マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

裏切り者金本に死ね死ねビーム。アメリカ訪問の心配事。 - 2002年10月31日(木)

 明日からアメリカに行く。初アメリカ。
 連続狙撃犯は捕まったし、パスポートの期限も確かめた。
 あとは、明日早起きできるかということだな。
 今、向こうはもう雪が降ってもおかしくないくらい寒いらしいし。

 などと思っていたら、今「金本、FA宣言、阪神移籍か!」
という一報を眼にした。
 「新しいチャレンジ。広島の赤い帽子をかぶった魂を忘れないようにしたい」
とのことだ。
 安心しろ、金に眼がくらんで、星野の手下になった時点で、お前はもうすでに人でなしだ。魂なんか、あるものか。
 せいぜい、満員の甲子園でいい気になって三振の山を築くんだね。
 いくら悩んでも、結果がこれでは意味が無い。
 できれば、キャンプ早々に大怪我でもして、再起不能になってくれないものか。
 
 裏切り者として晩節を汚すとは、バカな奴だ。
 
 しかし、来期の広島にとっては、このほうがいいのかもしれない。
 金本は、自分のFA問題で、後半戦のチームを混乱させた男だ。
 明らかに終盤のカープはやる気をなくしていたし、今年の金本の成績も、最後のほうで帳尻を合わせただけだ。
 純粋な戦力的にはダウンでも、チームの精神状態は安定するかもしれん。
 もともと戦力はあるんだから、かえっていい刺激になってくれるといいが。
 
 それにしても、FA・逆指名は嫌な制度だ。
 いままで応援していた選手を裏切り者と呼ばないとならないなんて…

 理由はいろいろあるんだと思う。
 でも、僕は金本を許せないし、許さない。
 ダイエーファンも、若田部を許せないし、許さないと思う。

 野球ゲームで、4番金本を見るたびに欝になり、パワプロもしばらくやりたくない気分だ。
 どうせなら、メジャーに行けよ、チャレンジとかいうんなら。

 
 それにしてもアメリカ、最大の心配は、タラップを降りて、空港に足をつけたとたんに「ブー」とかブザーが鳴ったりして、そのまま日本に強制送還されることなんですけどね。
 機内でいきなりクイズとかはじまらないといいが。


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グラウンドでやってるのは、野球か?それともヤクザの抗争か? - 2002年10月30日(水)

いや、つまらん日本シリーズだった。
アンチ巨人で、西武もどうでもいい僕としては、とにかくいい試合が観たかったのに。
巨人の一方的勝利。
それでも、さっきyahoo投票をみていたら、40%くらいの人は「巨人の圧倒的な強さが見られて満足」なんですね、びっくり。
世間的には、「巨人の圧倒的戦力に敗れた西武」「パ・リーグのレベル低下!」といったフォーマットで語られそうな今回の日本シリーズなのですが、西武の選手たちにとっては、非常に不本意なシリーズだったと思います。
 
 まあ、たとえばパチンコで確率変動突入率1/2の台でも4連チャンすることはザラにあるわけで、この結果だけで巨人>>西武という式が成り立つのかどうかは、疑問なところなのだけれど。
 巨人のほうが、日本シリーズに強いタイプのチームであるということはいえるかもしれませんね。西武は、粒ぞろいの投手陣がレギュラーシーズンを戦うには強味だったんだけど、短期決戦では、去年のダイヤモンドバックスのランディ・ジョンソンとシリングのように、「良」多数より、少数の「優」がモノをいうこともあるわけで。
 
 ところで、今回のシリーズで、僕がいちばん疑問に思ったのは、「なぜ、
松坂なのか?」という1点につきる。
 でも、伊原監督はたぶん、実力的に上の巨人に勝つための手段として「勝ち運」のある松坂に賭けたのではないだろうか。
 松坂が横浜高校在学中の対PL学園戦。6点のビハインドだった横浜高校は、松坂がマウンドに上がると息を吹き返し、奇跡の逆転勝利、そして全国制覇を成し遂げた。
 「松坂の勝ち運、カリスマ性」に頼らなければならないほど、ライオンズは、伊原監督は追い詰められていたのかなあ。

 それにしても、シーズン後半でまったく投げていなかった松坂を第1戦のお試し登板はともかく、第4戦の同点の場面で出してくるとは。
 伊原監督の松坂の天運にかけたい気持ちはわかる。
 でも、この負けは西武にとって尾をひきそうだ。
 僕が西口だったら、どうしてエースで好投してた俺を休み明けでこの間ボコボコにされたやつと交代させるんだ、と思ったはず。俺はどんなに働いても松坂より下かよ!とも。
 結局、正攻法は負けても納得されるが、奇策は成功しないと無謀でしかない。伊原監督への選手の信頼感は、確実に減退したと思う。

 総論としては、つまらない日本シリーズだった。
 話題は清原の怪我と原監督の話ばかり。
 黄金時代って、こんなの来年も見せられたらたまらんなあ。

 ちなみに、清原のお涙頂戴シリーズ。野球生命を賭けても出る!って、それは単純に清原自身の都合であって、いちいち感動ドラマにする必要ないと思うのだが。怪我をしていても戦力になりうるレベルだから、出場しているだけだ。
 それに、あの打席にはいったときの「とんぼ」はやめてくれ。
 長淵剛も嫌いなんだけど、2人のコラボレーションは、ヤクザ丸出し。
 
 日本人って、ほんとに好きだよなあ、ヤクザ。
 清原自身よりも、ああいう任侠チックな世界観が観客やマスコミに美化されまくっていることが、なんだかイヤでイヤでしかたない。
 グラウンドでやってるのは、野球か?それともヤクザの抗争か?
 
 


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裕木奈江から内田恭子に継承された、フジの伝統芸。 - 2002年10月28日(月)

 このあいだ、フジテレビの夜のスポーツニュース番組「すぽると」にボブ・サップが出演したときのこと。ボブ・サップは例のビースト路線でスタジオで暴れまくり、うっちーこと内田恭子アナウンサーは、仕事を忘れ、キャ〜と悲鳴を上げて逃げまどっていた。
 まあ、確かに間近なところでサップに暴れられたら、怖いんだろうけど。
 しかし、番組中では、おそらく他のスタッフのものであろう笑い声が拾われていた。
 少なくとも、うっちーが仕事を忘れてキャーキャー言っているという状況は、スタッフにとっては驚くべきものではなく、いやむしろ、わざと彼女をキャーキャー言わせるという意図があったのではないかと思われる。
 僕は、うっちー好きなので、むしろ微笑ましく思いつつ最初は観ていたんだけれど、最後のほうは、さすがに「アナウンサーなんだから、もうちょっとちゃんと仕事しろよ!」という気持ちになってしまった。
 こういう、女子アナの悲鳴に頼った(それで「カワイイ」とか言ってるヤツがいるのだ、確かにカワイイけどさ)番組作りっていうのは、すごくイヤラシイ感じがするのだが。
 アクシデントとして起こった悲鳴なら、ちょっとソソラレルところもあるんだけど、これでは、むしろ不快な印象しか受けない。そんなに騒がなくても…という気持ちになるくらいだ。
 だいたい、うっちーは泣き叫びタレントじゃなくって、アナウンサーのはずだし、計算されたアクシデントほど、観ていてしらけるものはない。

 一昔前は、放送中にアナウンサーが動転して悲鳴を上げるなんて、一部の世界紀行系の番組以外では許されないことだった気がするんだけどなあ。むしろ、そんな態度を示したら恥ずかしいというのが、アナウンサーの常識じゃないのか。
 
 大学に入学したころ、オールナイトニッポンでパーソナリティをやっていた新人時代の裕木奈江(今、いったいどうしているんでしょうね…)が、番組中で、とにかくず〜っとキャーキャー言っていたのを聞いて、こんな普通の女の子(当時は、ね)の悲鳴をこんなに流し続けるなんて、すごい放送だ…と思った記憶があるから、そのあたりがルーツなのだろうか?

 そういえば、ニッポン放送もフジサンケイグループだ。


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天皇賞・秋、敗因分析。買わないと来るトップロード… - 2002年10月26日(土)

もう思い出したくもないが、今日は天皇賞・秋だった。

 結果は、1着が菊花賞をパスしてここに臨んだ3歳馬、シンボリクリスエス。2着は、オペラオー、ドトウとの3強世代の生き残り、6歳のナリタトップロード。これで、馬連1700円。馬単だと4000円。後から考えると、おいしい馬券だった。だって、1着馬は3歳限定線とはいえ、神戸新聞杯1着で、2着馬は京都大賞典1着。前哨戦を快勝した馬同士でのワン・ツーでこの配当なんだからなあ。
 
 ちなみに、僕は全然当たってない、というか、大勝負に出て惨敗だったのですが。勝って、Xboxと「ジョッキーズロード」を買おうと思ってたんだけどねえ。

 買った馬券は、◎エイシンプレストン………
○シンボリクリスエス、▲サンライズペガサス、△ブレイクタイム。
で、この◎○▲△の6点ボックスと、◎○▲△からツルマルボーイの馬連、
さらに、◎からテイエムオーシャンとナリタトップロードへの馬連、
◎とイブキガバメントのワイドなんてのまで買ってしまっていた。

 予想の根拠としては、ゴーズテディは、思い切った逃げを打つはずで、オーシャン追走。で、小回り中山ということで、他の馬も速めに動き、差し馬有利の展開になる!というのが根拠だった。よって、オーシャンはハイペース&坂で撃沈予定、トップロードは、荒れた内枠と中山コースでの相性の悪さで消し、ということで。だいたい、皐月賞と同じコースと考えれば、逃げ切りとか、先行押し切りというような競馬は考えにくいのだ。
 そして、秋の天皇賞は、基本的にマイラーの競馬で、毎日王冠組が有利。
 しかも、プレストン絶好調で中山巧者、不安は騎手だけという状況だったので、結構自信をもって、プレストン本命にしたのだが…
 対抗は、神戸新聞杯が強い勝ち方だったシンボリクリスエス。当初は本命も考えたが、菊花賞のレースをみて、相手が弱かったのかもと弱気になったのと、マイルの厳しい流れの経験がないためペースに混乱する可能性も考えて2番手それに、岡部騎手は、このところG1でまったくいいところがないしなあ。サンライズは、やはり中山2000はサンデーというのと、あの一瞬の切れ味は、むしろ中山向きと判断。ブレイクタイムは、1200mは忙しすぎる印象で、前走マイルで圧勝。1200よりは、中山なら2000のほうがいいのではないかと思っていた。
 ツルマルは、どこかで河内が一撃G1でやるのではないか?ということで、最近ずっと河内馬を買い続けているのだ。イブキは、去年4着で、上位3頭は出てきてない、それなら、このメンバーで意外と上位なのでは?と思って抑えておいた。
 ちなみに、シャカールは、休み明けでの天皇賞連対馬はいないし、内臓疾患で休養して以来、どうも100%の力は出せなくなっていると判断。得意の中山でも、来る確率の割には武豊騎乗で人気しすぎていることもあり、無印にした。
 サンデーという理由で、アグネススペシャルーエイシンプレストンなんて無駄馬券を買い足したりもしたのだが(だって、これって230倍だよ、当たれば…だけど)

 レース結果としては、プレストンは、まったく見せ場なし。この馬自身、ステイゴールド同様、強いから海外で勝てるというわけではなくて、香港の競馬場のほうが向いているだけ、ということなのだろう。後付の理由としては、2000は長かったのかもしれないが、毎日王冠の2着は、着順ほど評価するべきではなかったのかも。
 シンボリクリスエスは、とにかく強かった。いまのところ弱点は見当たらない。ただし、スピード競馬への対応については、まだ万全とはいえまい。今年の天皇賞は、上位入線馬が、ダービー2着馬、菊花賞馬、(サンライズペガサスは、純粋な中距離馬。結果として仕掛けが早くて、最後トップロードに競り負けたが、中距離なら楽しめそう。ただし、このタイプの馬は、距離が伸びたら差しきれる、というのは幻想である場合が多い。意外と道中足を使ってしまったりするので、JCに出てきたりしても、過剰評価しないほうがよさそう)、あと、4、5着は、一昨年の菊花賞の1、2着馬だし。
あとは、騎手だなあ、福永祐一最悪。距離もあっただろうけど、ずっと前が壁になってたぞ。見せ場くらいつくれよ。
岡部、四位、ヨシトミ(今日は、ゲートは良かったが…)、武豊、ぺリエ。
終わってみると、毎回そう思うんだけど。
 それにしても、トップロードが連にからむ秋の天皇賞なんて、夢にも思わんかった…
 思い切って外に行った四位の好騎乗と、スタミナが必要になったレース展開のアヤ。でも、同じ条件で100回やっても、たぶんトップロードは買わない、買えない。今回トップロードが買えた人って、競馬経験が浅い人か、ファンだけなのではないだろうか?
 応援馬券は、ごくたまにだけ、無垢な人々に微笑む、ということか。
 
 ああ、クリスエスーペガサスで終われば、幸せだったのに、今は奈落の底で這いずり回っているのでした。
 
 たぶん、僕の予想は、毎回正しい。
 でも、競馬の結果は、常に正しいとは限らない。
 いやむしろ、結果のほうが間違っていることが多すぎる…
 そうとでも思わないと、やってられん。

 備忘録として、第126回天皇賞、敗者の遠吠え。
(1)海外競馬で活躍したからといって、日本で強いとは限らない。
(2)トライアルは、着順や時計よりも、むしろ勝ち方や負けても負け方が重要。
(3)今回は、珍しく「マイラーには根本的に厳しい天皇賞」になってしまたので、今日凡走したからといって、ダンツフレームやプレストンがマイルCSに出てきても過小評価しないほうがよい。
(4)シンボリクリスエスは、JCか有馬に出ても状態がよければ好勝負間違いないが、ナリタやサンライズは、馬場状態や展開を確認してから。
 シャカやシデンは、過信しないほうがよい。
(5)このあいだの菊花賞のメガスターダム総流しといい、僕の予想はまったく当たらないので、外してお買いになられるとよろしいかと(自嘲)。


 





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そういうふうに、生きていくしかない。 - 2002年10月25日(金)

 ここ何年か、暇だなあ、と思ったことがない。
 そういうのは、たぶん性分というべきもので、僕が激烈に忙しいというわけじゃない。
 でも、なんとなく、いつも「やらなけらばならないこと」を抱えて生きているのだ。
 それは、書きかけの論文であったり、返信しないといけないメールであったり。
しかしながら、そんな「やるべきこと」は、結局、あまり行われないまま、時間だけが過ぎていたりするのだけれど。
 暇かどうか、というのは、時間の有無というよりは、その人の感性の問題なんだろう。
 
 これは、悩みの有無にも共通していること。
 僕は、たいがい何かに悩んでいるんだけれど、あんまりたいしたことじゃないことが多い。
 でも「悩むことばっかりで困る」かというと、そんなこともない。
 悩む性格の人間は、悩みがなくなると「悩みがないことに悩む」ようになったりする。
 「俺は、悩むべきこともない、つまらない人生を送っているのか…」なんて。
 
 性格って、根本的に変わるもんじゃなくて、いかに自分の特性を理解してコントロールしていくか、なのだろうなあ。


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「肉親の情」というのは、情報の集積にすぎない。 - 2002年10月24日(木)

日刊スポーツのサイトより。 

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんと、娘とされたキム・ヘギョンさん(15)の親子関係が24日、DNA鑑定で最終的に確認された。

 記者会見で滋さんは「99・999%間違いないと言われました。めぐみが北朝鮮で生活していたことの証しであり、喜びです。あしたにも(キム・ヘギョンさんに)手紙を書きたい」と語り、早紀江さんは「感慨無量です。めぐみの姿は見えませんが、同じ年代の子が北朝鮮ですくすくと育っており、感動を覚えます」と話した。

〜〜〜〜〜〜〜

 何か不思議な気分だ。確かに、北朝鮮の言うことなんか、信じられない!という気持ちはよくわかるのだけれど、DNA鑑定という科学的根拠を得ると、急に肉親の情というのが湧いてくるらしい。
 時代劇なんかでは、生き別れの兄弟が30年ぶりに再会、なんて話があるけれど、その場合、概して2人はしばし見つめあった後、おもむろに「お兄ちゃん!」「〜子!」といって、抱き合うことになっている。
 30年も会わなかったら、顔についての記憶もあいまいになっているはずだから(しかも、写真なんかない時代だし)冷静に考えると、ちょっとおかしいような気もするのだが。しかし、DNA鑑定なんて存在しない時代では、自分の感覚を信じるしかないわけで。

 「血は水よりも濃い」とか、肉親の情を示す言葉は多いのだけれど、今回の拉致事件は、「24年間拉致されていた人たちが、家族と涙の再会!」という感動の家族愛ドラマにすりかえられているような気がする。
 
 僕はむしろ、肉親の情っていうのは、やっぱり血のつながりだけじゃなくて、後天的な要素が多いんだなあ、ということをものすごく感じています。
 親子だから一目見てわかる、っていうのは、実は情報として過去の記憶を持っているからできることで、感覚的なものではないのだなあ、と。

 まったく面識がないキム・へギョンさんにとって、この日本の祖父母は、果たして心の底から身内として認識できる存在なのかどうか。
 それに、この何日間の日本での大歓待を「日本で生活すると、こんなに歓迎され続ける」というふうに思われたりすると、かえって良くないような気もするのですが。今は、ごく近い身内はともかく、急に思い出した人たちまでもが踊っている最中だから。


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「サイトを閉鎖してみたい」という衝動。 - 2002年10月23日(水)

 「自分の葬式に何人の人が来て、どんな態度を示すかによって、その人の価値がわかる」なんて話、どこかで聞いたことがないだろうか?

 今日、サイト巡りをしていて、閉鎖されたばかりのサイトに辿り着いた。
 そこでは、管理人さんが最後の挨拶への付記として、「閉鎖すると告知してから、ほんとうにたくさんのメールをいただきました。感謝でいっぱいです」と書かれていました。
 こういうのを見ると、なんだか自分のサイトって、閉鎖したら何かリアクションがあるのかなあ?と疑問になったりもします。

 僕は「もしもボックス」があったら、自分の葬式というのを見てみたいとかねがね思っていたのですが、現実にはそれは不可能なこと。
 いや、見られなくて幸せなのかもしれないけれど。
 
 サイトの閉鎖というのは、ある意味自分の一部のプチ葬式なわけですよね、きっと。生きたまま見られる、自分のお葬式。
 そういうふうに考えると、サイトを閉鎖してみたい衝動に、駆られなくもないのです。
 現実的には、閉鎖宣言してもノーリアクションで、かえって辛くなるだけの可能性が大きいけどさ。

 
 


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転生な人々。雑誌「ムー」から浜崎あゆみまで。 - 2002年10月19日(土)

「僕は光の戦士アルタイル。『終末戦争』で一緒に戦った光の戦士の仲間たちを探しています。ノーリーズン、この言葉に聞き覚えのある人は、手紙をください」

 というような「文通相手募集欄」が有名なオカルト雑誌「ムー」にあったのだ。何故かうちの中学の図書館では「ムー」が定期購読されていて、我々のネタとなっていた。
 まあ、いわゆる妄想系の人たちだと思われるのだが。でも、RPGとかをプレイする人間の心境というやつは、「ひょっとしたら、自分は覚醒してない英雄なのかもしれない」というような要素があるのかもしれない。
 少なくとも、ゲームの世界では英雄なわけだし。

 なんでこんなことを書き始めたかというと、浜崎あゆみが「voyage」のプロモーションビデオ(豪華40分バージョン、1000円で映画館で上映もするらしい)を作った際に、そのテーマが、この「転生もの」らしいのだ。
 彼女自身が選択したテーマかどうかはわからないのだが、いつの世でも、人間というのは「自分は、ひょっとして自分以外のものすごい何者かなのではないか?」と思いたい生き物なんだろうなあ。
 
 しかし、傍からみると、浜崎あゆみで何が不満なんだよっ!と思わなくもない。というか、浜崎あゆみになりたい人、世間には掃いて捨てるほどいます、たぶん。
 本人にとっては、浜崎あゆみもいことばっかりじゃないんだろうけれど。
 そういえば、窪塚洋介は「魔界転生」だし。
これは、生まれ変わりものとは、ちょっと異なりますが。

 菊花賞は、メガスターダムから。
 マチカネフクキタルが勝ったのを観てから、菊花賞が血統で買える時代は終わったと思われます。菊花賞でこそ生きる血統の馬なんて、もはや日本にはいないような気もしますし。
 それなら、ノーリーズンでもアドマイヤマックスでも、と思いもするのだけれど。どちらかというと母系の血統が大事なのではないかということと、あとは、勝つ可能性と配当との兼ね合いです、単純に。
 


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ぼくは英語ができない。 - 2002年10月18日(金)

今度、アメリカに行くことになった。
 とはいっても、学会というやつのお供をさせてもらって、数日間行くだけなんだけれども。
 それで「英語『超基本』を1日30分!」なんて本を付け焼刃で読もうとしているんだけれど、遅々として進まない。苛立つ。
 だいたい、アメリカ人は、小学生でも僕より上手く英語を話せるし、彼らにとっては、英語の論文も日本人にとっての「週刊少年マガジン」と同じ言葉で書いてあるのだ。
 もちろん、専門用語は、みんながわかるわけではないだろうれど。
 聞いた話では、日本人の研究者は「英語がしゃべれない」という理由で無視されたりすることもあるらしい。「英語の喋れないヤツは、語るに値しない」という発想を持つ人もいるのだとか(無論、たいしたことない人が多いようだけれど)。
 結局、英語が世界共通語ということが、英語民族の世界支配の賜物であるということを考えれば、イスラム圏のように、アメリカ文化への嫌悪が起こるのは、全然おかしいことではないと思う。
 むしろ「お前たちは母国語を使っているだけなのに、なんで我々はその言葉を覚えるところからはじめなければならないんだ?」という疑念は、至極当然のことじゃないのかなあ。

 少なくとも、僕らは「英語がつかえない」という理由だけで、世界に向かって発信する際に、彼らよりずっと後ろからのスタートを余儀なくされているんだから。

 テロは勘弁してほしい。でも、無条件でアメリカ万歳を叫べる人は、
たぶんアメリカや英語に真摯に接する機会がなかった人なのではないか、
と思ったりもする。
 
 


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「H・R」を観て、毎回残念に思うこと。 - 2002年10月17日(木)

昨日、三谷幸喜脚本の「H・R」第2回を観た。
よく練りこまれていて、面白いのだが、観る方にもある種の集中力を要求する番組ではあるなあ。

 この番組を観ていて、残念なことがある。それは、演劇やコンサートを観に行ったことがある方ならわかっていただけると思うのだが、要するに、テレビの視聴者としてこの番組を観ていると、視点が固定されてしまうのだ。
 固定されているって、カメラワークもちゃんと計算され尽くしているし、場面も切り替わっているじゃないか?固定カメラじゃないよ!と仰るのは承知の上。
 僕が言っている「視点」というのは、脚本家・三谷幸喜の視点、もしくはカメラマン、編集の人にとってのいちばん面白い視点で、僕たちもこの「H・R」を観なければならないということだ。

 生の舞台では、観客は、自分の好きなところに視点を置くことが可能だ。
 クライマックス、主人公が決め台詞を颯爽と語っているときにも、舞台の隅で手が少しだけピクピクしている死体役を見ることだってできる。
 テレビの画面では、いかにも「ココが笑いどころ!」とばかりにアップにされる隅っこのほうでの役者の動きも、観客は自分の眼でそれを発見しなくてはならないし、また、それを自分で発見したような気になるところが、舞台の面白さでもあるのだ。「H・R」の観客の「笑い」が、けっこうバラツキがあって、一斉に大爆笑というシーンが少ないのも、人によって、自分が笑えるポイントを発見できるか?というのと(もちろん、笑えない人だってたくさんいるはず)、発見できたとしても、人によってその「見つける」タイミングが違うということに起因している。だから、ADが舞台の袖でグルングルン手を回しているのとは、明らかに異質の笑い方なのだ。
 普通の舞台は、ビデオで観ても何故か面白くないことが多いのは、そういうことなのだろうと僕は思っている。「H・R」は、舞台とテレビの双方に通じた三谷幸喜という人物の舞台劇の手法を取り入れたコメディ番組という挑戦なのだ。
 もちろん、劇場で観ている観客にとっては、ひとつの舞台劇でもある。

 でも、やっぱり僕はテレビの画面の外の役者さんの動きが、すごく気になって、仕方ないんですよねえ。


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当然の仕打ち。 - 2002年10月16日(水)

黄色い看板「プロミス」のCMより。

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(アホそうな女の子が出てきて)

「ねえねえ、聞いて聞いて〜『恋の話』って、言ったら、みんな喜んで話を聞いてくれるのに、『お金の話』っていったら、みんな逃げてっちゃうの〜
せめて話だけでもいいから、聞いてえ〜」
〜〜〜〜〜〜〜

当たり前だ!誰が聞くか!!
あ〜すっきりした。






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ボブ・サップの伝説と現実。 - 2002年10月15日(火)

どっちが本当のボブ・サップ?

(日刊スポーツの記事によると)

 頭脳明せき ワシントン大卒。社会学、薬学を専攻。大学時代のニックネームは「宇宙人」。

 NFL 97年、ドラフト3巡目(全体69位)でNFLシカゴ・ベアーズ入り。2度のトレード後、負傷で引退。

 転機 ミネソタ州知事の勧めでWCW入団。「ザ・ビースト」の名でデビュー。WCW崩壊後、モーリス・スミスのジムで総合格闘技を練習。

 夕食は2〜3時間。飲み物は常にピッチャー。5日のK−1でホースト撃破後に出かけたステーキ店では店長のおごりで10万円分の肉をペロリ。

(僕が聞いた噂)

 NFLでは、3人の屈強な選手たちが彼にタックルしても、全然倒れなかったらしい。それでも活躍できなかったのは、記憶力が悪くて、全然フォーメーションを覚えられなかったから。

 リングの外では、けっこういい人。子供にはすごく優しい。

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 なるほど、それで自分のことを「ビースト」と呼んでいるわけだなあ。
 しかし、真剣勝負を謳い文句にしてきたK−1にあって、アメリカンプロレス風のショーマンシップというか、胡散臭さを持ち込んだボブ・サップ。
 間違いなくものすごく強いのだが、どこまでがパフォーマンスなのか、ちょっとわからない。日刊スポーツの記事が事実なら、ほんとは、全部計算ずくなのかなあ、などと思ってもみるのだが。
 しかし、10万円分の肉というのは、高級ステーキ店だろうし、伝説としては、ちょっと弱いような気がするなあ。
 アンドレ・ザ・ジャイアントは、アメリカから日本までのフライト中、飛行機中の酒を呑み尽くしたとかいう伝説もあるくらいだし。
 昔に比べて、伝説にもリアリティーが必要な時代なんだろうか。

 よく、ボクシングのテクニックや寝技をマスターすれば最強なんて言われるけれど、もしそんなことになったら、それはそれで面白くないなあ。
 ホントは、できないフリをしているだけだったりして…





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どちらが下世話? - 2002年10月13日(日)

「愛の貧乏脱出作戦」が大好きだった男と
「恋のから騒ぎ」が大好きな女。
はたして、どちらがより下世話なんだろうか?


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ファインモーション・単勝1.0倍! - 2002年10月12日(土)

 秋華賞の前日発売で、単勝1番人気のファインモーションは、
なんと1.0倍のオッズだった。1.0倍っていうのは、要するに元返し。
 いずれも圧勝で4連勝、名門伊藤雄二厩舎、そして鞍上武豊、まさに完璧とも思われるファインモーション。相手探しのレースだ。
 
 しかし、単勝1.0倍なんてのを買うことに意味があるのか?
 当たっても元返しだぞ。いくらファインモーションが強くても、出遅れたり、不利を受けたり、縁起でもないが故障する可能性だってある。
 いくらなんでも、18頭立てのG1レースで単勝1.0倍は、かぶりすぎのような気がする。
 
 サクラヴィクトリアやシャイニンルビーだって20倍以上つくんだからなあ。最終的には、もうちょっとファインモーションのオッズは上がってくる(とはいっても、1.5倍くらいか?)可能性が高いのだが、競馬はあくまでも確率の勝負。あまりに信頼しすぎるのも危険だと思うのだが。
 1.5倍っていうのは、3回走れば、そのうち2回は勝てるってことだぞ。あれ、1.5倍なら、けっこうつくような気がするな。
 じゃあ、1.2倍。これなら、8回に7回くらいは勝たないといけない。
 なんて書いておいて、2倍ついたら今月の給料全部賭けてもいいや、などと思っていたりするのだが。
 
 みんなファインモーションで儲けようっていうより、新しいヒロインの勝利に期待しているんだろうなあ。

 ちなみに、確率うんぬんなんて言うのなら、賭けた時点で2割5分JRAに抜かれる競馬なんてするんじゃない、というのが、ほんとうは正論。

 
 


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「ダイ・ハード2」は、もう時効なんですか? - 2002年10月11日(金)

 今夜の金曜ロードショーは「ダイ・ハード2」だった。
 そういえば、この映画、去年の同時多発テロの時期に放映予定で、「飛行機が出てきて、テロを彷彿とさせるから」という理由で放送延期になったような記憶がある。
 1年経ったら、もう時効なのか?

 でも、去年放送延期になったのを聞いたときには「今度のテロとダイハードは、まったく関係ないじゃん、過剰自粛だ!」と憤りをおぼえたような気がする。

 結局、どっちに転んでも文句ばっかり、ってことなのか。



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では、カブレラに56号を打たせてやったら満足?「H・R」 - 2002年10月10日(木)

今日の日刊スポーツの記事から。

「何で勝負しないんだ!」。伊原監督は三塁コーチスボックスから直後にマウンドに向かった藤田投手コーチを怒鳴り上げた。「この試合(チームの)勝ち負けを見にきている人は10人もいない。みんなカブレラのホームランを見にきているんだ。優勝も(西武とオリックスの)順位も決まっている。せっかくパ・リーグを盛り上げようとしているのに」。名指しこそ避けたが、試合後もかつての教え子である石毛監督に強い不快感を示した。
 怒っていたのは、ほとんどが左翼席に集中した1万6000人の観衆も同じだった。マナーの良いことで知られる神戸のファンだが、吉原が立ち上がると、左翼席からは、容赦なくゴミ袋やメガホンがグラウンドに投げ入れられた。「ファンにもホームランを見せられなくて残念だ」。カブレラも、期待に応えられなかったことを悔いた。
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カブレラ、第五打席は敬遠。
球場に来ているファンは、確かにカブレラのホームランを観に来ている人が多いでしょうからブーイングも当然ですが、これは、当然の作戦だと思います。
3点負けていて、9回の表で2死2塁。バッターは、カブレラ。これは、勝とうという意思があるなら、当然敬遠の場面でしょう。勝負して打たれたら、単なるバカです。
 伊原監督も「何で勝負しないんだ!」って、逆の立場だったら勝負しないでしょうに。
 もちろん、伊原さんのことですから、承知の上で「怒っているフリ」をしてみせているんじゃないかなあ、とも思えるのですが。そのくらいの計算はしているはず。
 「ファンは、カブレラのホームランを観に来ている」
確かにその通りでしょう。でも、それならど真ん中に投げて打たせれば、みんな納得するんでしょうか?
 そんなの、かえってしらけるだけ。
 メジャーリーグは、野球を楽しんでいるといわれていますが、オリンピックを観てもわかるように、いちばん盛り上がるのは、どうしても勝とうという意志の「真剣勝負」だと思うのです。
 それ以外の打席は、きちんと勝負していますし、この敬遠は妥当な作戦だと思いますよ。去年のダイエーの全打席敬遠みたいなのは、情けないとしかいいようがありませんが。
 消化試合だからといって、勝負に行くという姿勢は、けっして間違っていないと思うんだけどなあ。

 あとひとつ、昨日「H・R」を観たんですが、僕はただひたすら、酒井美紀ちゃんの質問に答えたくて仕方ありませんでした。
 あ〜もどかしい!



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「ノーベル化学賞・田中耕一氏受賞」に驚いた夜。 - 2002年10月09日(水)

今年のノーベル化学賞を島津製作所勤務の田中耕一氏が受賞した。

以下、京都新聞のサイトからの引用です。

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▽田中耕一氏の略歴

 田中耕一(たなか・こういち)氏 1959年、富山市生まれ。東北大卒。島津製作所分析計測事業部。43歳。
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これだけ、なのだ。
昨日の小柴さんの受賞には、別に僕はまったく驚かなかった。
いや、別に知り合いでもないしね、って感じ。
でも、田中さんの受賞には驚いた。
まず第一に、43歳という年齢(調べたら、湯川秀樹博士は42歳で受賞されたそうです)。
そして、田中さんが東北大学の出身で、略歴がこれだけで説明されてしまうような人だということ。
僕は、ノーベル賞は東大か京大の出身者しか取れないもんだと思ってました。こういう人の略歴には、ずらっと有名大学や有名研究室の名前が並ぶものかと。
 世界の目(ノーベル賞の選定委員会が、かもしれませんが)は、僕が思っている以上に広い範囲に向いているんだということに驚かされましたよ、ほんとに。

ちなみに
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 2002年のノーベル化学賞に島津製作所の田中耕一氏が決まったとの一報を受けて、東京・霞が関の内閣府に置かれた総合科学技術会議では「田中って誰?」と混乱が起きた。
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らしいです。日本の内閣府では、彼の業績をまったく評価していなかったということなんですね。学閥のためなのか、ほんとに国内では無名だったのか。

 正直、こういう人がノーベル賞をとるというのは、僕のコンプレックスなのかもしれないけれど、すごく嬉しいです。
 しかし、ノーベル賞って、年配の研究者への冥土の土産じゃなかったんですなあ。これから、田中さんの人生、かえって面倒くさくなりそうな気もしますけれど。



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「ミラクル・ツインズ」ふたたび。 - 2002年10月08日(火)

MLBで、ツインズ(中地区1位)が、アスレチックス(西地区1位)を破り、11年ぶり5度目のア・リーグ優勝決定戦進出を決めた。削減対象からスタートした貧乏チームの快進撃はポストシーズンに入っても止まらず、ワールドシリーズ進出をかけて8日からホームでエンゼルス(ワイルドカード)と対戦することになった。

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 今年のポストシーズンは、いったいどうなっているんでしょうか。
 ヤンキースが負け、ダイヤモンドバックスが負け、ブレーブスも負けてしまいました。
 こんな展開になるなんて、誰が予想したでしょう?

 「ミラクル・ツインズ」ふたたび。’91年に、奇跡の「前年最下位からのワールド・シリーズ制覇」を成し遂げたツインズ。今年は、中地区優勝に引き続き、アメリカン・リーグの優勝決定戦に駒をすすめました。削減対象という崖っぷちから始まった2002年シーズンだったのに。

 こういうのが、僕は大好きです。ヤンキースや巨人が勝つだけが、野球じゃないでしょう。主力のハンター選手は「世界中が驚いているだろう。でもこの国は貧乏な球団が勝つことを見たがっている。エンゼルスと貧乏対決になるぞ」とコメントしたそうです。
 
 日本でも、貧乏球団が勝つところを観たいファンは、けっこういると思うのですが、なかなかそうはいかないようです。もちろん、貧乏だから彼らが勝ったわけではないということは、わかってはいるけれど。
 某貧乏球団のファンとしては、日本の敵をアメリカで討ってもらいたい。

 がんばれ、ツインズ。

 ところで、僕はアメリカのプレーオフにとても疑問なところがあるのです。それは、「ワイルドカード」というシステム。どうして、2位のチームがプレーオフに進出できるんでしょうか?
 2位といっても、負けは負けだし、もしそれでワールド・シリーズ制覇したら、はたして、今までのレギュラーシーズンは何だったのか?
 まあ、3チームだとトーナメントができないから、という理由なんでしょうね。



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凱旋門賞〜マンハッタンカフェの敗因。 - 2002年10月06日(日)

 凱旋門賞に挑戦したマンハッタンカフェは、13着に惨敗した。
 大舞台に強い馬だし、母系にサドラーズウェルズが入っているので、けっこうやれるんじゃないかと期待していたんだけれど、残念な結果になってしまった。
 敗因としては、休み明けと欧州の芝が合わなかったということなんだろうなあ、きっと。それにしても、13着とは。

 今回のマンハッタンの挑戦には期待しつつも、もし勝ったらどうしよう?
という一抹の不安(と言ってしまっていいのだろうか?)もあった。
 日本競馬の夢である、凱旋門賞制覇を果たす馬が、マンハッタンカフェでいいのかどうか?
 エルコンドルのときは、2着で残念と思いつつも、ホッとした部分もあったのだ。日本調教馬とはいえ、あんまり日本で走っていない外国産馬に夢を果たされたら、なんとなく拍子抜けしてしまっていたような気がする。
 それは、カブレラの56号にたいする感情と類似したもの。
 差別的と言われるのは承知の上で、やっぱり偉大な記録は、偉大な人に持っていてもらいたいと思うのだ。
 ナリタブライアンかテイエムオペラオーなら、たぶん諸手を挙げて応援できていたんだろうけれど。
 しかし、凱旋門賞にばかりこだわるというのは、実はおかしな話で、基本的に日本の軽い芝に適性がある馬というのは、ロンシャンのコースには不向きなんじゃないかという気がする。弱いから勝てないというより、コースに不向きなタイプの馬だった可能性も充分ある。
 もちろん、エルコンドルパサーやドバイミレニアム・クロフネのように、芝でもダートでも大丈夫というタイプの馬も稀にはいるのだが、実力+適性の有無という要素もあるに違いない。
 海外でより実績を残しているステイゴールドやエイシンプレストンのように、日本国内ではかなわなくても、海外コースならマンハッタンより強い馬というのは、確実にいそうな気がするのだが。
 
 でも、一叩きしていれば、もうちょっと違った結果になったような気がするんだけどなあ…

 シルフィードには、まだ遠い。

 


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サムライ、石井浩郎の最後の打席。 - 2002年10月05日(土)

昨夜、テレビを観ていて、ある場面に目が釘付けになってしまった。
それは、横浜vs巨人の試合の7回の裏で、ピッチャー入来。
そして、右バッターボックスに立っているのは、サムライ、石井浩郎。
久々の1軍のバッターボックスだった彼は、現役最後のバッターボックスで涙を見せた。拭っても拭っても、止まらない涙。
横浜ファンのみならず、巨人ファンからも上がる大歓声。
入来がおそらく意図的に投げたど真ん中のストレートを石井はフルスイングし、高く上がった打球はショートのグラブに納まった。
スタンドには、妻、岡村孝子が娘と一緒に眼鏡をかけて座っていた。
彼女は、「夫のプレーを球場で観るのははじめて」とのことだった。

石井浩郎、広島ファンの僕にとっては、あまり縁がない選手だったし、近鉄時代の全盛期を除いては、怪我のせいもあって「打ちそうな雰囲気の割には、そんなに数字が出せない選手」だったと思う。
でも、昨日の引退試合の石井をみて、彼の人気と評価の理由がわかったような気がする。
ほんとうに野球が好きなサムライ、石井。
ドイツのカーンを髣髴とさせるようなストイックさと存在感。

石井の最後のバッターボックスの涙を観て、
正直、寂しさと同時に嫉ましさを感じた。
男なら、誰しもこんな「引退」に憧れるような、そんな光景だった。






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さよなら、ミカ。 - 2002年10月04日(金)

僕がはじめてミカに会ったのは、去年のお盆。
炎天下なのに、若い連中をぶっちぎって、砂の上を軽やかに走る姿に、一目ぼれしてしまった。ミカは、もうけっこういい年になってしまっていたけれど、その体はひきしまっていたし、まだまだ若い連中に負けるわけない、と僕は思っていた。
 でも、その後のミカは、不調続き。
 東京でも、京都でも、フィールドを軽やかに駆ける彼女の姿はみられず、僕は、ただため息をついて、
紙ふぶきは風に流れていくのみ。
 
 昨日、ミカが競技生活を引退して、田舎でお母さんになるという話を聞いた。
 大観衆の前でのセレモニーはないけれど、あの暑い夏の日に、彼女が僕の前で見せてくれた輝きを忘れずにいようと思う。

 さようなら、トシザミカ。いいお母さんに。

 それにしても、僕は去年の佐賀のサマースプリントを目の前で観て、ず〜っとこの馬に入れ込み、散財もしてしまったのだが、縁というのは、こういうものなのだなあ、と思う。
 もし彼女のレースを生で観なかったら、こんなにずっと追い続けることもなかっただろうし。そして、そのレースは、彼女にとってそんなにたくさんはないベストパフォーマンスのひとつだったのだ。たぶん、大部分の人にとっては、ミカは、そんな馬もいたよなあ、そういえば…というレベルなんじゃないだろうか。
 人と人でも、相手のその一瞬の輝きを目にしてしまったばっかりに、忘れられなくなるって関係、あるんだろうなあ。そういうのは、運命だとしか言いようがない。



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空白と現実の20年間。 - 2002年10月03日(木)

 今回、拉致事件で生存がほぼ確認された5人のこと。
彼らは、家族との再会は希望したが「子供は日本語が喋れないから」と日本へ帰国して生活することについては、慎重だったという。
 ある家族が「一日も早く日本に連れ戻す」と発言していたけれど、家族にとっては空白の20年でも、拉致された本人には、望まなかったものとはいえ、北朝鮮での20年の生活があったのだ。
 帰国した中国残留孤児の日本での生活ぶりを追ったドキュメンタリーを観たことがあるが、日本語があまり喋れず、仕事も見つからない彼らの生活は、まさに「最低限の生活」だった記憶がある。
 北朝鮮の無道は赦しがたいけれど、現実として、生存している人々にとって、今も日本に帰ることが妥当なのかは、よくわからない。
 人々は飽き、家族もすべての生活の面倒は見ることはできず、子供たちは学校で順応できず…といった、哀しい現実が予想されるのだ。

 生存者の家族も、一様に歯切れが悪い。
 生き延びたことは、喜ぶべきことなのだが、他の人々への配慮もあるんだろう。

 そういえば、日航機の墜落事故のときに4人だけ助かった方々がいた。
彼らは、生き残ったことで特別扱いをされて生きることになってしまい、ことあるごとに思い出したようにメディアに取り上げられている。
 本人には何の落ち度もないのに、どうしてそっとしておいてあげられないのだろうか?
 
 現実っていうのは、ものすごく残酷だ。
 生きていくというのが、どうしようもなく哀しく思える。
 でも、それを哀しいと思えるのも、生きているからなのだ。



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筒井康隆、降臨の夜。 - 2002年10月02日(水)

 今日の夜、なにげなく「なんでも鑑定団」を流していたら、筒井康隆さんが出演していてびっくり。ホームページも更新されてないし、あんまり新作もみないので、体のほうは大丈夫なんだろうかと、ツツイストとしては心配していたのだ。
 でも、芝居に出てるみたいだし、体のほうは問題なさそうだ。
 最初に筒井作品を読んだのは、高校の文化祭で買った古本の「48億の妄想」(だったかな?)で、「霊長類、南へ」で完璧にハマってしまった。
 でも、これらの作品が発表されたのは、僕が高校生の時点で、さらに15年前とかだったのだ。
 近年の筒井作品は、より現代文学的になってきて、やや難しくなっているのだけれど、ある意味、筒井康隆というひとは進化し続けている作家なのかもしれない。読者がついていけなくなるときがあるのは、情けないのだけれど。
 とりあえず、元気そうで何よりです。
 それにしても、今になって役者熱再燃、とは。

 ちなみに、僕が筒井作品でいちばん好きなのは「旅のラゴス」なのですが、「そんなのあったっけ?」とよく言われます。


 



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