトレの輪は広がっていく。
 
 
 入る気もなくライブチャットを眺めていると(厭な客ですんまへん)、たまにチャトレ同士が待機窓で会話しているシーンに出くわすことがある。思わず「相手は誰だ?どこだ?」と探しまくり、見つけたときにはもう宝物を掘り出したような心持。会話にあわせてあっちを見たりこっちを見たりと、「アナタ何やってんの?」と言われてもぐうの音も出ない行為に浸ってしまうことがある。
 
 チャトレ同士の横繋がりは、サイトによってはチャトレ用の掲示板を用意しているところもあるようだけど、掲示板はどうしたものかなぁと少々首を捻ってしまう。なぜかというと、チャットと違って掲示板というのはとにかく大勢が目にして書き込みをするものだよね。なかにはどうしても相容れない相性のふたりがそこで衝突しないとも限らないし、どこでもありがちなように「徒党」を組まないとも限らない。
 
 掲示板というのはどこでもそうなんだけど、管理者がしっかりしてないと立ち行かなくなるケースが少なくない。単なる「親睦の場」と捉えてる人が多いかもしれないけど、文字が記録され残るということの意味を念頭に置くべきだし、そう考えると、チャットサイトでのチャトレ用掲示板を管理することがいかに難しいことかもおのずと理解できるだろう。
 
 となると、やはりチャトレ同士の友達付き合いは、待機窓を利用したチャットや資金投入してのチャット訪問、あるいはブログがあればそれぞれのブログでということになるんだろうね。
 
 
 余談だけど、待機中のチャトレちゃんの様子がみられる待機窓。あれに制限時間があるのは、僕はどうもせこい考え方だと感じられてしまう。たしかに2ちゃんに見られるような世情を鑑みると、チャトレを守る意味でも制限時間はあったほうがいいように思えるものの、会員ページにおいても制限されるのはどんなものだろうか。
 
 僕が登録しているあるサイトでは、一般用には制限時間が設けられていて会員ページに入るとそれが解除される、つまりは待機窓をずっと見ていられるというサイトがある。ライブチャットの基本はチャトレとチャットすることであって、様子をただ眺めて楽しむというものではないよね。おそらくは多くの客だって、それくらいのことは承知しているはずだ(アダルトは何とも言えない気もするけど)。であるなら、会員と非会員との差別化をはかる意味でも、会員ページにおける待機窓の制限解除は、僕はとても有効だろうと感じている。もちろん、そういう環境であれば、チャトレちゃんたちが待機窓を利用して相互にお喋りすることだってできるわけだから。
 
 
 チャトレにとって、自分以外のチャトレたちは、ある意味においてライバルとなる。ライバルと仲良くなってどうするんだと考えるチャトレちゃんもいるかもしれないね。でも僕は思うんだけど、天涯孤独なアウトローチャトレでいるよりは、同じ職場で似たような経験と悩みを持つであろう仲間を増やしたほうが、遥かに自分自身のためにもなるのではなかろうか。わからないことを教えてくれるかもしれないし、相談に乗ってくれるかもしれない。そういう仲間は、どんな世界にいても必要だろうと僕は思うんだ。
 
 そして、そうやってできたチャトレの輪が、じつは客たちのライブチャットをも変えていくのだと僕は想像している。馴染みのチャトレちゃんAがいたとしよう。彼女との話のなかで、彼女が同じサイトのBという子と親しいという話を耳にする。ある日、サイトを開いてみるとAはいなかったけどBがいた。まったく客の関心範囲外であれば話は別だけど、僕が彼であったなら、ちょいとBとも言葉を交わしてみようかなという気になってくる。「Aと仲良しなんだってね」と入っていけば、小心者の僕(?)でも入りやすいというものだ。
 
 あれ?それじゃ客をとられちゃうじゃない!と思うチャトレはまだ青い。客がよそに行くのはね、他でもないきみ自身に原因があるんだ。きみとの時間を楽しみにしている客であれば、よそに行っても必ず戻ってくる。どころか、そうやってチャトレ同士が輪を広げることで、きみのお友達のところから客が流れてくることだって考えられるんじゃないの。
 
 そう、「グループ交際」というのが昔からあるけど、もしかするとライブチャットの醍醐味はその辺に隠れているのかもしれないとすら思えてくる。確かに一対一の仮想恋人も悪くはないけど、せっかくこうして大勢の男女が集まってきてるんだから、より多くの異性と言葉を交わしてみて、自分の世界を広げていくことだってライブチャットの楽しみに違いないだろう。
 
 
 人間には知への欲望というのが備わっている。人は知るために生きているとすら思えなくもない。ひとりの異性に満足せず、その向こう側にちらちら見えてる別の誰かが気になってしまうのも、そういう知ることへの欲望が疼いているのだとも思える。それを隠そうとする、言い換えると、他の異性には目もくれない状況を作ってしまうということは、そこに「嘘」という種をまくようなものなのかもしれない。
 
 清く正しく、おおっぴらにグループ交際をし、そこから絆を深めていくことも、僕は決して悪くないような気がする。客同士が輪を作るのは難しいけど、チャトレ同士が手を携えることは、ちょっとした姿勢と行動で為せることなんだから……。



2005年05月13日(金) チャトレと客との感覚差を考える

 少々分かり難いタイトルかもしれないけど、チャトレが客に対して覚えるリアル感覚と客がチャトレに対して感じるそれとの違いを、ライブチャットにおけるハード環境を拠り所に考えてみようというのが今回のお題。ハード環境とはすなわち、カメラ映像のことね。
 
 
 ライブチャット草創期(とはいっても、ほんの2〜3年前)にあっては、双方向カメラでお互いの姿を確認しつつ行うチャットは、ライブチャット世界でも珍しいものだった。いまでは多くのサイトで採用されているし、双方向カメラでもポイント消費が一方向(チャトレ側の映像のみ映る)と変わらないサイトも数多く見られるけど、当初は双方向にするだけでポイント二倍というサイトも珍しくなかったのである。
 
 まあその辺の事情はさておき、このカメラ映像があるのとないのとでは、人の心にどのような心理的変化が起こるのであろうか。それを知らずに感覚の違いに疑問を感じているお客さんも、ライブチャット界には多くいるような気がする……。
 
 
 僕がネットをはじめた頃、仲間とのやりとりはメールか掲示板だった。例えばいま、あるひとりの女性とメールで交流をはじめたとする。僕と彼女とは文字で常に意思を伝達してるよね。文字は適切な使い方をすれば、かなり高い確率でその人を正確に伝えてくれると僕は感じてるんだけど、それでもどこかつかみ所が無いというか、現実世界の人を相手にしてないような錯覚を覚えることも無くはない。
 
 それがある日、サイトなりメールなりで彼女の写真を見た瞬間に、「ああ、この人は現実に存在している人なんだ」という感覚が僕のなかに芽生えてくる。写真を見ながら、この人が僕宛にこういう文章をメールしてくれてるんだなと、そこで初めてリアルな相手を認識するわけですな。すると僕のなかでは(少々特異かもしれないけど)、次に彼女から送られてくるメールの文字たちを見た刹那、そこには彼女の姿が思い浮かぶんだ。それまでは姿かたちがなかったのに、写真一枚を見ただけで、文字の向こう側に姿が見えるようになるわけ。
 
 
 チャットサイトにあって、僕をはじめとする客たちは、常にチャトレの姿を見ながら会話を楽しんでいる。だから僕にとっては、相対するチャトレたちは常にリアルな存在として認識しやすい。当たり前だよね。目の前で笑ったり怒ったりする表情がつぶさに見られるんだから。けれど彼女たちからすればそうはいかないんだな。双方向カメラで姿を確認できれば話は別だけど、客の姿が見えない状態で行っているチャットは、単なる文字チャットと何ら変わらないということ。
 
 これまで過去数回、チャットのなかで「ヒロイさんの写真はどこかにないの?」と訊かれたことがあった。僕自身はもう数年前からサイトで姿を出してるから、たいていはその話をして確認してもらうか、差し支えなければメール添付で相手に写真を届けるということをしている。双方向カメラを使えば手っ取り早いのはわかっているんだけど、いかんせん……会社で営業中に繋ぐのがほとんどですので、現実問題としてこちらからカメラ映像を送るのは難しいんでございます。
 
 写真を見てもらうと、まあ反応はさまざまだけど、概ね「安心した」という声が返ってきたように思える。それは何も僕が「化け物」か何かではなかったということではなく、現実にここに存在している生身の男であることを、彼女たちが写真から感じてくれたからだろうと僕は解釈している。写真一枚が持つ力の凄さは、前述したように僕自身がこれまで幾度となく感じてきたものだからね。
 
 
 文字だけではどうしても今ひとつリアルに感じられない。個人差はあるだろうけど、多かれ少なかれそういう感覚を人は覚えるのではなかろうか。ということは、僕らがチャトレたちに対して抱くリアル感覚とはまるで別の感覚を、文字しか見ていない彼女たちは感じているということにもなってくる。それを客は理解しなければいけないんだろうな。
 
 客が自分のリアル感覚で想いの丈をチャトレに伝えたとしよう。客にしてみれば目の前にいる「姿ある女性」に語りかけるわけだから、そりゃリアルでしょう。けれど、チャトレにしてみれば、映像や写真がなければそれは「ただの文字情報」とも受け取れる。姿かたちがないところから愛の告白をされたところで、そこにリアルな感覚を見いだせというほうに無理がありはしないだろうか。
 
 そういう環境の違いがもたらす感覚の違いをふまえないと、やはりトラブルの種となりそうな気がしてならない。せっかくの縁で出会ったふたりが、限られた時間を楽しく過すためにも、お互いがどのような感覚でその場にいるのかを推し量ることは、きっと必要な思いやりなんだろうな。



2005年05月12日(木) どこにでもいる妄想男

 チャトレしてると一度は相手したことがあるだろう「妄想男」くん。あちらこちらでチャトレに取材を試みると、誰もが幾つかの体験談を聞かせてくれるというありがたいネタ男なんだけど、ほんと、どこにでもいるって感じ。いや、どこにでもいちゃまずいんですけど……。
 
 
 軽いところでは、チャトレの言葉を自分の都合のいいように解釈する男。まあ「思い込み」に近いような気はするんだけど、やはり広義の妄想系には違いないだろう。人間には防御本能というのがある。傷つけられまいとする本能だよね。それが、相手の言葉を自分にとって都合のいい方向に解釈させてしまうのだろうと僕は想像している。
 
 とかく「相手を傷つけない言動」を心がけることが是であると思いすぎると、言葉はどうしても曖昧になり、ときに相手を肯定する意味の言葉の連続となってしまうものだ。肯定されていれば、誰だって「思い込む」だろう。曖昧な言葉がこうした軽度の妄想男を生み出しているとも考えられる。甘やかして育てた子どもはそのようにしか育たないのと同じで、ネットでの妄想男も「誰か」が無意識に、そのように育てているのかもしれないな。
 
 対策は至って簡単で、はっきりと言うことでしかない。ここをチャトレちゃんには誤解して欲しくないんだけど、「楽しい時間を過す」ということは「相手を喜ばせる」という意味ではないと僕は思っている。心と心が通じ合うことこそが人と人とが言葉を交わす上での最大の醍醐味であって、そこではときに、率直な意見もしくは辛らつな言葉ですら是となることを忘れて欲しくはない。間違いをそのままにしておくと、大変なことになりますよ。
 
 
 この軽度妄想男が進化すると、妄想系リアル男に変身する。普段は明らかな妄想系のノリで会話してて、相対してるチャトレちゃんの多くが「なんか楽しい人だわ」と感じつつ妄想ペースをあわせていると、当の本人は妄想と現実との境目がわからなくなって「リアル認識」してしまうというタイプ。これはかなり始末におえない。
 
 妄想が妄想であるうちはいい。いくら話を展開しようとも、それは妄想世界の話でしかないからだ。けれどそれと現実とが交錯しはじめるとまずいよね。現実は妄想のようにはいかない。妄想世界で恋人同士だったからといって、現実世界でそうなれるとは限らないということだ。それでも妄想系リアル男は、妄想を現実のものと認識してしまう。現実であるからには、彼らはきっとゴールを目指すだろう。
 
 そう、実際に逢おうとするだろうし、逢えなければ「どうして逢えないの?」と疑問を投げかけてくるに違いない。相手にしてみれば妄想は妄想でなく現実であって、愛し合う者同士が直接逢って愛を確かめ合うのは至極当然の論理だからだ。逢う気がないのに妄想世界で相槌打っておいて、彼にそういう問いを投げられたらどうする?ね、始末におえないでしょ。
 
 
 ただし、妄想男も筋金入りのレベルに達すると、また話は異なってくる。自分が妄想世界で生きていることをしっかりと自覚してる本物の妄想男だ。この手合いは、前述の二例とはまったく反対で、扱いも極めて楽ちん。一緒にどこまでも妄想世界を楽しんであげればいいだろう。
 
 自分が妄想世界に生きてることを自覚している男たちは、おそらくはそのプロセスを重要視して楽しんでいるのだと思う。妄想世界が破綻して消え去ることを嫌うだろうから、リアル男のような強硬手段もとらないだろう。ゴールのない世界で、ひたすら「恋人」との時間を楽しむのが彼らだ。その望みに応え、願いをかなえてあげるのも、僕はチャトレの大切な仕事なのかもしれないと思うことすらある。
 
 さりとて、本物の妄想男であるか否かを見分けるというのも、かなり至難な気がする。本人が「天地神明に誓ってわたしは妄想男です」と公言していれば話は別だけど、いきなり会話で妄想世界に入られても判断の下しようがないからだ。やはり序盤戦は控えめに状況を観察し、相手が筋金入りだと感じられたら徐々にペースを上げていくというのがいいかな。妙なアドバイスだとは思うんだけど……。
 
 
 妄想が好き、もしくは妄想を受け入れやすい男というのも、ネットにありがちな歪のような気が僕はしている。だからといってそれを完全悪だとは思わない。誰だって生きていくうえでの心の拠り所ってのは求めるのが自然で、妄想世界にそれを求める者がいても、彼を批難することはできないだろうと思うからだ。
 
 しかしそれがときに、犯罪にまで発展するケースがあることも忘れてはいけないだろう。人の心というのはどこか一触即発のような性質を秘めていて、良いほうに転がればいいんだけど、悪いほうに転がると大変な事態を引き起こしかねない。そしてライブチャットという世界にあっては、そういういわばもろい部分を持つ人の心と相対しているのだという自覚を、是非持って欲しいとも思う。
 
 楽しけりゃいい、では済まされない。相手を見極める観察眼と凛とした態度は、チャトレにとって必須であろうと僕は思うよ。


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ヒロイ