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ことばが出てこない哀しさについて、以前からあちこちで書いているが、こういうことはこれから増える一方であろうから、「我がもの忘れの記」とでも題して、そのうち、自費出版しようかと思っている。 同病相憐れむではないが、案外とベストセラーになるかも知れぬ。 ・・と言う冗談はさておき、昨日から、どうしても出てこない人名があり、一日たって、ヒントになることを思い出した。 詩人、翻訳家、ポール・ギャリコの「雪のひとひら」を訳した女性。 この本は、私の愛する本のベストスリーに入る。 原作は勿論いいのだろうが、訳した人の日本語の文章が素晴らしい。 いつか、ミニスカートで足を組んで、まるで少女のような不思議な表情をしたセルフポートレートを、何かで見たことがある。 ここまでわかっているのに、人名が出てこない。 こういう場合、検索すれば簡単なことはわかっているが、何とか、自分で思い出そうとして、丸1日逡巡した。 でも、もう無理だと諦め、グーグルで「雪のひとひら」で検索した。 たちどころに見つかったその名は、矢川澄子。 渋沢龍彦と結婚していたこともある。 2002年、自宅で縊死。 セルフポートレートに写った美少女は、当時、36歳。 亡くなったときは71歳。 これ以上長く生きる人ではなかったのかも知れない。 彼女が亡くなったとき、私は少なからぬショックを受けて、当時、矢川澄子について、いろいろ調べたりしたのに、いつの間にか忘れていて、検索で、思い出した次第。 ところが、なぜ、矢川澄子の名を思い出そうとしたかの動機については、忘れてしまったのだから、どうしようもない。 自身の生活が、詩的情緒とはかけ離れた、リアリズムに満ちているせいか、こうした人のことも、記憶の底に沈んでしまう。 記憶と言えば、先日のモーツァルト「レクイエム」の公演は、全曲暗譜で臨んだ。 もう若くない私たちが、一時間近くもの曲を暗譜する方法はただ一つ。 繰り返し、反復練習するしかない。 考えなくても、口からメロディが出てくるまで、繰り返し、歌って覚えるのである。 学生時代に一度、40代で一度、この曲を練習し、ステージで歌っているが、いずれも、楽譜持ちだった。 楽譜を持っていても、ほとんど見ることはないのだが、持っているだけで、安心感がある。 しかし、今回は、楽譜は持たず、文字通りの暗譜である。 心配していたが、新しい曲と違って、過去に1,2度歌った経験は無駄ではなく、メロディは頭に入っているし、オーケストラが鳴り出せば、どこの何ページとわからなくても、自然に自分のパートが出てくるまでになった。 23日は幸い、いい天気。 私は最前列のアルト、隣はテナーである。 滅多に履かないヒールの靴で、休憩無しの演奏だったため、直立不動で、死ぬほど足が痛かったが、歌の方は、ほとんど脱落することなく、歌い切ることが出来た。 私が直接声をかけたうちの1人は、演奏終了後にロビーで会うことが出来、もう一人は、翌日、電話をくれた。 親類、夫の友人達も、メールで、感想をくれた。 あとの人は、来たのか来なかったのか、音沙汰無しである。 今回は、無料で、客の全員は招待という趣旨である。 申し込んで、来なかった場合もあるので、言い訳をしなくて済むよう、こちらからは話題にしないで置く。
![]() 紅葉は山の高いところ 気温の低いところから始まります。 岩肌に張り付いている紅葉の葉。 赤い色が鮮やかに映えて けなげな感じもしますね。
今、連句の次に、イヤ、最近では、むしろ連句よりも多くの時間を割いているのが合唱。 昨年、ほぼ40年ぶりに、学生時代に入っていた合唱団の定期演奏会に、OBとして参加、モーツァルトのハ短調ミサを歌った。 指揮者は、その合唱団のOB、在学中に学生指揮者であったが、卒業後、芸大に入り直し、音楽の道に進んだ人。 今は、某国立大学教授で、モーツァルトの研究家でもある。 昨年、合唱団の創立50周年記念に、OBOGが、ワンステージを現役学生と合同で歌うことになって、昨年暮れの定期演奏会出演となったわけである。 それの延長線上に、今年は、海外でのモーツァルト「レクイエム」を、ウイーンの聖堂でうたうという話が持ち上がり、そのまま、参加することになった。 昨年のメンバーと、指揮者が持っている音楽研究会の関係者からなる混声合唱団。 20歳前後の学生から、70を超えるシニアまで、総勢120人ほどで、年明け早々から練習に入り、月に3回、毎回3時間ほどの練習に励んできた。 明日は、プロローグとして、まず東京での演奏会、それが終わると、11月始め、ウイーンに飛ぶことになる。 100人を超える人数が、集まったのは、モーツァルトの音楽の素晴らしさが第一にあるが、それ以上に、指揮者の魅力が大きい。 私たちは、歌というものに籠められたモーツァルトのメッセージ、生と死を通して訴える神への祈りの意味を、どう表現するかを、学んできた。 ラテン語のレクイエムの歌詞は、キリスト教徒でない日本人には、理解の難しいところがある。 しかし、音楽というもので見ると、どうしてここは、フォルテでなければならないか、なぜ、このことばは、ピアニシモなのか、それが一つ一つ、モーツァルトの深い考えと、感受性に基づいていることが、ことばの意味と共に、だんだんわかってくる。 そのようなことを、毎回の練習で、私たちに、辛抱強く語り、訴え、体現しようとつとめている指揮者の姿勢に、皆、感動しながら、惹きつけられて来たのであった。 合唱は、1人では表現できない多くの音と、ハーモニーで成り立つ。 1人1人は小さな存在であるが、複数の人たちと、同じ空間を共有することによって、より深い音と、ヴァリエーションが得られ、豊かな音楽として、表現されるのである。 私は、合唱をやっていて、連句と共通する部分があると思った。 1人では得られないハーモニーが、思わぬ世界を作り出すこと、多くの人と同じ空間を共有することの楽しさ、それ故に、時には、自分を捨てて、人に合わせる努力、それらは、連句の付け合いにも、言えることである。 片方は、文芸の世界、もう一方は、音楽であるが、よく似たところがあると、つくづく感じている。 歌も、文芸も、1人でなければならない分野もある。 表現という点では同じであるが、孤独を極めて成り立つものと、決して人と一緒でなければ出来ないものとの違い。 深く、面白いテーマであると思う。
![]() 10月始め、信州に行きました。 高速に入る途中の農道で 真っ赤な実を付けた木が立ち並び その見事さに、車を止めて しばし見とれてしまいました。 ピラカンサ。 街路樹にはあまり見ません。 どこからか移植したのでしょうが 珍しい風景でした。
小泉首相が、夏のあいだ、積極的に提唱したとかで、夏のノーネクタイが定着した感のあるクールビズ。 日本の夏の暑さは、格別なものがあるので、最近はことに、気温が上昇したこともあり、あの暑さの中で、いくら冷房があっても、ビジネスマンのスーツにネクタイは、さぞかし、つらいであろうと、以前から同情していた。 戦後の一時期、会社に通う男の人たちは、半ズボンにガーター付きの膝下ソックス、カンカン帽というスタイルで、私の父親なども、出勤していた記憶があるが、冷暖房が完備するにつれ、真夏も、男の人は、英国式に、スーツにネクタイというのが、当たり前になってしまっていた。 日本の風土には、元もと合わないのである。 その分、冷房がきつくなり、私などは、冷房を避けるために、夏は、外出を控えるくらいである。 機械に頼らず、ほどほどの暑さも、少し我慢して、その分、服装を軽快にする方が健康的ではないかと思っていたので、クールビズだか何だか知らないが、首相が率先してノーネクタイにシャツ姿になれば、体制順応型の男性達も、これに倣うわけだから、まあ、いいことではないかと思った。 そして季節が変わったら、今度はウオームビズだそうである。 今朝も、テレビで、ウオームビズを当て込んだデパートの商品開発や、売り上げを増すための戦略などを紹介していたが、こちらは、はっきり言って、ちょっと頷けない。 冬のデパートの不快さ。 客のほうは、冬の様相をし、コートを着て店に入ってくるのに、売り場の人たちは、ブラウス一枚の軽装である。 暖房をがんがんかけ、店の中は、あたたかいと言うより、熱いくらい。 従業員は、ブラウス一枚で、快適かも知れないが、お客は、外を歩いて入ってくるので、コートを着た体は、ほどよく温まっている。 デパートに入って、十分もすると、汗が出てくる。 寒さに対応した客と、春の暖かさにあった従業員の服装には、落差がある。 人が多ければ、暖かいを通り越して、むっとする暑さになり、とても、ゆっくり買い物をしようと言う気にならない。 いつか日本橋のデパートで、「なぜこんなに暖房を高くするのですか。客は、皆、汗をかくくらいで、コートを脱げば、荷物になるし、困っているんですよ」と言ったことがある。 すると若い女性従業員は、「私もそう思うんですけど、お客様から言っていただかないと、上の方は聞いてくれません」という返事であった。 ウオームビズなんて、言う前に、従業人は自ら、店内で、季節に合った暖かい服装をし、客の立場に立って、店内暖房を調節してほしい。 むっとするような暖房の中で、一刻も早く店を出たい気分で、誰が、マフラーやコートを買うだろう。 イヤ、オシャレに熱心な人は、そんなことに頓着なく、暖房の暑さに耐えて、品物を吟味するのだろうか。 そんなことを、テレビを見ながらぼやいたら、連れ合いが言った。 「ごらん。戦略のチーフは、みな若い人たちだろう。我々トシヨリなんて、ターゲットにしてないよ。」 そうかなあ。 私たち、快適なデパートなら、ゆっくりショッピングする気になるけどね。 ウオームビズなんて、ことばだけあったって、そうはいかないよ。 思いやりに欠けた商売なんて、成り立つわけ無いんだから。
昨日発句の会があり、久しぶりに参加した。 土曜日は、他のことと重なることが多く、昨年4月以来出席していなかった。 張り切って、向かったのに、バスの時間が掛かり、25分遅刻してしまった。 この会は、席題ですることになっている。 「蜻蛉」 「ハロウイーン」 「紅葉」 この題で五句。 他にも、遅れる人がいて、締め切り時間を伸ばして貰ったものの、なかなか句が出ず、満足いかないながら、ともかく五句を、ギリギリで提出した。 ところが、どういうわけか、5句の中で、一番、出来がよくないと思っていた句が、最高点を取ってしまった。 鬼やんまわが空色の旅鞄 名乗りを上げる前に、評がされることになっている。 作者がわからないうちは、皆、自由に発言できるのが、いいところである。 選を入れてくれた人は、その句をいいと思って、選ぶのであろうから、概ね、好意的というか、句のいいところを言ってくれたり、作者の思いを更に広げて、解釈してくれたり、また、ちょっぴり、辛い一言を言ってくれたり、大変参考になる。 その中で、ちょっと引っかかる評があった。 童謡の中に、「空色の旅鞄」ということばがあるらしく、それからの発想ではないかという意見が複数あり、その歌を知らない私には、思いがけない指摘だった。 それを言った人たちは、私より、年上だから、多分、子どもの頃に聞いて、記憶している歌なのであろう。 だから、私の句が、そこから来ているという風に、思ったのも、自然のことかも知れない。 発句(俳句)が、ちょっとイヤだなあと思うのは、こういう感想を言われたときである。 たった十七文字、ゴマンと詠まれている句の中には、ことばや言い回しが、どこかで見たと思うような場合が少なくない。 旅鞄の句は、たまたま、出かける前に、11月からのヨーロッパ旅行のために、夫が、屋根裏から出してきたスーツケースを、座敷に広げていて、「まだ、早いじゃないの」「イヤ、お前はグズだから、今から、少しずつ準備した方がいい」などと言う遣り取りがあったので、それを句にしただけのものである。 季語を何にするか、考え、蜻蛉の中で、一番元気の良さそうな鬼やんまを持ってきたのだった。 空色のスーツケースは、キャスターが壊れかかっているので、別の物にしようかと思っているが、そんな現実は、句にとって、どうでもいいことである。 やはり、秋空を思わせる空色のままがいい。 五句の中で、一番時間が掛からず、最初に出来た句であり、全く、私の生活日記そのままで、工夫も何もないのだが、どういうわけか、多くの人に拾ってもらったというわけだった。 そして、作者の発想とは違う解釈も、されたと言うことである。 俳句、発句を表に出したとき、こんな風に、意外な見方をされることはよくあり、誰かのどこかで見た句と似ていると言われることも、たまにはある。 短歌では、そんなことは、滅多にないのは、やはり、三十一文字という長さと、主観的な思いがテーマになることが多いからであろう。 客観的に詠む俳句。 季語は、共通である。 残った十二文字くらいで、どれだけオリジナリティを発揮できるか。 創作者の端くれとしては、自分の作った句が、思いがけず、どこかで見たとか、似ているとか言われることは、一番、憂鬱である。 最高得点をもらい、二次会の席で、おめでとうの乾杯を受けながら、どこかすっきりしなかった。 「この句を見て、昔こんな歌があったのを思い出しました」というのはいい。 しかし、「この句は、こう言うところから発想したのではないかと思います」と、勝手に決めつけるのは、避けた方がいい。 私も、人の句を評するときに、自戒しようと思った。
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