沢の螢

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文月末日
2006年07月31日(月)

昨日から高原の山荘に来ている。
梅雨明け宣言は出たのかどうかわからないが、急にまた暑くなり、ちょうど夫と私の予定が一致したので、やってきた。
二人とも、仕事を持っているわけではないが、それぞれ趣味や人付き合いで、忙しい。
ほとんどが自己の選択と采配によるものではあるが、仕事世代が出来ない地域のことや、家庭の行事などは、私たちシルバーの手に委ねられることが多い。
給料こそ貰わないが、ある意味では、仕事以上の役割を担っているともいえる。
毎日が日曜日のようでいて、実は月月火水木金金に近い生活をしている人も、少なくない。
そして、みな、まだ気力はあるし、体力こそ若い世代には及ばないが、知力、持続力、判断力は、まだまだ衰えていないから、結構喜んであちこちの役に立っているのである。
しかし、思うのは、若い世代は、トシヨリの使い方が下手である。
大事にしすぎるか、虐待するか、極端な付き合い方しか知らないのは不幸だ。
私は孫がいないから、聞いた話から想像するしかないが、おじいちゃん、おばあちゃんを、孫のお守り役か、金蔓にしか考えていないケースを聞く。
どうせなら、育児雑誌などに書いていない、子育ての知恵や、人生哲学を、学んだらいい。
そんな機会もないのかもしれないが・・。
さてそんなことで(この繋がりは、全く脈絡がない)、高速道に乗り、ドアツードアで2時間半という、この場所にやってきた。
海抜1000メートル。
平地とは10度くらい差がありそうである。
この地域も、雨はかなり降ったらしいが、空気は乾いていて、さわやかだ。
4年ほど前からインターネット環境も整い、ノートパソコンを持ってくれば、世間の様子もわかる。
今興行中のネット連句も、滞りなく進んでいる。


地球は嘆く
2006年07月20日(木)

先週末くらいから、ものすごい暑さが続いていたが、ここ2,3日少し気温が下がって、涼しい。
雨天のせいでもあるが、あまり不快感がないのは、天気の割には、湿度が低いのかも知れない。。
日本の夏の暑さは、湿気が高いせいか、むしむしとして、体にこたえる。
体はだるいし、思考力は減退。
能率が落ちて、家事もはかどらない。
冷房は体にあまりよくないので、30度くらいまでは我慢するが、それを超すと、やはり、ちょっと使いたくなる。
特に、あまりに暑いと、眠れないので、寝不足にならないためには、寝入り端には欲しくなる。
冷房でなく、ドライにするだけでも、少し違う。
でも、考えてみると、私の子どもの頃は、冷房はなかった。
暑かったには違いないが、暑さ寒さも、自然のものだと心得る人たちは、その過ごし方を、みんなが工夫して、凌いでいたのだろう。
冷房機の傍から吹き出す熱風もなかったから、外気温だけが高いと言うことも、今よりはなかったに違いない。
今は、暑ければ温度を下げ、寒ければ上げるという、機械の力に頼った暮らしが、普通になってしまっている。
よその家に行って、うっかり「暑いですね」と挨拶しようものなら、「済みません」とすぐに冷房を入れてくれるので、自然の挨拶言葉も使えなくなってしまった。
涼しくて助かると思えば、その代わり、あちこちで、大雨による害が出はじめている。
今まで無かったような、土砂崩れや、洪水に見舞われるケースが増え、何か、大きな力で、自然のバランスが崩れつつあるように思える。
不気味なことだが、本来、自然には罪はないのだ。
「自然災害」というのは、人間の側から言っていること。
地球が悲鳴を上げている証拠なのかも知れない。


誕生日には薔薇を
2006年07月16日(日)

このところ外出が多く、それも、墓参りだの、お盆の支度だの、亡くなった人への供養や、それにまつわる親族との付き合いなどで、神経を使うことや、数日前からの暑さも加わり、今日は起きた時の調子がよくなかった。
今日は送り盆なので、母の元に行き、そこから墓参りをすることになっていた。
また、7月は私の誕生月でもあるので、例年息子夫婦が、食事に誘ってくれる。
母の日、父の日、息子夫婦の結婚記念日、5月から7月にかけてのそれらを、全部ひっくるめて、お祝いしましょうとうことになって、墓参りの後、みんなで何処か、適当なレストランに行く手はずになっていた。
「私は全部は、とても動けないわ」と言ったら、夫が、母の処と墓参りは、息子夫婦と一緒に済ませてくれるというので、私は自宅で、みんなの帰りを待つことになった。

昼前、夫が車で出かけ、私は、仏壇を掃除したり、家の中を片づけたりした。
夫と息子夫婦は、母のところで落ち合って盆詣りを済ませ、そのまま車で霊園に行き、墓参りをしたらしい。
5時前に、みんなで一緒に我が家に帰ってきた。
怠けた甲斐があって、私の気分も快復したので、イタリアンレストランを予約、あらためて、4人で出かけた。
2年ほど前に、一度行ったことにあるレストランである。
公園を見下ろす坂の上に建っている。
景色の一番いいところは、結婚披露宴のパーティが入っていて、私達は、別室に通された。
そこも、次々と予約の客が入って、満員になった。
コース料理が進んで、デザートになり、夫が「誕生祝い」と言ってあったので、私の皿だけ、特別版。
店のスタッフの唱うイタリア語の「ハッピーバースデイ」を受け、息子の妻が予め注文してあったらしい、豪華な薔薇の花束も届いた。
紅白のワインと料理で、すっかり気分をよくして、息子たちとは、駅近くで別れた。
5月に私の父が亡くなってから、法事で、2,3回顔を合わせているが、息子たちは、いつもは、仕事が忙しく、滅多に顔を合わせる機会がない。
息子の妻の誕生月が11月。
オペラに一度行きたいと言っている彼女のために、秋にオペラに誘う約束をした。

最近、趣味の連句会には、ほとんど欠席である。
昨日も、仲間の友人に「行くわよ」と言いながら、暑さと、場所がいつもと違うことで、ちょっと面倒になり、行かなかった。
暑さにも拘わらず、大勢の参加者だったとか。
明日の会も、来週の会にも欠席で届けてある。
その日が都合が悪いわけではないが、どうも気乗りがしない。
私の主催しているネット連句は、今月から、私の捌きで、新しい一巻が進行中。
顔が見えないネット連句の方が、今の私には、気が楽だ。
よそのネット連句にも、参加しているが、主催者のやり方によっては、いつも楽しいとは限らない。
書き言葉だけの交流は、時に、誤解や、過剰反応が生じる。
主催者が、メンバーを依怙贔屓したり、ちょっとした行き違いに対して、適切な処理をしないでいると、初めは小さな輪だったものが、だんだん妙な方向に流れてしまうことがある。
先日、あるグループで、それに類したことがあり、実に不快な思いをしたので、そこは当分、ROMに徹することに決めた。
私の座では、そんなことのないよう、人数も、私が捌ける範囲に留め、公平に対応するよう、気を配っているつもりである。
現在、6人のメンバーで、歌仙進行中である。


バイクで配達
2006年07月15日(土)

2,3日前から、ものすごい暑さになってきた。
梅雨が明けたのだろうか。
家中カビが生えそうな、むしむししした天気も困るが、これを過ぎるとひとしきり酷暑が続く。
寝る前には冷房を掛けて、ある程度部屋を涼しくしておかないと、とても眠れないが、掛けっぱなしは体によくないので、切る。
夫は夜中に1,2度目をさます習慣なので、そのとき、窓を開けておくらしい。
明け方涼しい風が入ってきて、気持ちがいいからと言う。

早朝バイクの音で目が覚めた。
新聞か牛乳の配達であろうか。
時計を見ると4時半。
まだほとんどの人が寝ている時間である。
寝苦しさで、睡眠が浅いせいか、うるさいなと感じる。
折角涼しい風が入ってきて、さあ、もう一眠りと思った時に、けたたましいバイク音である。
通り過ぎるだけなら、瞬間的な騒音で済むが、配達の音というのは、止まったりふかしたりの繰り返しなので、かえって苛立たしい。
私は短時間の熟睡型。
地震が起こっても、目が覚めないクチである。
しかし、配達のバイク音で、目がさめてしまったというのは、それだけ眠りが浅かった証拠である。
ひと頃まで、こうした配達は、自転車だったような気がする。
住民の安眠を妨げるバイクに変わったのはいつからであろう。
配達元は、なんとも思わないのであろうか。
バイクの方が速いし、効率がいいのかも知れないが、明け方、あんな大きな音を立てられるのは、本当に迷惑な話だ。
心当たりの配達元に、あとで抗議をしようか。
そんなことを考えていたら、イライラして、もう眠ることも出来ないので、水を飲みに階下に降りると、外はすっかり明るくなっている。
熱気のこもった2階の寝室と違い、下は涼しい。
窓を開け、新鮮な空気を吸い込むと、少し気持ちが収まった。
配達をしているのは、多分、学生のアルバイトか何かであろう。
ご苦労さん、早起きさせて貰って、有り難うというべきかも知れない。


迎え盆
2006年07月13日(木)

5月に父が亡くなり、新盆を迎える。
昨日は、お盆の提灯を買いに行き、ついでに、スーパーとか、デパートをハシゴして、ウインドウショッピングをしてしまった。
見るだけでいいのに、半額ですと言うのに釣られて、サンダルと、ホームドレスなんか買ってしまった。
両手に、提灯と、衝動買いした私用のグッズと、食料品と、お菓子と、盆花で、結構な重さと嵩になり、よろよろと帰ってきた。
でも、最近、物を買わなくなったなあと思います。
昔は、デパートなんかで、洋服や靴やバッグを、飽きもせず見て歩いたものだが、最近は、何も欲しいと思う物がなくなり、滅多に行かない。
聞くところに拠ると、買い物の欲が無くなるというのは、老化現象なんだそうだ。
ロンドンにいた頃、セールの日に、ハロッズの階段を駆け上って、ウェッジウッドなんかを手に入れたりしたことを思い出す。
やはり、あのころは、若かったのだ。

そして今日は迎え盆の日。
珍しく早起きし、夫の運転で父の墓へ。
幸いすいていて、1時間弱で着いた。
墓石の前が、傷んでいたので、修理を依頼してあったが、完成したというので、それも、確認することになっている。
石屋で花を買い、墓前に移動。
広い霊園なので、歩いてはちょっと行けない。
墓碑には、新しく父の法名が刻まれており、墓の周りも、すっかりきれいになっていた。
石屋が来たので、納骨の状態も見せて貰った。
父の親、兄弟など、10個の骨壺が収まっている。
昼近くなので、ものすごい暑さ。
線香に火を付ける間に、夫のシャツは、汗で背中が濡れたようになった。
花を供え、手を合わせる。
子どもの頃、祖父の後ろで、毎朝お経を読まされた記憶があるが、忘れてしまっている。
経本を開き、読んだつもりで、合掌した。
そのまま母の元へ。
車の中は、亜熱帯である。
クーラーがやっと効いた頃、母のいるハウスに着いた。
そこでは火事の危険を避けるため、蝋燭や線香の火が使えない。
そこで、仏壇は親たちがいた時のまま、私の家に置いてあり、母の処には、手頃な台に、父の法名を書いた繰出位牌を置き、そのそばに親族の位牌を置いて、供養できるようにしてある。
先日、葬儀の勤行を勤めてくれたお寺の住職に聞くと、仏壇は私の処、位牌は母の処と、分かれているが、それは構わないと言う。
「遺族の事情で、いろいろな場合がありますからね。要は亡くなった方への、供養のお気持ちですから」というので、そこのお寺で、位牌に法名を書き込んで貰ったのだった。
台の傍に、持ってきた提灯をセットする。
豆電球で明かりがつくようになっている。
台には、なすで作った馬を置き、「これに乗って、お父さんが帰ってきたんだから、拝んで頂戴ね」というと、母はとても喜んで、提灯のスイッチを点けたり消したりして、具合を見ていた。
明日からは、毎日、親族が、来ることになっている。
家に帰ったのは3時半。
早起きしたおかげで、時間が有効に使えた。
それにしても、暑かった。
後で、今年最高の気温だったと知った。


ハウスコンサート
2006年07月09日(日)

誘われて、ハウスコンサートという催しに行った。
家から沿線の駅を4つほど下った東京郊外。
三百年前の民家を、一部移築して、コンサート会場に使えるように建て、家族で、クラシック演奏会を企画、実行しているという。
24年前からやっていると言うが、私は今まで知らずにいて、今日が初めてだった。
個人の家でのコンサートだから、70人位で一杯になる。
住宅地の中の一軒で、外からは、道路に沿って建て並んだ普通の家である。
オープンに作られたアプローチに、小さな看板があるので、それと分かる作りである。
誘ってくれた人は、今日の演奏者であるメゾソプラノの歌手から、歌を習っているそうだ。
私が、音楽好きと知っていて、チケットを買ってくれた。
開演前に、会場は満員になった。
ハウスコンサートのオーナーから、簡単な紹介があって、演奏になった。
フランスの歌曲から始まり、休憩を挟んで、後半はオペラのアリア。
伴奏はピアノだけだが、小さな会場なので、声がびんびん響く。
聴きに来た人は、大半が女性。
演奏者の弟子と関係者、それに、ハウスコンサートの固定客が大半のようだった。
アンコールには、日本歌曲の「初恋」と「宵待草」。
さらに、会場の人も一緒に「この道」を斉唱して終わった。
終わると、厨房からコーヒーが用意され、大きさも模様も様々な、すてきなカップで、美味しいコーヒーを飲んだ。
防音装置はしてあるだろうが、こうした普通の家でのコンサートも、またいいものだと思った。
次回以降のために、会員登録して帰ってきた。


W杯はどこに?
2006年07月08日(土)

ワールドカップも、決勝戦を残すのみになった。
準決勝では、ポルトガルを応援していたのに、フランスに負けてしまって残念!
フィーゴと若いロナウドがよかったのに。
ドイツもイングランドも、キライなわけじゃないけれど、私は判官贔屓。
いわゆるサッカー大国よりも、苦戦してやっと、出てきたようなチームに肩入れしてしまう。
トーゴ、トリニダード・トバゴ、コートジボワール、そしてウクライナ。
アジア、アフリカ、オセアニア、ユーラシア、そして準決勝で南米も姿を消し、残ったのは、ヨーロッパばかり。
その中では、ポルトガルに勝たせたかった。
決勝戦のフランスとイタリア、うーん。
私は白ワインより赤ワインの方が好きなので、この際イタリアにしよう。
赤ワインの輸出は、イタリアの方が多いと聞く。
太陽を燦々と浴びたイタリアなら、真っ赤なトマトと共に、ワインも、熟成しているだろう。
ちょっとズルイところもあるけれど、何となく憎めないイタリア。
最近、固有名詞を忘れる傾向があるので、地名が出て来ないが、イタリア、フィレンツェのちょっと北(ここのイタリア語が正調イタリア語だとか)の、何とか言う地方のレストランで飲んだ赤ワインの美味しかったこと!
日本で買ってみたが、現地で飲んだ味とは違う。
輸出用は、防腐剤でも入っているんだろうか。
ここまで書いて思い出た。
ブルネロ.デ.モンタルチーノ(スペルちょっと自信ないので)とか言うんだった。
現地在住のコンダクターが、「銘酒中の銘酒」と言ったので、産地の値段にしてはとびきり高いワインを夫が注文したが、ホントに美味しかった。
グループのほかの人たちは、キャンティかなんか注文して、私たちのワインを一口ずつ味見したりしたが、私は、中身が減ることを気にしていた。
私はケチだろうか。
だから(この接続詞は何の脈絡もない)イタリアを応援する。


七月の鬱
2006年07月06日(木)

ワールドカップに夢中になっている間に、北の隣国から、日本海に打ち込まれたもの。
その詳細と、今後の成り行きは、当然気になる。
憂慮する冷静な意見と共に、好戦的、感情的な考え方も、インターネット上には散見する。
太平洋戦争終結後の60年間、日本は、いかなる国に対しても、不当に侵略したり、他国民を迫害したりすることなく、過ごしてきた。
これは素晴らしいことだ。
もちろん、平和憲法があり、防衛上はアメリカの庇護の元にあったからだと言えば言えるが、そうした議論をここでするつもりはない。


史上初めて、原子爆弾が投下され、私の叔母も含めて、たくさんの人命が失われ、今もその影響が続いている事実を考えると、アメリカに対しても、複雑な思いがある。
だが、アメリカを始め、ほかの大国からどんなにバカにされようが、非難されようが、自国を守るための手段としてさえも、慎重な態度をとり続ける日本のあり方を、変えて欲しくないと思っている。
その点になると、家族の間でも、意見が異なる。
個人のレベルでどうにかなる話ではないので、家庭の平和が侵されるほどのバトルはしないが、多分、育った環境と体験の違い、男と女の違い、様々あるのだろう。

父が亡くなってから、私は自分の育った家系の、すでにあの世にいる親族についても、調べてみる機会があり、その人たちの人生に、思いを馳せるところ多々ある。
私の父は、主計官として、当時仏領インドシナと言われた現在のベトナムに従軍したが、幸い生きて帰ってきた。
しかし、父の末弟である叔父は、太平洋上を飛行中、20歳の若さで戦死している。
墓碑には、その叔父の銘も刻まれている。
飛行服を着た叔父の、写真も残っている。
少年の面差しの残る、凛々しく美しい顔。
生きていれば、82歳。
恋も知らず、散った叔父の命を思う時、生ぬるい平和であっても、戦争よりいいと思うのだ。

しめった空気のよどむこの季節。
家中カビが生えそうである。
だが、明ければ、カッと日差しの照りつける暑い夏になる。
昨日は、大雨の中、前から約束してあった友人と、都心で待ち合わせ、さる美術館まで、骨董を見に行った。
李朝や伊万里の焼き物で、目の保養をした。
人間は、こんな美しい物も作るのに、片や、人殺しもするのだ、
今日は、父の新盆を控えて、近郷のある寺に行き、新しい位牌に法名を入れて貰った。



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