不思議っ茶の日記
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2016年05月13日(金) 原爆許すまじの歌を聞いて

オバマ大統領が広島を訪問すると
いうニュースがはいった。

これがニュースになるのは
それほど、関心が高いという
ことだ。
なぜ、関心が高いのだろうか?
アメリカ国内では
原爆を戦争を中止するためには
正解だったという意見が多数を
しめていたからと聞いている。

はたして、
反対か賛成か
その比率は戦後70年たっても
なお変わらないものなのだろうか?

オバマ大統領は
任期が終了まじかでは
あるが、それでも歴史に残る
行動になると
思う。

このニュースのなかで広島のあるご婦人が
原爆許すまじという歌を
歌ったという話をしていた。

わたしは、ふと・・・
ほとんど忘れていた歌だったことを
おもいだした。

この歌はよく歌ったものだった。
1970年代に入った頃だったと
記憶する。

私は
そのころ
あまり深く意味をかみしめて歌うほど
味のある人生を送っていた
わけではない。
まだ、こどもである。

歌の持つ意味など深く考えるよりも
核爆弾を持ってはいけないと
武器をもてば使いたくなるものだと
理解していた。

当時は核開発の競争の時代である。

しかし、マイナーな音符の
重たいメロディの

「二度と許すまじ原爆を
われらの町に」
とあるところでは

なにも過去の広島、長崎ばかりでは
なく、世界のどこの町にでも
落としてはならないと
思って歌った。

アメリカの良心は
どうなんだろうと
同盟国を強調する政治家をみて
思う。

今後も
アメリカの良心は日本の国を
原爆の爆発で
人の命を奪い、国を破壊し
放射能汚染で
子々孫々まで日本国民を
苦しめたとしても
正義の行動だったと
言い続けるのだろうか。

日本では臭いものにはふたという
ことわざがあるが
まさしくそうである。

また勝てば官軍ということわざが
あるが、
それもきちんと理解されていた
ようだと思う。
アメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争で
多くの傷を受けた。

勝てば官軍のことわざを信じて
力でねじ伏せたものが正義だと
いう信念で戦争をしてきた
と私は思う。
そして、
中東戦争も
アメリカは勝利を信じて戦った
はずだった。

勝てば正義
勝てば、官軍なのだ。
この世を自分の思い通りに
できる・・・
しかし・・

あの1941年の戦争以外は
アメリカは正義は
勝ては官軍
という
不文律を
示していない。

日本もそろそろ、あの原爆投下は
正義だったのかということを
議論してもいいのではないだろうか。

隣の韓国が
日本に対して
戦争時代に
従軍慰安婦の問題で
日本に謝罪を要求し続けたように
あの、しつこさを
あの粘着質のような愛国心を
われわれ日本人も模倣して
アメリカに
謝罪を要求するべきではないだろうか。

日本が
それをしないのは

何かほかにあの戦争時代に
怒ったことの中に

アメリカに、弱みを
握られているのだろうかと

おもったりする。





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