沢の螢

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10日後の再会を!
2002年03月28日(木)

何とか旅行の支度も終わった。
思ったより寒い出発となりそうだが、それも成田までの我慢。
杉並の両親の所に顔を出す。もし飛行機が落ちるようなことがあったら、これが今生の別れとなる。元気な姿を見たので、満足。母は、バルコニーから、手を振っていた。
途中ちょっと足りないものなど買って帰る。

ファックスで、先日満尾した連句が送られてくる。浮き世のつきあいもぎりぎりまである。

あと残るはホームページだが、ジオシティーズが潰れでもしない限り、ウエブ上では表示されるはず。
閑古鳥が鳴いていた「ネット連句」の欄に、初めて書き込みがあって、とても嬉しいが、フォローできずにお待たせすることになる。
10日後の再会まで、どうぞ、お待ち下さいますよう!
では行ってきます。

2002年03月28日 22時29分3


菜種梅雨?
2002年03月27日(水)

昨日あたりから天気が怪しくなり、今日も一日雨であった。少し肌寒くもある。
江南の旅の支度も、だいたいできたが、着るものにまだ迷いがある。日本より少し暖かいとはいうものの、朝晩は寒いかもしれないので、セーターや薄手のコートも持っていった方が良さそうだ。
今回は夫婦一緒の旅なので、留守中のこともしておかねばならず、何かと忙しい。息子夫婦に鍵を預け、一度位は見に来てくれるように頼んであるが、余り見苦しいものは見せたくないので、旅行の支度かたがた、あちこち片付けたりしている始末である。
こんな時、女は損だなあと、つくづく思う。「片づけなんかいいから、適当にしなさい」なんて、連れ合いはいうが、男一人家にいるだけで、どれだけよけいな手間がかかるか、ちっともわかっちゃいないんである。
自分だけさっさとスーツケースに詰めて、「君はのろまだねえ」なんて言うが、人間というのは、食べたり、着替えたり、トイレにも行き、そのたびにゴミを出し、それを片づけなければならないと言うことを忘れている。
昨年は、連れあいは一人でインドに行き、その間、私は我が世の春を愉しんだ。
その後、今度は私が一人でシベリアへ行き、留守中のことなどちっとも心配せずに連れあいに任せ、ロシアの夏を満喫した。
外国へは何時も夫婦一緒だったので、別々の旅行もいいものだと思ったが、今年は、なぜか行きたいところが一致したので、一緒に江南へ行くことにしたのだ。
参加者23名、半分はカップルだという。どんな旅になるのやら。願わくば、出発の日は晴れてくれることを。

2002年03月28日 01時18分35


花冷え
2002年03月26日(火)

先週あたり、衣替えしていいような暖かさが続いたが、昨日ぐらいから少し気温が低くなったようで、今日は、暖房を入れるほどの寒さである。
コートや、厚めのセーターは早々と仕舞ってしまい、また、重ね着などしている。
しかし、今日は雨が降っているので、花粉の飛散がなく、家人にとっては過ごしやすいようだ。
私のパソコンが止まって1週間、何とかデータをなくさずに、立ち上げる方法がないかと、メーカーとやり合ったり、息子に応援してもらったりしたが、やはり駄目なようだ。
OSの再インストールして、それでも駄目な場合は、ディスクを直すなりしますと言うことで、私が決心するかどうかである。
旅行へ行く前に、やりたくないので、このままにして、帰ってからインストールすることにした。
ホームページの原稿、メール、メモ帳や一太郎に入っているものは、すべて失われてしまう。
今年に入って2度目の消失、また悲しい思いをしなければならないが、仕方がない。まめに保存しておかなかった自分が悪いのだから。
今度は、ホームページの制作ソフトも新しくして、1から出直すことにしよう。
今まで、何かあると、家人に手伝ってもらったりしたが、それをやっていると、自己責任が希薄になって、失敗の度に、人を恨むことになる。家庭内ネットワークを作っている関係上、縁を切るわけに行かないが、背伸びしたソフトの共有などで、無理がいっているような気がする。
もう、パソコンの顔を見ないところに、早く行ってしまいたい。
江南の菜の花は咲いているだろうか。

2002年03月26日 22時37分55秒


萬葉の歌
2002年03月25日(月)

必要があって、何十年ぶりかで、万葉集の注釈書など見ていたら、学生時代に帰った気分で、しばらく読みふけってしまった。
礒の上に生ふるあしびを手折らめど見すべき君がありと言はなくに
これは、謀反の疑いを掛けられて死罪になった大津皇子を偲んで、その姉の大伯皇女が歌ったもの。好きな歌だ。今我が家の馬酔木がいい具合に咲いていて、ホームページに載せているので、この歌を思い出した。
万葉の歌には、いろいろなドラマが隠されていて、大変おもしろい。人間の心は、時を隔てて変わらないものだということを感じる。
壬申の乱の登場人物である、天智天武を中心とした、額田王を巡るドラマなど、想像するとわくわくする。
きみが往く道の長手を繰りたたね焼き滅ぼさむ天の火もがも
これは狭野茅上娘子の歌。激しい恋歌だ。若い頃誰かに贈った覚えがある。
歌というのは、リズムがあり、形が整っているので、言いたいことをほどよく伝える力がある。昔の人は、コミュニケーションの手段として歌を詠み、それに返歌をして、お互いの気持ちを伝えあったのだった。
外国生活をしていた時、家によくご飯を食べにきていた若い人と、短歌をやりとりしたことがある。周りが外国語ばかりのところで暮らしていると、日本語に飢えてくるのである。日本にいれば、まずこんなことはしないであろう。
私は短歌の結社に入っているが、なかなか歌が出来ず、何時も締め切りの日になって、あわててひねり出す始末である。
時間がないとか、忙しいとかいうのは言い訳で、歌を生み出す精神がないのである。
久しぶりに万葉の歌にふれて、1200年もの時間を超えて、万葉人と同じ世界を、ほんの少し共有したような気がした。


善意の行方
2002年03月24日(日)

春の嵐のように、この一週間のあいだに駈け抜けた風が、どうやら沈潜したかに見える。
集団の中で、何かをやろうとする時、たとえそれが、善意から出たことであっても、やり方如何で、まずい結果になることがある。ことに、人を巻き込んでの事柄は、自分のみならず、相手にも、周囲にも、幾ばくかの傷を残してしまうこともある。
「あれよあれよ」の結末は、もし、うまくいけば、実行した人たちの手柄話になるはずだった。ヒントとなる話をした私は、既に、そこからはずれていて、「一般大衆」のひとりとして、単なる事務的な手伝いだけを、頼まれていたが、私にも「五分の魂」はあるので、その計画には参加せず、手伝いにも加わらないつもりで、心を決めていた。
ところが、その計画は、実行段階に入って、別口から横やりが入り、頓挫したのである。それを知ったのは、一昨日の夜遅く、実行者からのメールだった。
強硬な反対意見があり、大がかりな形では実現不可能になったが、縮小したやり方で、まだやるつもりであることが書いてあった。しかし、自分が、早まって起こしたスタンドプレイについての、反省というか、認識はないように見えた。善意で始めたことが、ほかの力でつぶされることに、むしろ不満を持っているようだった。
「なんだか一本大事なことが欠けてるわねえ」というのが、5人のうちの私と、もう一人の人の感想である。残りの一人とは、この件では話してないので、どう思っているかわからないが、争いを好まない人だから、当たらずさわらずで、やり過ごしたかもしれない。
今回つぶしにかかったのは、組織の中での、バランス感覚と、ピラミッド型の人間関係を重視する男性群だった。しかし、公平に見て、彼らの収拾の仕方は、一つ上を行っていたと思う。
相手の状況や、周囲の人たちへの配慮を無視して、善意という旗印で(善意だけとしても)動いた人たちの、やや深みに欠けた実行の仕方が、そのままうまくいくとは思えない。
うまくいかなかった場合の逃げ道として、私が悪者にされる可能性もあったが、さすがに、そこまでには至らなかったらしい。「らしい」というのは、私の耳に直接はいらずに、言われているかもしれないからである。こんな話を、えさにして愉しむ人は、いくらでもいる。
張り切って、実行に取りかかった2人は、気の毒な結果となった。彼女たちは、大事なものを少なからず失ったことになる。いずれ、記憶から消え去ることではあろうが、あまりにも多くの人を巻き込んでしまったために、信頼感を損なってしまったであろうことは、否めない。
5人だけの、ささやかな話にとどめておけば、後味の悪いことにはならずにすんだであろうに。そして私も、これからは、人を見てものを言うべきだろう。

2002年03月24日 19時53分12秒


あれよあれよ
2002年03月22日(金)

ここ2,3日、メールや電話で行き来していることで、大変戸惑っている。
先日、女5人で大変愉しかったことを書いた。
その中で、たまたま私がある話をした。それは、「こういうことがあったらいいんじゃないかしら」と言うぐらいの話題で、具体的なことではなかった。
ところが、その話が、いつの間にか大々的なキャンペーンのような話に発展していて、しかも、最初に言った私の存在などは何処かへ行ってしまい、別の人の考えた話として、あれよあれよと、広がっているのである。
どうも先日の5人のうちの二人が、実現に向けて、ほんの1,2日のうちに動き出したらしく、空中をメールと電話が飛び交っていたのだった。
私の所にメールが来たのは、今日になってからである。すでに話が一人歩きして、私の言ったこととは、全くべつの展開になってしまって、野火のように広がっていたのだった。計画自体は、良いことだから、それに異を唱えることはないかもしれない。
ただ、その話を具体化するなら、私には事前にひとこと言ってくれても良いんじゃないかと思った。少なくとも、その場に一緒にいたほかの3人には、「この間出た話を実行したいんだけど、いかがでしょうか」位の、根回しがあってしかるべきではないか。
そう言う手続きを省いて、いきなりメールで、「こういうことになりましたから、ご協力願います」では、ちょっとおかしな気がする。
こういうのを、抜け駆けとか、スタンドプレイとか、言うのではあるまいか。
人の話を、じっと聞いていて、黙って自分のアイデアのようにしてしまうのは、フェアではない。私には、こんなことは考えられない。
5人のうちの一人が、「失礼な話ね」と、憤慨して私に電話をかけてきた。「あなたが言い出したことでしょう」と、私に代わって、怒っている。
でも、ここで私が「あれは私が最初に考えたんです」と、主張することに、どんな利点があるだろう。自分の人間を下げるだけである。功を焦りたい人には、させておけばいい。組織の中で、人より抜きんでるためには、その位したたかでないとやっていけない。
こんなことは、政界の男社会の話かと思っていたが、女でも、すごい人がいるモンだと感心した。
私は、見かけによらずお人好しで、思ったことは、出し惜しみなくしゃべってしまうので、時々こういう目に遭うのである。
そして、なぜか、悪役に仕立て上げられたりする。
いきさつを訊いた連れ合いが言った。「その件に関しては、ノーコメントで通した方が良いよ。何か言えば、話に尾ひれがついて、ろくなことにはならないし、うまくいかなかった時は、きみのせいにされてしまうから」
その話が実行される頃、私は日本にいないので、却って好都合である。
最初に電話をかけてきた人が、全部のいきさつを知っているから、それだけでよい。
ただ、先日のせっかくの愉しい話に、妙なオチが付いてしまった。ちょっと残念である。

2002年03月22日 00時02分4

桜咲く
久しぶりに、繁華街に出た。連れあいと車で通る途中、桜並木があり、ほとんど満開で、小雨に少し散る風情もあり、早い花見となった。
今年は開花が早くて、この分では、4月にならないうちに、日本全国の桜が、咲ききってしまうかもしれない。
昨年、三春と言うところに、桜見物に出かけたが、4月半ば、もう散ってしまっていた。その前の年は、まだ開花していなかった。
毎年ここを訪れるという人に、連れて行ってもらったが、2年続きの空振りだった。今年は、まだ話が出てないが、もう咲いているかもしれない。
3月の桜というのは、なんだかそぐわない。やはり、4月になってから咲いて欲しい。
今月終わりに中国江南に行くが、菜の花の見頃だそうで、楽しみである。
魑魅魍魎の渦巻く人間界、でも美しい花は、それらのことを忘れさせてくれる。買い物をし、食事をして帰ってきた。今日は、しばらくぶりの雨で、少し助かる。多少、地面も潤うだろう。
2002年03月22日 21時26分38秒


なんともはや
2002年03月21日(木)

昨夜、家人が、新しいプログラムを送ってやると言って、容量の大きなメールを添付ファイル付きで私のメールに送ってきた。
それを解凍してインストールしたが、途中でエラーがでて、強制終了となった。
今朝、ホームページの更新をしようと、ファイルをいじっていたら、文字トレイがでなくなったので、家人に応援を頼み、あちこちいじっていたら、とうとう、ウインドウズが動かなくなってしまった。
メーカーに訊いて、言われることは全部やってみたが、どうもだめなので、再インストールしかありませんという。
ところが、前回再インストールしてから調子が良かったので、しばらくファイルのバックアップをとっていなかった。再インストールするのは、難しくないが、データは全部消えてしまう。
ホームページは、前回の失敗の後、ウエブ上からテキストをコピーして、作成ソフトに貼り付け、背景の画像や写真、色をまた設定し直して、すべて新しくしたばかりである。再インストールすれば、ジオのツールは、そのまま残るが、作成ソフトにある分は、ウエブ上は表示されていても、原稿はすべて失われることになる。
もちろん、メールもなくなってしまう。ヤフーから取り込めるようにしてあるので、これからくるもの、すでに取り込んだものは大丈夫だが、大部分は、メールソフトのトレイに、そのまま入っているのである。
ショックだった。情けなくて、涙が出た。もう、インターネットなどやめようかと思った。この一月、深夜まで苦労して、書きためたものが、全部失われるとは!
所詮、器械の中の世界、あだ花なのか。この中にこもっている私の世界は、空虚な箱でしかないのか。人間より、器械の方が、力を持っているなんて。ミスを許さない世界なのか。
手書きで書いたものなら、消しゴムで消さない限り、残るであろうに。
ネットで、人と繋がっていると思うのも、もしかしたら、幻想かもしれぬ。
安易に書き、安易に送り、誰でも入れるが、心の届かない面もある。ネットの会話の、時として感じる空虚さ、冷たさ。削除すれば、消えてしまい、何も残らない。
人間的な感情まで、消えてしまいそうな危うさを持ったネットという世界。
私に本当にふさわしいところなのかどうか、この機会に考えてみたい。

2002年03月21日 00時15分47


雨乞い
2002年03月19日(火)

長いこと、雨らしい雨が降っていないような気がする。
先週、ちょっとその気配があったが、すぐに乾いてしまった。
天気がいいのはありがたいが、やっと背丈が伸びてきたチューリップや、庭の木たちが、水をほしがるので、毎日の水撒きが大変である。
今年は、雪が全くと言っていいほど降らなかったので、このまま晴天が続くと、夏に水不足になるのではあるまいか。たまには降ってほしい。夜降って、朝になるとやむというのが、いいのだけど、そんなに人間の都合ばかり聞いていられないのが、雨の神様である。
暖かくなって、風の強い日が続く。今日も、洗濯物が飛んだりした。うちの中が、土埃で、何となくざらざらするので、念入りに掃除機をかけた。
亡くなったダイアナ妃は、風が嫌いだったそうだ。私も、強い風は好まない。頬をかすめるそよ風ぐらいにしてもらいたい。山で遭難するのは、風のせいだと、聞いたことがある。体温を必要以上に奪うからだろう。
明日も晴れるのだろうか。

2002年03月19日 22時23分43秒


女同士
2002年03月18日(月)

今日は久しぶりに、おしゃべりを愉しんだ。
午後からある女性詩人の講座があり、終わってから希望者10数人で、講師を囲んでお茶を飲んだ。
私は、幸いというか、皆が遠慮して講師の隣に行かないので、人から押し出されるようにして、講師である詩人の隣に座ったので、直接お話しできて楽しかった。
講師も、今日は時間があったのか、ゆっくりしていてくれた。
それが終わって、帰りかけたが、たまたま私の近くにいた女性がトイレに行くというので、私も私もと言う人が5人で、トイレに行き、「なんだかお腹空いたから夕飯すませちゃう」と、一人が言い出し、それもまた、5人が同意してパスタの店に入ったというわけだった。
書きたいのは、こちらの話である。
50代2人、60代3人のおしゃべりは、次々と話題が変わり、女だけの気安さと、同性だけが分かり合える感覚の早さも手伝い、大いに盛り上がった。これで男が一人でも加わっていたら、こんな風にはならないのである。多少なりとも、気取りが出るし、いいにくいこともある。
私たちは、「雨夜の品定め」の現代版男性編を話題にして、勝手なことを言い合い、気がついたら2時間近く経っていた。いつも帰りを気にする人が、珍しくゆっくり出来るというので、私も「終電車で帰ればいいわ」などと言って、誰も時計を見ずに、時が経ったのである。
さすがに終電車と言うことにはならなかったが、心地よい疲れを味わいながら、帰途についたのであった。
私は、中学からずっと女子ばかりの学校で育ったので、同性の集まりの善し悪しを経験している。
今の若い人たちは違うだろうが、私の少女時代、どんな集まりでも、男と女と両方いる場合は、長は男、副が女という、役割分担のようなものが出来てしまうが、女子校にはそれがない。長も副も、力仕事からお茶くみまで、全部女だけでしなければならない。リーダーシップも、発言力もつく。年頃の女の子は、男の子がいると、意識せずとも、かわいい女を演じてしまったりするが、女子校では、異性の目を気にせず、のびのびと、過ごすことが出来た。
だから、女子校育ちは、怖いもの知らずというか、妙に大胆なところがある。社会に出て、一番戸惑ったのは、女性の中で、女だけの時と、男性がいる時とでは、極端に態度の変わる人がいたことだった。そして、男性が、いかに女というものを理解していないかを知って、愕然とした。
女性の、本当の姿は、男の人にはなかなか見えない。もちろん、女も男を理解していない点が多いが、どちらかというと、男の人の方が、わかっていないと思う。
「女だけの集まりなんて最低」と、言い放った女性を知っている。私という女が同席していながら、男の人にそう言ったのである。こういう女は、同性の中では、本当の友達づきあいをしてもらえないが、男の人、女でも上の立場にいる人には好かれるのだから、何とも不思議である。
女同士は、ごまかしがきかない。その代わり、気取りをなくして胸襟を開いた間柄では、本当の話が出来る。
私は、そういう関係を、男の人とも作りたいと思っているが、なかなか難しい。同性の友達とは、やはりどこか違う。魅力のある人は、ファンも多いので、自分だけで独占するわけに行かず、そのために、時としてつらい思いをするからである。これは恋ではないと、自分の心に言い聞かせているが、やはりそれに近いものがあるのだろうか。
そこへ行くと、話の合う女同士は、理屈抜きに楽しい。時々、こういう機会を持ちたいものだと思った。

2002年03月18日 01時46分16秒


ヘアスタイル
2002年03月17日(日)

2ヶ月ぶりに美容院に行った。
この前少し短くカットしすぎたので、寒いうちは、このまま伸ばしておこうと、無精していたが、いよいよ、格好が付かなくなったので、午後から出かけていった。
シャンプー、カット、カラーで2時間半、帰りにスーパーなどに寄ったので、夕食の時間になってしまった。
美容院は、まめに行く人と、私のように、なかなか行かない人とあるようだ。女性は、何を置いても美容院には行くものだと思っている男の人も多い。そんなことはない。むしろ、男性の方が、月に一度は床屋に行くと、決めている人が多いのではなかろうか。
女の髪は、多少伸びたりしても、ごまかす方法があるが、男の髪は、ただの無精髪になってしまうからということもあるのだろう。
連れ合いはこのごろ床屋でなく、美容院に行っている。床屋との違いは、ひげを剃るかどうかだけだと言うが、少し腰の弱くなった髪には、美容師のカットの方が、仕上げが軽くていいらしい。あちこち渡り歩いて、このところ、行く店を決めたらしい。
私は、美容院をよく替える方である。私が浮気だと言うこともあるが、一番の理由は、どこへ行っても、気に入らないからである。
私はパーマネントウエーブをかけないので、カットだけで髪を決めなければならないのだが、これぞと言うヘアスタイルに仕上がったことは滅多にない。年格好を見て、大体こんなところかというマニュアルがあるのかと思うくらい、同じようなちんまりとしたスタイルにまとめてしまう。いつも不満が残る。その結果、あちこちの美容院をはしごすることになるのだ。
3年ほど前、うちから自転車で行けるぐらいのところに、ふらっと入った。そのとき私の髪を切ってくれた美容師が、とてもいい形にしてくれた。気に入って珍しく通い続けたが、いつの間にか、店を替わったと見え、ある時からいなくなってしまった。そのまま、同じ店に行っているが、ほかの美容師では、どうも前のようには行かず、かといって、店を渡り歩くのも、だんだん面倒になったので、今日もそこへ行った。
美容院の鏡の中では、まあまあと思って出てきたが、うちに帰ってくると、なんだか気に入らず、やり直したい気分である。
昔の話をしても仕方がないが、私が若い頃暮らした南米では、美容院がよかった。シャンプーは粗雑で、すすぎが足りなかったり、手先の扱いが乱暴で、はらはらしたりしたが、仕上げのうまさは抜群だった。
お客をいかに美しくするかという意識に、徹しているように思われた。このころ写した写真は、どれも自分とは思えない美女にとれている。ヘアスタイルのせいである。
同じ外国でも、イギリスの美容院はいただけなかった。満足した記憶がない。お化粧よりも服よりも、顔を引き立たせるヘアスタイル、プロならもっと研究せい、と言うのが、己の素材の悪さを棚上げにした、私の言い分である。

2002年03月17日 00時23分16秒


刺激
2002年03月16日(土)

パソコン不調とかで、ずっと長いこと、ホームページの更新および、メール送受信の途絶えていた、私の連句仲間、と言っては失礼に当たるので、密かに敬意を込めて(師匠)あるいは親愛なる情を抱いて(兄)と勝手に呼ばせていただいている人が、やっとネットが復帰して、今日は、ホームページの更新もなされたらしく、写真とレイアウトが変わり、新しく俳句のページが増えたのを見つけて、なんだかこちらまで嬉しく興奮してしまい、すぐさま「おめでとう」のメールを送り、無事に返事をもらって、ついでに自分のホームページも、あれこれいじりたくなって、ファイルを開け、レイアウトやテキストの更新をし始めたら、途中で機械の調子がおかしくなり、また何度目かのファイル消滅かとひやりとしたが、そうではないことがわかり、ほっとしたものの、まだ興奮状態にいて、夜更かしとなってしまい、ぎっくり腰はかなり治ったので、はじめは行かないつもりでいた、日曜日の詩人の講座に行くべく、心の準備も必要なので、あれこれ逡巡しているのであるが、詩人は2時間の講座をどう進めるつもりなのか、私は記録係を言いつけられていて、それは苦手だからお茶と菓子の係を希望していたが、これは(師匠)ことボスの至上命令とかで、しかもボスはネット不調を理由に一切のコミュニケーションを遮断していたので、私は電話は嫌いだし、なぜって、電話は本人が出ないことが多くて、取り次ぎが面倒くさいので、かといって手紙も大げさだし、メールは一番いいのだけど、だめと言われてるものを送るわけに行かず、結局当日の記録をすることになりそうだが、月末に中国に行くので、記録提出が間に合うかどうかは自信がないが、何とかなるだろうけど、あれほどネットに頼っていた御仁がそういうものを絶った場合、さぞかし不便だろうと思うのはこちらの勝手な推測で、必要なところには、届いている気配もあり、私のメールなどは元々お呼びでないとしても、しばらくネットから遠ざかっていたら、かなり、今までと違う価値観、生活感覚が出来たにちがいないので、新しいホームページは、きっと今までになく刺激的なものになるであろうことを期待して、良きライバルなどとおこがましいことを言うつもりはなく、ひたすら発展を祈る次第・・・なんてことは、よけいなお節介でしかないのであった。

2002年03月16日 02時35分43秒


舞台の醍醐味
2002年03月15日(金)

先週見た井上ひさし「国語元年」をもう一度見に行った。初日の興奮と違って、出演者も演技に余裕が見られるし、見る方も、大体の展開が頭に入っているので、最初に気づかなかったことに気づいたり、前に見えなかったところが見えたり、また違った味がある。同じ芝居を二度見ることの良さが、よくわかった。
芝居の面白さは、なんと言っても生の舞台でしか味わえない臨場感であろう。たぶん、同じ舞台は2度とないくらい、一回一回違うのだと思う。何が起こるかわからない面白さと怖さ、演ずる方も、毎回違う客の雰囲気を前に、真剣勝負を挑むわけである。演じる方と、観る方とが、がっぷり4つに組んだとき、思いがけない至福の舞台が現れるのかもしれない。
その意味では、なるべく前の方で観るのが良い。今回は、2度とも、比較的前の方だったので、俳優の汗まで見えて、なかなか良かった。
ところで、私は、映画や芝居を観ているとき、必ずどこか一カ所眠くなる癖がある。それは、芝居がつまらないとか、役者の演技が下手だとか言うことではなく、一種の生理現象というか、条件反射みたいなものである。
ある時、サザンシアターで、ある舞台を観ていた。シリアスな芝居だった。私は、前から2列目ぐらいの席で見ていた。途中、例によって、うとうととした。時間を計ったことはないが、ほんの1,2分ぐらいだと思う。役者のセリフは聞こえているのに、夢の中のように、聞いていた。ふと目を開けると、舞台中央でセリフを言いながら、役者の目が私をにらんでいる。「おまえはこれでも寝るのか」と言わんばかりの、すごい形相で、私の目をのぞき込むがごとく、にらみ据えているのである。
役者にとって、演じているすぐ目の前で、寝ている人がいるというのは、気になるに違いない。悪いことをしたと思い、私も、まっすぐににらみ返した。
役者はすぐに元の目に戻り、芝居は続いた。
あんな経験は初めてである。
睡眠不足で芝居を観ると、こういう事も起こるからと、それ以来、芝居を観る前日は、よく寝るように、心がけている。

2002年03月15日 01時00分26秒


馬酔木の花
2002年03月13日(水)

我が家の庭は、木は多いが、花壇は作ってないので、人が見ると、ちょっと殺風景に写るかもしれない。
花は、梅、椿、山茶花、紫陽花、花海棠、木槿など、木の花ばかりである。私がもっと、草花に手をかける習慣があったら、季節ごとに花を植え替えたりして、花いっぱいのカラフルな庭を演出するであろう。
最近シニア向けのサイトを時々見るが、写真の上手な人が多いようで、さまざまな花の写真を、ページいっぱいに載せてあったりする。
ホームページを作るとき、はじめは既成のファイルに入った写真を使ったが、やはり、自前のものがほしくなり、私設秘書に頼んで、デジカメで撮った写真の中から、深大寺のバラの写真を使った。
年が明けて、表紙を作り替えたので、私の書斎の窓のそばにある、紅葉した楓の写真を載せた。
それが、保存の失敗で、ホームページごと削除されてしまったので、また1から作り直し、トップの写真は、既成ソフトの中の富士山を使った。
しかし、そろそろ春めいてきたので、少し明るい色調にしようと、壁紙をピンクにしたので、写真も、やはり既成のソフトの中から、マーガレットを選んだ。
最近、秘書が、庭に咲いた馬酔木のいい写真を撮ったので、そのうち未使用のものを1枚もらい、今度表紙の色と共に、一新した。
日記は、ほとんど毎日書いてるし、表紙その他のページも、少しずつ手を入れている。ごくたまに、のぞいてくれる人があったり、ゲストブックに書き込んでくれると嬉しい。
私も、いいホームページを見つけたときは、ひと言メッセージを入れることにした。
何度も失敗しながら作ってきたが、このひと月あまりで16ページになった。アクセス数、700を超えた。

2002年03月13日 16時32分26


腰痛三日目
2002年03月12日(火)

今朝は、なかなか起きられなかった。
体をひねると痛いので、仰向けになっているしかなかったが、お腹もすいてくるので、亭主におにぎりを作ってもらい、寝床の中で食べる。「おにぎりなんて作ったのは、学生時代の合宿以来だ」などといいながら、あるじ殿の作ったおにぎりは、ふわっと丸めて海苔で巻いているので、持ったとたん、ぼろぼろこぼれてしまい、食べにくくて困った。しかし、ひとつはじゃこ、もう一つは鮭が入っていて、おいしかった。
家にいると、こき使われると思ってか、テキはそそくさと支度をして、スポーツクラブへ出かけてしまう。「女房の部下になるより、元の上役の部下になる方がましだ」とか何とか言う川柳が流行っているそうな。このハクジョウモノ!
元気が出たので、やっとの思いで起きてみたら、ぎりぎりと痛みが走ったが、そのうち、だんだん体が慣れてきたので、庭の水撒きなどする。
堅い椅子に座るか、立っている方が楽なことがわかった。
テキは昼過ぎ戻り、少しばかりの食べ物や材料を冷蔵庫にしまい、また夕方からジャズのライブハウスに行くと言って、出かけてしまった。
このところ、そういう仲間が増えて、魅力的な女性もいるらしく、時々誘われてはウキウキと出かけていく。
最近、妙齢のキャリアウーマンの間で、「お借りするよそのご亭主」というのがはやっているそうな。お金も自由もある女たちは、今更結婚して、亭主の世話なんかするより、すでに家庭を持ち、安定した立場にある男を捜して、いいところだけいただくのだそうだ。
身の回りの世話なんか、奥さんに任せておけばよい、人の家庭に入り込むつもりはさらさら無く、かといって、独身の男は、なまじ結婚などと言う可能性があるから面倒くさい、家庭持ちなら、その心配もないと言うことらしい。
身勝手なと思うが、同姓としてわからないこともない。それだけの力のある女は、そういう生き方をすればいい。老後のことも自分で、考えるのだろうから。ただ、我が亭主が、彼女たちの身勝手の標的にされるのは、ごめん被りたい。
そこで私はこう言った。「もし、キケンを感じたら、ウチのカミさんがねえ、とさりげなく言ってやるといいわ。その一言で、女は冷めるから」
とにかく早く腰痛とおさらばして、美容院にも行かねば。

2002年03月12日 20時46分51秒


ぎっくり腰
2002年03月11日(月)

昼前、いすから立ち上がろうとした拍子に、腰にビリッと来て、またやってしまった。
これで何度目かのぎっくり腰。
最初は5年前、両親が家に引っ越してきて、荷物の片づけや、買い物など、多忙な毎日を過ごしていたとき、やはり、ちょっとしたきっかけで、ぎくりと来た。
整形外科に行き、牽引などいろいろやってみたが、一種の老化現象なので、気を付けるしかないことがわかり、無理な姿勢を取らないこと、筋肉を鍛えること、等々、日常生活の中で、ケアすることにした。それでも、マッサージに何ヶ月か通った。
今日は、パソコンの前で、少し長いこと腰掛けていたのがいけなかったらしい。
痛みがあったら仕方がないので、午後から横になり、日頃の寝不足もあって、4,5時間寝てしまった。
今日が短歌の締め切りなのを思い出し、そろそろ起きてみたら、どうやら大丈夫なので、短歌6首を清書、家人に投函してもらった。
ホームページやブックマークに入れてあるサイトを最終チェック、これで閉店とする。
2002年03月11日 00時03分01秒

ぎっくり腰続き
私の家系は、長命だが、どうも足腰に問題あるらしく、親兄弟とも、たいてい、一度ならず、ぎっくり腰のようなことに見舞われている。
そのくせ、歯は丈夫で、あまり歯医者に縁のある話は聞かない。
3,4年前、骨密度の検査をしたが、私の骨は、同年代の人の平均より、1割多いと言われた。
父も母も、何度も転んだりしているのに、それで骨が折れたことはない。2年前、父が風呂場で転んだときも、肋骨にちょっとひびが入ったが、レントゲンを撮ると、60代の骨だと言って、医者がびっくりしていた。
そのくせ、腰痛で動けずに3ヶ月勤めを休んだという経験はしている。
骨は丈夫だが、筋肉が弱いと言うことなのか。
腰痛は、寝ていても直るというわけではないらしい。むしろ、立って体を動かした方がいいような気がするが、今朝起きあがるのは、ちょっとつらかった。
ベッドの上で、夫の作った雑炊を食べ、しばらくしてそろそろ起きて、シャワーを浴びたりしていたら、何とか起きられそうなので、そのまま、一日過ごし、夫のいないのを幸い、パソコンなどのぞいているわけである。
今月終わりから、中国江南地方に行くことになっているが、大丈夫だろうか。
シナリオをまた一つアップした。誰も読んではいないような気がするが、段ボールの底に入ったままの作品を、画面に載せることで、私の気は済んでいる。
こんな事に夢中になっていたこともあったんだなあと言う、人生のある時期の思い出のようなものかもしれない。

2002年03月11日 22時45分19秒


春眠
2002年03月10日(日)

春らしく、暖かくなり、朝起きるつらさはなくなったが、その代わり、春は眠い季節である。
中国の詩に「春眠暁を覚えず」というのがあるが、春の眠気というのは、生理学的な根拠があるという話を、むかし聞いたことがある。
だからと言うわけではないが、私は、この春という季節が、あまり好きではない。若い頃は、この季節になると、顔がはれぼったくなり、目がショボショボして、うっとうしかった。そのころ花粉症というのは、なかったが、一種のアレルギー症状であろう。
子育ての頃は、春になると、卒業、進学などと言う、家族の行事があって、主婦には忙しい時期となる。
虫も人間もぞろぞろ這い出してくると、私の冬眠生活は、いやでも終わり、世間並みに立ち働かねばならなくなるからだ。
要するに、怠け者で、冬は寒いからと言っていいわけが立つが、春になると、そうはいかなくなると言うだけのことなのであろう。
さて、庭仕事に余念のないあるじのために、お茶でも入れるとしよう。

2002年03月10日 10時30分55秒


ご主人様
2002年03月09日(土)

自分の連れあいを、なんと呼ぶか。
ある年齢以上の女性なら一般的には、「主人」というのが多いのだろうか。そういう統計があるかどうか知らないが、私の見聞きした範囲は、そうである。
これは、口頭で話すときのことで、手紙や文章の場合は、ちょっと違う。私の場合、「連れ合い」「夫」「主人」「亭主」「同居人」「秘書」というのを、相手と場合によって使い分けている。このごろは「家人」というのもよく使う。元々は、男が妻乃至家の主婦を指した言葉らしいが、女が言ってもいいと思う。
日本語で、ずいぶんいろいろな言い方があるのに驚く。英語ならハズバンドの一語ですんでしまうのだろう。
最近の若い夫婦は、お互いを人に言うとき何というのだろうか。ひと頃は「パートナー」と言うのが流行ったが、最近はあまり聞かない。
「彼」「彼女」と言ったり、男なら旧来の「家内」「カミさん」というのも結構多い。「妻」という言い方は、あまりなじまないのか、たまに聞くと、ちょっと異質な感じがする。

連句の世界では、お互いをファーストネームで呼ぶ。「光男さん」「花子さん」という具合である。年に関係なく、まことに平等で、しかも、夫以外の男性から、ファーストネームを呼んでもらえるのは、新鮮でいい気持ちである。
ある時、急な連絡をすることがあって、仲間の男の人に電話した。出たのは、女の人だから、たぶん奥さんであろう。普通なら例えば、「青山さんですか」という風に、相手の苗字を確かめるところが、とっさに出てこなかった。いつもファーストネームを呼んでいるので、苗字が何だったか、ど忘れしたのである。あわてた私は、「・・さんをお願いできますか」と、その人のファーストネームを告げて、取り次ぎを頼んだ。すぐに本人が出てきて、用事は済んだ。
ところが、次に会ったとき、その人から「電話の時は、ご主人様とか何とか言ってくれた方が、家内に誤解されずにすむから」と言われて、びっくりした。
そんなに自分の亭主が、危なげな人だと思っているのだろうか、電話をかけたからって、どうと言うことはあるまいに、ずいぶん信用がないんだなあと思った。
私の連れ合いにその話をすると「まあ、それが世間の常識だから、ご主人様と言っておけば無難だよ」と笑っていた。
ちゃんと名前があるのだから、それを言って取り次いでもらう方が間違いがあるまいに、「ご主人様」とか「奥様」とか、曖昧な代名詞を使わなければならないなんて、ずいぶんおかしな話だ。
それ以来、私は、よほどのことでもない限り、男の人には電話しないことにしている。出てくるのは本人でないことが多く、手続きが面倒だからである。

2002年03月09日 00時37分26秒

Long and winding road.
今日はおもしろいテレビを見た。
アメリカで大型のRV車を生活の場として、旅して暮らす人たちが、増えているというのである。
大型観光バスの幅を少し広げたくらいのスペースに、家族4人ぐらいの生活必需品を積み込んで、広いアメリカを、気の向くままに旅して歩く。
ある夫婦は、子供が都会の生活になじまないことをきっかけに、自然の中で育てようと、二人の男の子を連れて、車の生活を選ぶ。学校に行く代わりに、車の中で勉強を教え、いろいろな人たちとの出会いを通して、子供に、ひととの関わりを学び取らせる。
また70過ぎの別の夫婦の場合は、妻がアルツハイマーの症状が進んで、車の移動が難しくなると、そうした移動生活者を対象としたケア付きの場所に移り、仲間の助けを借り、介護サービスを受けながら生活する。
高収入の仕事があるのに、あまりに忙しすぎて、家族との触れあいがない、今の生活を変えたいと、家を売り払って、家族一緒の旅の生活を選んだ若い夫婦など、興味深かった。そこにあるのは、共通して、人間らしい心の通い合いを大事にする人たちだった。
アフガンに乗り込んだ、ブッシュのアメリカとは違う人々の姿があった。今、こうしたキャンピングカーは、全米で1000万台もあるという。所々に、水や排水の設備を備えた拠点が出来ていて、専門の病院、いろいろなサービスも受けられるようになっているそうだ。
いかにも多様な社会を構成している、アメリカらしい話だと思った。
家とは何か、住まいとはどこか、家族は、そして人間のつきあいとは何かを、考えさせてくれた。そして、この生活の形が増えてきた大きな要因として、ネットの広がりがあるという。
移動生活者たちは、皆自分のホームページを持ち、同じような人たちとメールをやりとりしながら、互いに助け合い、行きずりの人たちと時にお茶会などもして、新しい形のつきあいを模索していた。そして、移動生活者たちの半分近くが、50歳以上の人たちなのだった。

2002年03月09日 23時01分58秒


「国語元年」
2002年03月08日(金)

紀伊國屋ホールに芝居を見に行った。
井上ひさし「国語元年」。初日だが、チケット完売で、補助いすも出ていた。
明治初め、日本人の話し言葉を全国統一するという案があって、それにまつわる悲喜こもごもの混乱を芝居にしたもの。
主人公の役人を演ずる佐藤B作はじめ、出演者が熱演で、活気のある舞台だった。10年以上前だと思うが、NHKでもドラマ化されて、川谷拓三が、役人を演じた。
この芝居は、私がいつも見ていて、時に書き込みさせてもらっているあるホームページを管理している人が、知らせてくれたので、一緒にチケットを取っていただいた。私は友達と一緒、その方も何人かの連れがあり、思わぬ初対面の挨拶も出来て、ひさし氏も加わった初日の乾杯にも参加させてもらって、よい夜だった。
いろいろな方言が出てくるので、台本を買って帰った。来週もう一度見に行くことになっている。

2002年03月08日 01時45分48秒


女の涙
2002年03月06日(水)

前外務大臣が、テレビで涙を見せたというので、「女の涙」が、ひとしきり話題となった。
泣いたりしそうもないように見られていた人だからだろうか。
でもわたしには、彼女の気持ちがわかるような気がする。あんな伏魔殿のようなところで、魑魅魍魎渦巻くところで、男たちにいじめ抜かれたら、情けなくて、悔し涙も出るだろう。首相の言う「女の涙」とは、違うような気がする。逆に彼女は、信頼していた男どもを見捨てたのである。
息子の妻は外資系の会社で働いている。仕事が出来るので、部下15人を抱える立場である。部下の中には、年上の男もいて、この連中が、時々、手の込んだ意地悪をするのだそうだ。
男というのは、自分より弱い立場の女には、優しかったり、親切だったりするが、一度ライバルと見なすや、同姓に対するよりも、敵愾心を持つらしい。正攻法でかなわないとなると、妙なところで男同士団結して、ネチネチとやるのだそうだ。
「そんな時どうするの」と訊いたら、「戦うしかありません」と、けろっとしていた。だから、涙はもとより、女の弱さを武器に使うようなことはしないので、男の何倍も仕事をしなければならず、疲れるらしい。
彼女も、なぜかそんなところだけ、姑である私に似て、不器用なのである。幸い、上司が理解があるので、助かっているそうだ。
息子は、よく彼女の話を聞いてやるらしい。「だからやっていけるんです」と言っていた。
私も、あまり泣く方ではないが、時々溜まったものが溢れてくるがごとく、わっとやることがある。誰もいないときが多い。さんざん泣くと、さっぱりして、気が楽になる。
今日も、とても悲しいことがあって、半日泣き暮らしたが、それで、諦めがついた。
次の日笑って過ごすための、人に与えられた自然の理かもしれない。

2002年03月06日 23時55分04秒


あひるの心
2002年03月05日(火)

人付き合いの下手な私だが、いくつかの会や、グループに身を置いている。
自分が好きで入っているのだから、だいたい楽しいことの方が多いが、時に愉快でないこともあるのは、どこの世界でも同じであろう。
私が一番傷つくのは、その中で、分け隔てされたとき。
他の人が知っていて、自分だけ知らされていないことが、後から解ったり、何らかの理由で、ほかの人たちが参加することに、誘われなかったりすると、ひどく悲しい思いをする。たとえそれが、思いやりや、配慮の故であったとしても、なぜ、言ってくれないんだろうと、思ってしまう。隠したってどうせわかるのに。
仲間はづれにするなら、完全犯罪でやってほしい。
疑心暗鬼になるまいと思いながら、偶然知った事実に、時に苦しい思いをしてしまう。しばらくそこに、足を向けたくなくなる。
いい年をした私でさえ、傷つくのだから、子供が学校などで、阻害されたときは、どんなにつらいだろう。
引きこもりや、不登校を、本人のせいにするのは間違いだと思う。そこへ行くまでの、心の軌跡があるのだ。

でもこんな時、私はなぜか連句や短歌が、湧き出てくる。楽しくてしょうがないときは、ちっとも出来ないから不思議である。
ブルーな心を逆手にとって、10日締め切りの短歌10首を、作るとしよう。

2002年03月05日 02時10分10秒

鶯来たりて

昼前パソコンをいじっていたら、二階の家人から内線がかかって、「鶯がいるよ」という。
すぐに見ればよかったのに、ちょうどホームページのデザインを変えたりしていたので、5,6分して庭を見たときは遅く、かの春告げ鳥は、去ってしまったらしかった。それに、コトとも鳴かなかったものだから、実感がなかった。
家人の話によると、鶯ははじめ、馬酔木の木にいて、梅に移り、それから椿の木に止まり、花の蜜を吸ったあと、どこかへ行ったらしい。
鶯は、何年か前までは、毎年来ていた。紅梅の木に止まって、たまにいい声を聞かせてくれた。いつ頃からか、うちにはあまり来なくなった。
うちから大通りに出る途中に、大きな屋敷があり、そこの庭にはよく来るらしく、季節になると、始終鳴き声がした。春と限らず、とんでもない時期に鳴いていたこともある。
それが今日、我が家に姿を見せたというのである。
惜しいことをした。パソコンなんか放り出して、鶯を見るべきだった。

昨日までしばらく続いた暖かさだったが、今日は真冬の寒さ。昨日クリーニング屋さんが来たので、厚いコートを出したところ。
まだまだ、本当の春には、間があるのだろう。
歳時記の上では、明日から仲春にはいる。
私のホームページのアクセス数が600を超えた。一日平均10件と言うところ。自分でも、5,6回は見るが、続けてのアクセスはカウントされないので、誰かが5人以上はクリックしていることになる。
でも、アクセスの数はどうでもいいこと。昔なら、机の引き出しにしまったままでいるしかないような私のページ、こういう場があって、ほんの少し社会とつながっている。
すでに出会ったかもしれないあなた、まだ見ぬあなた、これから出会うかもしれないあなたに向かって、こうして書いている。

2002年03月05日 19時20分23秒


余寒
2002年03月03日(日)

深川の連句会に出かけた。
昨日に比べると、寒い一日だった。前回、風邪でお休みの先生夫妻も見えて、25人ほど。
私の参加した席は、宗匠が半歌仙を捌いて一巻挙げ、少し時間があったので、私の捌きで半歌仙を巻かせてもらった。前の一巻が大変丁寧だったので、その余波をかって正味一時間半で終わった。
発句は先月の発句の会で、割に好評だった句
  春泥や党一門の靴の数
を使わせてもらった。詩情は薄いが、変わっていて、私は気に入っている。
終わってまっすぐ帰路に就く。うちの近くの駅ビルの本屋で、パソコンの本などみて、少し遅くなる。
今日は花粉の飛散が多かった模様。連句の会でも、くしゃみをしている人がいた。
歳時記による初春の時期も、後2,3日。
桜の木も、花の開花を準備しているのか、膨らんで見える。今年は、とうとう雪を見ないで終わるのだろうか。

2002年03月03日 23時46分34秒


OS再インストール
2002年03月02日(土)

昨日の話の続き。
結局、システムの復元などより、OSの再インストールをした方がいいということになり、連れ合いがやってくれるというので、頼んで連句の座に出かけた。
外出の間、もしやまた、ファイルがなくなったり、ホームページが消えたりしているのではないかという考えが、チラと胸をよぎったが、帰ってみると、「完璧にいったよ」という言葉で、ほっとした。
アウトルックエクスプレスも、復活したので、こちらに戻した。やはり使い慣れたソフトの方がいい。
早速留守中に入っていたメールを受信する。
お気に入りの欄が、保存されていなかったり、多少のミスもあるが、とりあえず、ホームページと、メールソフトが元に戻ったことでまずまず。自分ではできないことなので、やってくれた人をねぎらうべく、雛祭り用のちらし寿司を買って帰った。連れ合いの方は、昨日から私のパソコンに付き合って、もう、器械の顔も見たくないとか(本心はオマエの顔など見たくないというところだろう)。
暖かい一日。帰る頃には、少し風がでていたが、冬のコートが重く感じられる陽気だった。
明日も連句。寒くなるとの予報もあるが・・。

2002年03月02日 22時15分06秒


弥生の空
2002年03月01日(金)

今日から三月、この日記も新しくしようかと思ったが、このまま追加して書き込むことにする。はじめから丁寧に見ているのは、たぶん本人だけだと思うのでー違ってたら嬉しいことだけどーページをあらためる意味は、余り無いように思うからだ。
行きずりの人も、私自身も、読み返したとき、前の記事があった方が、いいような気がする。
今日は、連れ合いが、私のパソコンにつないであるプリンターを、2階の自分の器械から使えるように設定しようと、あれこれいじっているうち、私の器械のほうがインターネットにつながらなくなってしまった。
今まで共有して使っていたのに、なんだか知らぬが、ネットワークの設定をやり直すとかで、手を加えているうち、おかしくなったのである。
プリントしたいものをフロッピーにでも入れて、私の器械から操作すればいいのに、そうした手間を惜しむのである。日頃、何かと助けてもらっているので、私もつい、協力していたのだが、こうなると、「よけいなことを」と、文句を言いたくなる。そのうち、連れ合いの方は、外出の時間になって、放り出したまま、出かけてしまった。
憤懣やるかたないので、居ない留守にこっそりテキの器械を使って、自分の日記にこうして書き込んでいる。
表向きは、私のホームページは見ないことになっているので、バレたとしても、テキは文句は言えないのである。
ついでに、いつも見ているお気に入りのサイト、五吟進行中の私のボードも、覗いてみた。進行状況を確認、明日は出かけることになっているが、ネットがつながるかどうか。
最近、ネットのトラブルは、あちこちであるらしい。接続を変えるのに、なかなか工事ができないとか、データが消えたなどの話を聞く。ウイルスのせいもあるのかもしれぬ。
メールが繋がらないと言う人がいて、送信も遠慮していたら、人によっては繋がっているとか、その辺はよくわからぬ。持ち主の好みに、器械も合わせているのだろう。
ともあれ、弥生の空は少し気まぐれ、明日あたりは天気が崩れそうだ。

2002年03月01日 20時25分35秒



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