メールの生み出す効用と弊害 - 2002年05月26日(日) この題目をふと考えついた理由は、自分自身も便利な「Eメール」というツールを果たしてどれだけ正しく使えているかを考え直してみたかったからです。 そして、まめたんさんのコラムを拝読させて頂き、今回は効用に特にスポットを当てて、二人の作品をより面白く皆様には読んで頂ければ、と思いました。 本当に、これほどの勢いでメールが浸透し、自分も仕事につけプライベートにつけかなり頻繁に利用するとは、実は吃驚している節もあるのです。相手の都合のいい時間そっとポストに投函する手間なく送信が可能。仕事の連絡や、急な待ち合わせ、新幹線などの移動時間に相手を思い出し、言葉を紡いで見たりも可能な手軽さ。そして便利さ。このメールというツールをきっかけに能率的にコトが運んだり、ネットで知合った方々との表現の一手段、意見の交流も含めると可能性は格段に高まり、時間短縮にも大いに役立っているのでは、とも思うのです。 但し。 便利なものには、落とし穴があるのでは?そして、使い方を間違えると相手の時間にも心にも多大な負担を与えるのでは。さらには、マナーの問題。表現方法とそれを受け取る相手の受け取り方とのギャップ。ともするとメールで伝えたばっかりにすれ違ったり、相手のことを慮れずに一方的に自分の思いを送りつける「ネチケット違反メール」に成り下がる。。。。そして、それを書いている人間の品性まで問われるという。。。げに恐ろしきもの。それは電気手紙。そう思わざるを得ません。書いたものを読み直す、感情に走らずにちょっと時間が許せば読み直して手直しすることを忘れないようにしたいと自分自身思っています。。弊害と言えば、そのような点ではないかしら?と思います。特に送り手と受け手の微妙なニュアンスの違いをどこまで日々のコミュニケーションなどで埋められるくらいの信頼関係があるか、とかお互いを思いやれるかは日々の人間関係で気をつけるべきことと何ら変わりがないかと思います。 弊害が思わず長くなってしまいました。。。 効用に焦点をあてるのが私の今回のコラムの役割で御座いました。メールの効用。それは、思いのやりとりが活発になったのではないだろうか??という点です。これは喜ばしきことと私はとらえています。発信するまでに郵便書簡だと考えてそれを文字に表し、切手を貼って投函。。。それが面倒ゆえに、気持ちのやりとりは電話に取って代わられ、紙に肉筆が残ってしまうことは面映く、かつ自分の筆不精は棚に上げ、相手からの返信を首を長くして待ってしまったり・・・。そんな思いは誰しもしたことがあるのではないでしょうか?PCはペン代わりになり、メールは思いを伝える場になったことで暖かな気持ちも生まれれば、それに越したことはありません。メールの本文から垣間見る相手の方の魅力・個性を尊敬しつつ、切磋琢磨しあえるような、世代も性別も超えてしまう楽しきツールであるこの面白さ。。。決して壮大すぎるプロジェクトや夢物語ではなく、心の交流から生まれる新たな効用、それを生かせるか、暇つぶしにするかは、ひとえに使う人間の心の持ち方一つだと私は考えております。 メールを書くのも読むのも、心有る人同士である以上。 - 紫陽花の花によせて・・・。 - 2002年05月12日(日) 紫陽花の花。 それは、気まぐれな私の心模様を映し出すかの如く。 淡く、濃く、様々な色に咲いています。 紫陽花の花を描くのが子供の頃は好きでした。 無心に、スケッチし、丹念に水彩絵の具で描くのが・・。 水色、桃色、白、茎、葉にいたるまで、花弁も含めての濃淡を丹念に描きました。 嫌なことがあると、パレットに絵の具を出し、何度も何度も絵の具を混ぜ、水を足しては描きました。 でも、紫陽花の織り成す色合いが思ったように出せませんでした。 気に入ったように思っても、よくよく見るとそれは作られた色でしかなく。 私が、純粋な気持ちで、紫陽花の色を出そうと思っても、技術が足りないせいも勿論あったかもしれませんが、描こうとするときの心を問われていたのかもしれないな〜と大人になってから感じます。 紫陽花の花。 それは、今もなお時として気まぐれな空想癖のある私の心模様を映し出すが如く。 淡く、濃く、様々な色に今年も咲くことでしょう・・・。 今の私だったら、紫陽花の花を描いたらどうなるかしら?? 心に一抹の不安や曇りがあるときは、沈んだ色合いで、心安らかで愛する人を慈しみ感謝に溢れる気持ちの時は、暖かくほのかな色合いで描くのでしょうか?? 果たして描けるのでしょうか? 紫陽花の織り成す美しさに少しでも近づけるのでしょうか? それとも・・・・・・・。 - 藤の花に寄せて。。。 - 2002年05月02日(木) 学生時代に、藤棚に座って、仲のよい友達とよく話をしたりしておりました。 どこか、心落ち着く場所でした。 藤の花の、なんとも言えないうっすらと、儚げな上品な薄紫の色。。 どこか心休まる花でした。 今も、時々車窓から、帰りの道すがら藤の花を眺める機会があり、ゆっくりと息を吸い込み立ち止まって眺めたり、公園の藤棚に腰掛けてみたり。。 一日の中の休憩時間の一部は、好きな花を見ていてもいいかな、なんて。 そんな気持ちにさせられます。 ただ、藤の花に寄せて思うこと、本当に求めていることは、本当にしたいことは、 藤棚の下で、物静かに微笑んで話を聞いてくれたり、語らったり等と、いつも穏やかで、どこか藤の花を思わせるほど謙虚で儚げでいろいろな思いを共有したあなたの存在。 それを求めているだけのことなのかもしれませんね。 幸せな毎日のどこか、一部分で心はあなたを求めているのかもしれない・・。 そんな気持ちにさせる藤の花、なのでした。。。。 - 最近の若い方の態度。。 - 2002年05月01日(水) 本日は、リクエストにお答えして(笑)、最近の若人の方の若干直したほうが良いと 思われる習慣・及び習性についてちょっと呟いてみたいな、と。 そう思ったわけで。 まずは、道端でしゃがみこみ、集いすぎではないのかな、と。 ここで、「そんなのいいじゃんよ!」と逆ギレされる可能性大かもしれませんが、 他にも歩いている人がいたりして邪魔でも、あまりにも堂々としてる為、大人は 端っこ歩かなくてはなりません、しかも済まなそうに。 しゃがみこむのは邪魔にならないところで実行していただきたいものだな、と。 なんと言ったらよいのでしょうか、自分のしてることを反省しない、というのはいかがなモノかと。反省しなかったり、謙虚な態度を取らないで、人が嫌な思いをしても「別にいいじゃないですか〜」はそんなの若さの特権でも何でもありません。 その都度、若い事を振りかざして子供だからしょうがないとか、もう子供じゃないのにとか、濫用する必要はない訳で。 これは、最近?(゚_。)?(。_゚)、私が働いているところで思うのですが、電話でインターネットへの接続で電話をかけてきているお客様に対して、「ですから〜!!」と あきらかにイラついた態度丸出しでサポートしている女の子に一言。 サービス業をなめとんのか!!! 自分がわからないことを問い合わせた時にそうされたらどうすんのか!! 顧客の気持ちは移ろいやすく、人の気持ちも移ろいやすいものですから、例えば体調が悪かったり機嫌が良くなかったりする日も当然あるでしょう。。。 お客様の中にも、明らかにいわゆる「クレーマー」もいらっしゃるかもしれないのは事実ですが、意見がある人が納得したら、案外その方はありがたいお客様になるのではないのでせうか?問題なのは、何も意見を言わずにサービスが悪くて去ったお客様を食い止められない、もしくは原因を究明しないってことです。 その女の子にとっては、パソコンを使いこなせない人はちゃんちゃらおかしく、馬鹿にしたいのかもしれませんが、そんな気持ちなら仕事する必要なし。冷やかしにしか思えません。自分の親以上の世代の真剣な問合せを、ガンガンしゃべって、何でわからないのかと責めて。判んないから問合せとるんじゃ!! そういう子はごく一部で、もちろんキチンと礼儀正しくしている人もたくさんいるのですが。若くなくても謙虚さを失って、人を責めあげるのも悲しいことです。 もっと助け合っていったらお互いイヤな思いしなくてもいいのにな〜。 呟きというよりも、雄たけびになってしまいました。 あ、人の話もちゃんと聴かないのに、自分のこととなると、いちいち「ちゃんと話聞いてますか?」とずうずうしくたずねるのもダメです。 人の話を聞けない人は、自分の話も聴いてもらえないのです。(極端な話) バス・地下鉄の中で、セーラー服なのに大また開きでリップ付け直しているのも まわりのおぢ様がたが興奮してくるので、足は閉じた方がよろしいかと。 なんか、ご意見番みたくなってしもーた。 ヾ(@゚▽゚@)ノ -
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