おーのの育児日記

2002年02月27日(水) へその緒

沐浴をしていたら、ぽろっとへその緒がとれた。
でっかいへそだと母や母の両親に褒められた(?)
へそが大きい子は丈夫なんだとか。

母の両親(晃太朗のひいじじ様とひいばば様)はとにかく晃太朗がかわいいらしく、入院中も毎日病院にやってきてくれ、退院後も毎日顔を見にやってくる。
そして何をしても、晃太朗を褒めるのだ。
起きていると「強い子だ」といい、寝ていると「丈夫な子だ」といい、乳を飲んでもうんちをしても、泣いても笑っても、とにかくいい子だいい子だと褒める。
ばあちゃんは予想できたけど、じいちゃんには驚いた。
こんなに過保護だとは思わなかった。

とれたへその緒は乾かして病院でもらった箱に入れておいた。
大きくなったら晃太朗にへその緒を見せて言ってやろう。
つわりが大変だったこと、お腹をよくけられて痛かったこと、陣痛が痛かったこと、旦那様が立ち合ってくれて出産のこと、生まれてからのこと、色々と。
一体、どんな子になるんだろうなあ。
楽しみなような、末恐ろしいような・・・うう〜〜〜〜ん。



2002年02月26日(火) 出生届

午前中、母が仕事を休んでくれていたので(退院から2週間は半日仕事を休んでくれることになった)晃太朗の沐浴をした。
キッチンでやったら高さが合わず(高すぎた)次からは洗面所ですることに決定。
晃太朗はおとなしくしてくれていた。
沐浴後、へその緒の消毒をどきどきしながら行い、なんとか終了。
さっぱりとした顔の晃太朗に、前日から風邪で休んでいた妹が、哺乳瓶で湯冷ましを飲ませたがあまり飲まなかった。少し飲んだ後、「まずいぞ、これ」という顔で、ぺっと哺乳瓶の乳首を出してしまった。

午後、鈴鹿市役所に出生届を出しに行った。
なんだか感慨深かった。
市役所のお兄さんに「晃太朗さん」と呼ばれた時に、ああ、これで正式に「晃太朗」って名前になったんだなあと思った。
ちょっとくすぐったいというか、照れくさかった。

この日、外出するので久し振りにジーンズをはいたら股が痛かった。
失敗した・・・
でも、妊娠前のジーンズ(かなりぶかぶかだった)が入ったのはうれしかった(きつかったけど)
お腹のでっぱりはなくなったけど、皮膚が伸びて、たぷたぷになってしまった。
妊娠中、でべそになってしまったので、産まれたらなおるかと思ったら、しばらくそのままでべそだった。
入院中、腰が痛かったのでウエストニッパーで絞めていたらなおったけど。
上から見たおなかたぷたぷのでべそは、なんだか晃太朗のへの字口にそっくりでおもしろかった。



2002年02月25日(月) 入院5日目 退院

めでたく退院の日。生まれてくる我が子のため、退院用とお宮参り用の白のベビードレス(ふりふり)を用意してあった。
が、しかし!!
晃太朗は前にも書いたが旦那様似。
普通、赤ちゃんって男か女かよく分からない子が多いけど、この子は見た目からして「男」なので(看護婦さんに凛々しい子ねえと褒められた)ふりふりドレスが似合うはずもなく、母は撃沈!
一応着せてはみたが、あまりの似合わなさに笑いが止まらなかった。
ああ、二度とふりふりなんて買うものか!
せっかく買った服も、似合わないものが多そうだ・・・ショック!!

生まれた日もそうだったけど、退院の日もよく晴れた一日だった。
色々あった入院生活だけど(書ききれないほど色々あったけど)楽しい5日間だったなあ。
家に帰って、晃太朗のお世話をちゃんとできるのかなあ・・・ちょっと心配。

この日、妹が発熱。
下痢と嘔吐と発熱で学校を休んだ。
もともとは弟がどこからかもらってきた風邪を妹にうつしたらしい。
晃太朗にうつすといけないので、一日隔離されていた。
この風邪が、後々私にうつることになるのだ。



2002年02月24日(日) 入院4日目 命名

晃太朗が授乳時間に飲んだ量じゃ足りずに腹減ったと明け方泣いていた。
これは入院中、一番辛かった。
病室でおっぱいをあげるのは禁止されているのであげるわけにもいかず(こっそりあげればよかった)2時間泣きっぱなしの晃太朗を抱っこしていた(5時から7時まで)
旦那様は起きてくれなかった。まあ、仕方ないさ。そういうもんだ。
大体、泣いてても「泣いてる姿もかわいい」なんだもんなあ。
晃太朗はお乳をよく飲むので、病院で決められている量じゃ足りないらしい。
母乳って、どれくらい飲んだかよく分からないので、後で体重計で測るんだけど、飲んでいる間はやっぱりわからないんだな。
だから、後で「ええ!こんなに飲んだの?」とか「これしか飲んでないの?」ってことになる。
この2時間泣きっぱなしを教訓に、次からは多めに飲ませることにした。

この日「晃太朗」と正式に名前が決まった。
出生届には母子手帳が必要なので、退院後になるが、この日のうちに旦那様に出生届の子どもの名前の欄に「晃太朗」と書いてもらった。
この名前は旦那様が考えた。
「明るくて、素直で元気な男の子になりますように」という願いがこめられているらしい。
ポチョムキンも捨てがたかったけど(おいおい)字数もいいし、とくに反対もなかったので(他に候補もなかったので)わりとすんなり決まった。
妊娠中から「晃太朗」ってつけるつもりだったのでやっと正式に決まってこれで堂々と「晃太朗」と呼べるのがうれしい。
でも、某首相の息子の名前と同じなので(字は違うけど)それが嫌なんだな。
そこからつけたんじゃないのにぃ・・・



2002年02月23日(土) 入院3日目 母子同室

この日、旦那様の両親が豊川からやってきた。
たまたま母子同室になる日だったので、晃太朗に直接会ってもらうことができた。

うちの両親にとっても、旦那様の両親にとっても晃太朗は初孫になる。
じじばば大集合の中、晃太朗はすやすや寝ていた。
なんか変な感じだった。狭い病室に大人6人が立っていた(全員座る場所がない)
この日は休日だったこともあって、お見舞いの人が多くて、私は疲れてしまっていた。旦那様も疲れていたと思うけど、一番張り切っていた。

旦那様は、妊娠中からずっと「僕は親ばかにはならない」と宣言していた。
「うちの子はかわいい」という親の子どもは大体かわいくない、と言うのだ。
でも、いざ嫁の股から出てきた我が子を見て「かわいい!!」を連発。
デジカメとビデオカメラを取り出し、記念撮影(分娩室で動き回るので、看護婦さんに怒られた)
すっかり親ばかになってしまった。

この日も寝ている晃太朗を抱っこしたり、つついたり、手を握ったり、とにかく触りたがる(子どもみたいだ)
義父母が帰るので、では鈴鹿の家でお茶でもってことになっても病院から出たがらない。夜、病室に泊まることになっていたので、なんとかなだめて追い出した。

夕方、豊川の両親が帰った後、病院にやってきた旦那様。
相変わらず晃太朗から離れない。かわいくて仕方がないらしい。まあ、赤ちゃんって我が子じゃなくてもかわいいから・・・父親というよりは、弟が産まれて喜ぶ兄ってかんじで、私はすっかり二人の子どもの母親の気分。

旦那様が「母乳を飲んでみたい」というので、少し搾ってあげた(搾乳技術はすっかり上達した)
味の感想。
おいしくない。鉄っぽい味。ざらざらしている。匂いはミルキー。甘いようなしょっぱいようなかんじ・・・らしい。
初乳なので色は白というより黄色。パインジュースのようなかんじ。
そうそう、この日から授乳がスムーズにできるようになり、直接母乳をあげるだけで事足りるようになった。たまに搾乳もするけど、ミルクのお世話にはならずにすんだ。ありがたい。
晃太朗もよく飲んでくれるので助かった。母乳って、とにかく母親ががんばっても、赤ちゃんがうまく吸ってくれなくちゃ意味がない。赤ちゃんが吸ってくれると、だんだん出るようになるもんだ。
だから晃太朗は偉い!と、二人でまた親ばか発言。
いーんだ、いーんだ。親ばかだも〜ん、とすっかり開き直りなのだ。



2002年02月22日(金) 入院2日目 授乳

入院中の授乳は3時間毎に1時間ずつある。
入院1日目は午前11時に説明だけ受けて、我が子に触れたのは次の授乳時間の午後1時だった。
入院二日目のこの日は朝7時から授乳がある。
7時、10時、13時、16時、19時、21時の計6回、我が子に会えることになるのだ。
入院3日目からは(個室の場合は)母子同室で、授乳のたびに授乳室に行き、24時間一緒にいることになる。授乳もこれまでの6回に加え、1時と4時の2回が加わり、計8回行うことになる。

前日、おやつの時間(毎日おやつが出るのである)におばさんがやってきて、それまで入っていた2人部屋(を1人で使っていた)から個室に移動していた。
個室にはシャワーとトイレがついていて、付き添いの家族が泊まることもできる。
また、出産翌日からシャワーができる。昔は1ヶ月くらいお風呂に入れなかったから大変だったと母が言っていた。ちなみに、シャワーのみで湯船に入るのは感染防止のためいけないことになっている。

7時の授乳時間ははりきっていた。前日、晃太朗は順調にミルクを飲んでいたので、鼻の管がとれそうだと看護婦さんが言っていたから、この日から本格的におっぱいを飲ませることになるのだ。
朝、新生児室に行くと晃太朗の管がとれていた。
しかし、10時の授乳時間からおっぱいを飲ませるようにと看護婦さんに言われたので、この日から始まる搾乳を試みることになった。

ミルクを飲む量は一日目は一回20cc。
二日目は30ccで、毎日10ccずつ増えていく。
まず、おっぱいのマッサージが約15分。これは授乳時間に含まれていないので、毎回15分前には授乳室に行ってマッサージを行う。
その後、おむつのチェック。汚れていたら交換。
その後体重を測る。そしておっぱいを一日目は3分ずつ、二日目は5分ずつ、三日目以降は5分ずつを2回飲ませる。
そして体重を測り、どれくらい飲んだか調べる(飲んだ分だけ体重が増える)
二日目以降はこの後、搾乳をし、最後に足りなかった分、ミルクを飲ませる。
そして、最後におむつのチェックをし、カルテに直接母乳、搾乳、ミルクの量と便、尿の回数を書き授乳の時間が終わる。
これだけするのに1時間かかるのさ。大変なのよ、色々と。

で、おっぱいを飲ませられないので、せめて搾乳をがんばろうと思ってはいたんだけど、搾乳って牛の乳搾りと同じで、なにやらこつがいるらしい。
なかなか上手に搾れないんだ、これが。
じわじわ滲んでくるのになあ・・・看護婦さんが搾ると、ものすごく痛いけど、たくさん搾れるから、やっぱりこつがあるんだなあ。
結局、ほとんどしぼれず、この回は終了。またまたミルクのお世話になる。
これ以降、せっかく晃太朗の口にお乳を含ませられるようになったのに、なかなかうまく飲ませられない。
寝ていたり、タイミングが合わなくて、うまく飲ませられないのだ。
どんどん気持ちは焦るし、搾乳もうまくできないし、座っていると股は痛いし、悲しくなってきてしまった。
大体、母乳、母乳っていうわりに、時間にうるさくて、片方5分なら、吸っても吸わなくても5分以上吸わせられないのだ。
だから、子どもが寝ていて、口を開けてくれないと、足の裏をビシビシ叩いて起こして、泣かせて、で、やっと飲ませられると思ったら、もう5分たっていて終了、ってことになってしまう。
だからって、看護婦さんは忙しそうで、どうしていいか聞きたくても聞けない。
乳は出るのに、吸わせられずミルクのお世話になるという、なんだか情けない気分。
あんなに張り切っていた気持ちも、すっかり萎えてしまった。

とにかく晃太朗は泣かなかった。
寝てばかりだった。寝ている赤ちゃんいおっぱいを飲ませようと思ったら、泣かせるしかない。
でも、泣かない。
仕方がないので搾乳してもほとんど搾れず、なっさけな〜い気持ちになっていると、お腹をすかせて大声で泣き出す。で、時間になってミルクをあげることになってしまう。
とにかくタイミングが合わないのだ。

しかし、負けてられない(いや、勝ち負けではないんだけど)

夜6時45分。夕食を終え、これでもかと水分を取り(水分を取ると乳が張りやすい)シャワーでおっぱいをあたため(あたためると乳が張りやすい)気合を入れて授乳室にむかう。
もくもくとマッサージを行い、我が子のところへ。
この回、気合が入っていたのには理由があった。
晃太朗は、この時間の授乳はいつも起きていたのだ。だから、意地でも母の愛の乳を飲ませてやるぅ〜と思っていた。

晃太朗は起きていた。おむつを替え、いざおっぱい。
すんなりと口にくわえる。うむ、順調。
おっぱいを飲ませるのは、痛いんじゃないかなって思ってた。赤ちゃんの吸う力ってすごいのよ、と誰もが言っていたから。
でも、なんかくすぐったかった。
晃太朗は旦那様にそっくりなので、変な気分だった。旦那様におっぱいあげているような気分だった。
さて、体重測定の結果。
なんと54gも増えていた。この日は30cc飲めばいいのに・・・看護婦さんに相談。体重計がおかしいかもしれないので、搾乳してあと10cc飲ませることに。だんだん搾乳のこつもつかめてきて、10ccあっというまに搾ることができてしまった。
なんだか晴れ晴れとした気分。
後で考えると、やっぱりこの時、54g増えていたのは正しかったと思う。
だって50cc飲ませる日には112g増えていたこともあったのだ。
う〜ん、末恐ろしい子だ、と母は思った。



2002年02月21日(木) 入院一日目 鼻管ちゃん

出産した次の日からが入院一日目となるらしい。
入院は5日間。出産翌日、つまり入院一日目から授乳が始まる。

朝起きて、股の痛みに顔をしかめつつ、なんとか円座に座ることはできた。
トイレは毎回恐怖だった。
前日、出産後にトイレに行くと、お股が腫れていた。傷口は見ていないけど、旦那様によると倍くらいに腫れあがっていたらしい。
そうそう、出産後のトイレは、ちょっと痛かった。傷口が痛いのではなく、たぶん、導尿したからだと思う。ピッてなんだか腰の引けるような変な感じがした。

旦那様は徹夜明けだったこともあって、出産翌日も仕事を休み、私の実家に泊まっていった。私以上にヘロヘロになっていた。
でも、やっぱり興奮していたみたいで、夜、お酒を飲みながら「次の出産も立ち会いたいです」と私の両親に言っていたらしい。できたら子どもにも立ち合わせたいとか、なんとか・・・
私といえば、陣痛中は「二人目なんて絶対無理!」と思っていたばかりなので、次なんて全然考えられない。
けど、やっぱり次も立ち合ってほしいなあ・・・せっかく腰を擦るのも上手になったのに・・・

入院一日目、朝から旦那様が病院に来てくれた。
「おめでとう」と「がんばったね」と「ありがとう」の意味をこめて花をプレゼントしてくれた。
出産から24時間たっていなくて興奮中だったのか、花を見てまた涙ぽろぽろ。
そんな私を見て、旦那様はにこにこ。
二人で我が子を新生児室まで見に行くことにした。

私は自分で産んではいたんだけど、産まれてすぐに少し抱っこしただけで、実はほとんど抱っこしていない。
旦那様は、産湯の後に看護婦さんに抱っこさせてもらって、手を握ったりほっぺたを触って喜んでいた。で、そのことを自慢するのよ、私に・・・
むむ!じぇらしぃ〜〜〜
いいもん、いいもん。これから旦那様よりたくさん触れるんだもん。

新生児室に並ぶ赤ちゃんの中に我が子を探したけれど、いない。
どうも、1人、お医者さんと看護婦さんに何かされて泣き叫んでいるのがうちの子らしい。
「何かの検査かなあ」とのん気な両親。
処置が終わった我が子は、なんと鼻から管が伸びていた。
おお〜〜〜
普通なら心配するのかもしれないけど、この時、私も旦那様もデジカメとビデオカメラで、めずらしい鼻管姿の我が子の撮影に夢中になってしまっていた。
小児科のお医者さんがすぐに説明してくれた。晃太朗は、たくさん羊水を吐いていたので口からミルクを飲んでも吐くといけないから、管を通したらしい。
そういえば、前日、新生児室に見にいったら、服に茶色い染みをつけていて、ああ、羊水吐いたのねって話していたんだっけ。
生まれたばかりの赤ちゃんにはよくあることなので、心配ないですよと言われたものの、めずらしがってカメラをかまえていたくらいなので、はいはい、と笑顔で説明を受けていた。

さて、授乳の時間になった。
妊娠中から我が子におっぱいを吸わせるということを楽しみにしていたので(というか、どういうものか興味津々だったので)はりきって授乳室にむかった。
同じ日に出産した人と二人で看護婦さんから説明を受けたが、なんと、私はこの日一日お乳をあげられないことがわかった。
どうも、あの鼻管のせいらしい。
があぁ〜〜〜ん。ショックだわ〜〜〜
飲ませる練習ということで口に含ませることはしたんだけど、どうも物足りない。
大体、妊娠中から乳が出ていたから、絶対母乳を出す自信があったのに・・・
晃太朗も上手に吸ってくれたので、すぐに口から乳を離すと物凄くうらめしそうな物欲しそうな目を私にむける。
「私が悪いんじゃないのよぉ〜〜母だってあげたいのよぉ〜〜」
と晃太朗に言い訳し、その日はミルクをあげたのだった。
それにしても、産まれたばかりの赤ちゃんって、なんであんなにふにゃふにゃしてるんだろうねえ。
抱っこもオムツを替えるのも、おっかなびっくり怖かった。
けど、人間慣れていくもので、この日の最後の授乳の時間には平気になっちゃうんだなあ・・・
今じゃ・・・大きな声では言えません。はい。



2002年02月20日(水) 続 出産!!

いまいち自信のないまま、病院に電話、入院の準備を持って父・母・妹と四人で病院にむかうことに。
車の中でも陣痛らしきものはくるけど、やっぱりこれがほんとに噂の陣痛なの!?ってかんじで、自信がない。だって、テレビで見る陣痛の妊婦さんって本当に苦しそうだけど、まだまだこの時は笑って話していられるほど楽だったんだもん。
けど、確かに7〜8分間隔でやってくるし、腰にずうぅ〜んとくるし、陣痛なのかな、でも、もし違って、病院から追い返されたらどうしようと、ずっと考えていたのよ。

さて、深夜の病院につき、夜間入り口のインターホンを鳴らして鍵を開けてもらい、中に入ると、看護婦さんに「部屋が空いてないから、悪いけど、分娩室に入ってもらってもいい?」と言われ、なんのことやらよく分からず、はいと答えて、家族を残して分娩室へ入り、着がえをすませると、色々質問され(家族構成とか血液型とか旦那さんの立会いはどうするかとか、そういうの)とにかく、間に合えば旦那様の立会いを希望し(しかし、旦那様本人には伝えていない)次に私の身に起きたのは浣腸・・・
ああ、とうとうこの時がきたのね・・・
恥も外聞も投げ捨て、私は母になるのよ・・・
しかし、浣腸されて気がづいた。夕方下痢でトイレに3回も駆け込んだのよ。
だから腸の中は空っぽのはず・・・
看護婦さんに5分我慢するよう言われ、努力はしたもののそんなことは到底無理。
それでも3分以上は我慢して、ほっとすると、足をなにやら水がつたう・・・
うげっ!!おもらししてしまった!?
けれど液体は黄色くなくて、ピンク色。透明の液体に血液が混じっているらしい。
尿意もなかったし・・・これって破水ってやつかなあ・・・
陣痛と同じく、いまいち自信のないまま、取り合えず床を拭いて証拠隠滅。
分娩室に戻り、看護婦さんに報告。
「破水?」と聞かれ「わかりません」としか答えられない。
とにかく子宮口の開き具合を見ることに。看護婦さんが指を入れるとどばっと水が出てきた。
「やっぱり破水してるねえ」
この言葉に、正直ほっとした。だってこれで陣痛らしきものは本当に陣痛だったわけだし、病院から追い返されずにすむわ。
浣腸も無駄ではなかったってことね(腸は空っぽだったけど)

破水はしたものの、初産婦と言うことで、お産まではまだまだ時間がありそうなので、家族はいったん家に返され、1人、薄暗い分娩室で陣痛と戦うことになってしまった。
「破水すると陣痛が一気に辛くなるよ」
という看護婦さんの言葉にも、へえ、そうなんだ、とまだまだ余裕を見せていたが、この言葉、本当だった!
腰にずうぅ〜んとくる痛みがものすごい!
けど1人だし、痛いとかふうふう言うのも恥ずかしく、とにかく無言で耐えていた。
数時間がたって、だんだん痛みに耐え切れず、何でもいいから腰を擦ってくれる手がほしくなってきた頃、分娩室の入り口から看護婦さんと聞き覚えのある声がやってきた。
も、もしかして・・・
期待に胸膨らんだと同時に、次の陣痛がやってくる。
「おーのさん、旦那さんがいらっしゃいましたよ」
との看護婦さんの声に荒い息遣いで応え、旦那様の顔さえ見れない状態。
波が過ぎ去り(波さえいけば、ほんっとになんでもないのだ)旦那様に「仕事は?」と聞くと「他の先生に頼んできた」と一言。
そう、病院に入るとの電話に驚いて、深夜にもかかわらず学年主任の先生に電話をし、車をかっ飛ばして鈴鹿まで来てくれたのだ。
ああ、神様!腰を擦る手をありがとう!!
旦那様は給食当番みたいな白いエプロンをつけ、心配そうに私を見てはいるけど、腰を擦ってくれない。
なんなのよぉ〜と心の中で思いつつ「腰、こしぃ〜〜」としか言えない私。
実は、立ち会う予定のなかった旦那様は何の予備知識もなかったので、陣痛中に腰を擦ったり一緒に呼吸法をしたりすることを知らなかったのだ。
大体、ついた頃にはもう生まれていると思っていたらしく、陣痛があんなに長いものだと知らなかったと後で言っていた。
何とか腰は擦ってくれるけど、私の息と合わない!これはとっても辛い!!
時間が経つにつれ殺気立ってきた私は、旦那様の手を握り締め、腰の擦り方を伝授。とにかく必死だった。
旦那様がようやく上達したのは、日も昇り明るくなった頃だった。

つら〜〜い陣痛だけど、1〜2分間隔でくる波と波の合間、私は寝ていた。旦那様も寝ていた。旦那様によると、私はよだれをたらして爆睡していたらしい。
だって眠かったんだもん。
寝ていると、どこかからやってくるずうぅ〜んという腰の痛みに起こされ「きたきたきたぁ〜」と旦那様の手を腰にあて、どうにかやりすごし、また寝る。旦那様が来てからは、痛い時は遠慮なく「いたいぃぃぃ〜〜〜」とか「ふんがぁぁ〜〜」とか色々叫んでいた。だってほんとに痛いんだもん。後で考えると恥ずかしい・・・看護婦さんの詰め所や新生児室や授乳室まで聞こえているんだよな・・・体も右をむいたり左を向いたりしていたので、お腹につけていた機械を何回もとってしまっていた。点滴の針もうっとおしくなっていたので、そのうち自分で引っこ抜いてやろうと内心思っていたのだ。
朝になって看護婦さんに「朝食どうする?」なんて聞かれたけど、その頃すでに子宮口は全開していたし、食べられる状態じゃなかったので断った。(旦那様はものすご〜くお腹がすいていたけど、食べると私に悪いので我慢したらしい)

さて、いよいよ分娩台にあがるときがやってきた。
隣の分娩台に行くのかと思っていたら寝ていたベットの足がはずされ、いつの間にか分娩台に早変わり。いきむ時に握る取っ手まで出てきて、ちょっとびっくり。
なんだかガンダムの操縦席みたい・・・と思ってしまった。
「アムロ、いきます!」ってかんじ。
「おーの、いきみます!」って・・・

いきんでいいよ、というお医者さんの声はうれしかった。ここまできたらゴールは見えたし、ずっといきみたいのを我慢していたから(いきみたいのを我慢するのが一番辛かった)とにかくうれしかった。
3回くらいいきんだけど、なかなか出てこなかったので、お股をちょっきんはさみで切られたらしい。じょきっていうはさみの音は聞こえたけど、麻酔のおかげで痛みはなかった(麻酔の針は痛かった)
見ていた旦那様は「あんなとこ、針刺すだけでも痛そうなのに、じょきってはさみで切るなんて・・・」と思ったそうだ。
いきんでいる時にお医者さんに、子どもの頭が見えたよ、と言われても私には見えない。けど、旦那様はちゃんと見ているんだよね・・・
「あ、あたまに毛が生えてる!」
「ホント!?はげてないんだ・・・よかったね!」
これは私たち夫婦の会話です。お医者様は笑ってみえました。
陣痛の波がくるといきむんだけど、その合間、やっぱり私は眠くて、寝そうになっていた。でも、ここで寝たら一生の恥!と眠気と戦っていた!

出てきた感覚って言うのはよくわかんない。
気がついたら股の下から「ほげっほげっ」って声が聞こえてて、ああ、赤ちゃんの声だなあって思った。
でも、まだこの時は頭だけ出てただけで、肩から下は入ったままだったんだな。
旦那様は顔だけ見えた状態でも、赤ちゃんが苦しそうに眉をひそめてたのが印象的だったらしい。
しばらく待ったけど、自然に出てきそうにはないので、もう一度いきむと全身出てきた(らしい。私には見えてないんだもん)

午前9時54分誕生。
体重3286g、身長53.5cm。

産まれたときは、そりゃ、うれしかったよ。涙ぽろぽろ。
周りの看護婦さんにわけもわからず「ありがとう」って言ったりして・・・
まだ、血みどろの我が子を抱いて思ったのは「小さい」と「あったかい」だった。
なーんだ、生きてんだ。この子ちゃんと生きてんだなあ、あったかいなあって思った。
産湯につかってきれいになってやってきた赤ちゃんは、すっごくかわいかった。
私はまだ、切ったところを縫われていたので(切られた時よりこっちのほうが痛かった)旦那様が抱いていた。
旦那様はわけもわからず立会いをしたけど、すごく感激して、我が子の誕生を喜んでいた。

処置後、しばらく動けず、分娩台はいつの間にかベッドになっていて、体中につけられていた管が取られ(あんなに色々ついていたなんて知らなくて、びっくりした)看護婦さんがバニラアイスを持って来てくれた。旦那様に食べさせてもらったアイスが、なんとも言えずおいしかった。
ほっとしていたけど、興奮して、結局その日は午後3時頃まで眠れなかった。

というわけで、長男 晃太朗が産まれたのです。



2002年02月19日(火) 出産!!

あんなに予定日に、脅かされていたので、だんだん不安が大きくなって、夜に泣きながら旦那様に電話をしてしまった。
旦那様の「産まれるときは産まれてくるんだよ。大丈夫」と、能天気な発言に、少々むっとしながらも、まあ、落ち着きを取り戻し、そうよ、腹を切ったとしても出てくるときは出てくるのよ、と開き直ってお風呂に入り、体を洗っていると、何やらピンクの泡がぽたぽた股から流れてくる・・・
むむむ???
これって、噂のおしるし??
いや、午前中に内診受けたから、出血しているだけなのかも・・・(このとき午後9時半くらい)
とりあえず、早めにお風呂からあがり、再び旦那様と電話をしていると、なんだかちょっと、変な感じ・・・(午後10時頃)
「陣痛きたみたい」
と、電話で告げると旦那様は大慌て。で、急いで自習の予定を立て始める。
その間、私は陣痛らしきものの実況中継。
「き、きた・・・うう・・・あうう・・・ふう〜〜おさまってった」
しかし、初産ということで、まだまだ先は長いだろうと、その夜はとりあえず電話を切り、しばらく様子をみることに・・・
しかし、陣痛らしきもの(あんまり痛くないので陣痛と言える自信がない)がくる間隔はどんどんせまくなってくる!
母と妹と三人で時計と睨めっこしていると、ついに10分切って陣痛らしきものがやってくるようになってきた。
まだまだ陣痛という自信はないが、とりあえず、病院に連絡。(午前0時頃)
旦那様にも電話をすると「え〜〜もう病院行くの!?」と慌てた様子。
立会いをしてほしいなあと思ってはいたけど、まあこれじゃあ間に合いそうにない。
こうしてどたばたしながら(しかもいまいち陣痛という自信のないまま)病院へとむかうのであった



2002年02月18日(月) 2月19日 予定日

本日、とうとう予定日をむかえてしまいました。
はい、産まれる気配まったくなし!
検診に行ってまいりました。子どもは元気だそうで・・・なによりです。
しっかし、でっかい!
頭もお腹もでっかい!
私も旦那様もそれほど大きい体ではないのに(旦那様の頭は少々大きい目ですが)
あんまり大きいと、下から産むのは無理かもだとさ。どうしましょう。
今のところ、がんばって下から産みましょうってことになってますが・・・
3日後に病院に行って、それでもまだまだ産まれそうになかったら、遅くても来週の月曜日には入院・出産になりそうです。

「木曜日(あさって)に出してもいいんだけど・・・」
なーんてお医者様はおっしゃいましたが、なるべく自然に陣痛がくるのを待ちたいな、なんて・・・
でも、重いし、これ以上大きくなると産むのも大変そうなので早く出したいな、っていうのも本音で・・・
40Wを過ぎると、胎盤の機能が落ちてくることもあるので、あんまりゆっくりはしていられないらしく・・・
早く陣痛がくるのを心待ちにしております。

はりきって歩こうとも思いつつ、雪と寒さに気持ちも萎え萎え。
しかたないから家の掃除でもしようかしら。体動かさなくっちゃ!



2002年02月17日(日) 催促

親戚、家族、皆々様からのご催促。
「まだ産まれてないの?」
あのねえ、予定日までまだほんのちょっとだけどあるのよ。
そりゃ、病院で大きめだとか言われたけどさ。
私だって重いし、重いし、重いし・・・早く出ないかなあなんて思うけどさ。
わざわざ電話で催促されてもね・・・出ないものは出ない!
出る時は出る!

一番出したいって思っているのは、この私なのよ、きっと。
・・・だって重たいんだもん。
臨月入って、ますます重く感じる今日この頃。
お腹張る度に「こ、これが噂の陣痛!?」なんてドキドキするのも嫌だし(最近はどうせ違うだろうと、あまりドキドキしなくなったけど)相変わらずお腹の中で繰り広げられている大運動会に痛くて痛くて「あうっ!」てなってるし、トイレは近くなって夜に何回も目が覚めるし・・・
ああ〜〜うつ伏せになって寝たい!
いや、普段からうつ伏せで寝る癖があるわけじゃないのよ。
でもだめだと言われるとやってみたい!
せめて上向いてすやすやと何時間でも眠りたい・・・
自分で足の爪を切りたい!
階段を走って昇り降りしてみたい!
絶叫マシーンに乗って、うおお〜と騒ぎたぁぁ〜〜い!!
・・・なんて、お馬鹿なことばっかり考えているから、夢で見ちゃうのよね、出産シーン。
ひとつめはスペースシャトルの中で無重力出産シーン。
ふたつめは満員電車の中で、人に踏まれながらの出産シーン。
どっちもとっても辛かった・・・痛かったのぉ。すっごく痛かった・・・
しかも立て続けにみたから、朝からとっても疲れてます。

ゆっくり寝たいや。はふぅ〜〜〜〜〜〜〜〜



2002年02月13日(水)

一番最初に何を書こうと、一晩考えていたら、今朝、ちょっとびっくりなことがあったのよ。

毎晩、お風呂でおっぱいマッサージなるものをしているんだけど、まあ、揉んだり引っ張ったりつまんだりetc・・・要は、揉み解して血の巡りをよくして、乳首の周りの皮膚を鍛えればいい(と解釈している)のだと思う。
で、湯船に入りながら、我が愛しの旦那様はがっくりのくろ〜く変身した乳首をこねくり回す毎日。
こんなことでほんとに子どもが産まれてから乳が出るようになるのかしら、とちょっと疑問もあったりなかったり・・・
大体ねえ、乳首を刺激すると、子宮がきゅう〜〜んってなるのよ。

で、今朝、着替える時に、ふと我が黒乳首を見ると、なんだか先が湿っている。
前にもこういうことがあったんだけど、ちょっと好奇心で乳を搾ってみた。
ふんがっ!!
段々汁っぽいものが出てくる出てくる・・・じわじわと、一滴、こぼれた。
指にとってまず観察。透明っぽい。
匂いをかいでみる。無臭。
舐めてみる。無味。
こ、こ、これは・・・
母乳!?
もしくは、母乳らしきもの??
出産前に出ることもあるとは聞いていたけど・・・
寒さも忘れ、着がえの途中で上半身裸のまま、しばらく乳搾りに熱中。
でも、出ない!これ以上は出ない!

あきらめて、着がえを済まして、しばし感動・・・
まだまだ産まれそうにはないけれど、もうすぐなのね、としみじみ思った一時でした。


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