NYA [HOMEPAGE]
NYAの思うところ

2003年10月31日(金) 無理しすぎ?

3日前ぐらいから、自動車学校に通っている。マニュアル普通車免許取得にむけ、毎日連続して乗車していたが、あまりのペースの早さに混乱気味。

車だと練習が思うようにできないのが難点。ただ、教習で2時間乗っても、私の場合、全く身に付かないような気がする。ハンドルさばきやら、クラッチでの減速加速。半クラッチでの徐行で左折を今日やったけど、全くぼろぼろだったな〜。大丈夫かな、私。とほほ。このままだと無駄に教習の時間が過ぎていきそうだったので、明日から1時間ずつ乗ることにした。仮免にもかなりのチケットを切りそう。

今まで、全く興味なかった、というより免許は絶対とらないというスタンスだったため、マニュアルがどういったものかということすらわかっていなかった。自分が車を運転するということが、実際こわかったりする。(前まで人の車に乗ってるのも恐かった。乗り物全般が恐い)今も、気持ちよくハンドルをにぎれることが少ない。常に緊張気味。フラットに冷静に操作できる日がくるのかどうか。

なんで今さら?、という感じだが、私が免許をとるのが親のたっての希望。田舎ではもってないと話しにならないということ。そして、親が病気になった時とかを考えると、病院につれていくとかも誰かに頼ることも難しい。そんなこんなで、重い腰をあげたのだが、やっぱり、心構えをもう少し強くもってないと、とっても難しい。自分で決めたことと思わなければ。


ところで、病院の先生は、あなたは東京が向いている性格だといってくれて安心していたが、親は都会に出るのは大反対。今までの私がやってきたことはもう続けさせないと決心しているとのこと。好きかってにさせておいてみんなに迷惑かけて、病気になったし、経済的にも今後1人で続けていけないだろうと考えてのことだが、こう言われると、こちらもぐうの音もでない。将来のプランがぼやけているからだ。


庭の倉庫で引っ越し荷物を整理したいのだが、今までいつも鍵をかけられる生活だった。この間あまりにもひどいと言ったら、近所によくわからない家族が引っ越してきたため、庭に出るのは心配とのこと。理由がわかれば納得したのだが、あまりにも不自由な生活。田舎の環境も変わってきている。


束縛が一番嫌いな人間が、今かなり譲歩していると自分では思っているが、こんなこと(田舎で親のこと考えて就職したり、面倒をみたり免許をとったり)はそこまで苦痛に感じないでできる人も多いんだろうな。
できる人をうらやましがってもしょうがないので、少しはできるようになりたいが、自分のなかの何かがそれを承諾しないというところが、厳しい。自己中心的というところか。

最近寒くなったのでフェルトをつくろうとも思うが、なんだか実家では作る気分にもなれない。


全く自分が溶解していく感じだ。根腐れってこういう感じかも。この感じは東京を離れてからずっとそう。自業自得だが、この場所でどうやったら自分らしくいられるのか。自分らしいと、自分が感じられるかどうかだが、ここに重きをおいていることがそもそもおかしいことなのかもね。


引きこもりから極端に、この3日間かなりハードにやりすぎて愚痴っぽくなってしまったけど、明日からはもう少し落ち着いてがんばれると思う。



2003年10月18日(土) 米寿

今日は母方の祖母が米寿祝いで、田舎にいってきた。娘や孫全員や親戚など集まり大変な催し。厚生年金の施設でサンピア姶良というところの広間での会。結婚式ぐらいの料理がでましたよ。

そもそも、おばあちゃんがおいしい料理を食べたいと言い始めたのだが、孫のうち誰からも結婚の話しは聞こえてこないし、それでみんなが元気なうちに米寿祝いでもしようという話しになったらしい。

孫のうち誰も結婚してないというのが痛いところ。私が一番上だからな〜。あと、こっちに帰ってきて両親が喜んだでしょうとか、いろいろ言われたけど、機会あれば東京に帰りたいところなので、そこらへんは、いやあ、いつまでいるかとは答えておいた。

田舎の目や耳にはいつまでたっても馴れない。

疲れた一日が終わった。。。私は何もしていないが。



2003年10月16日(木) 吹き出物

お天気。いつものごとく、朝「特ダネ」を見ながら朝ご飯を食べ、その後茶わんを洗ってからは、ネットを見て、後は猫と戯れるぐらいしかない。手持ちの本も何冊か読み終わってしまった。実家で親と一緒に暮らしていると、自分の生活という風に自覚できない。部屋もかなり適当だし荷物もまだ大半は箱の中。すぐに自分の思い通りにならないということで、かなり不自由を「感じる」わけです。でも、人によってはそんなのは不自由でもないだろうと思うことでしょうが…。

自分の「感じ方」を変えてみればいいのでは?と思い、周囲の人に神経過敏にならないようにと接してみたが、そもそも神経過敏にならないように努力してももたない。友達や同僚など他人だとそこら辺普通にできているのだろうが、親だと、こう考えるだろうなどということがすぐわかり、または、わかっているつもりになっているため、自分が心苦しく感じるんだろう。とりあえず、自分の感じ方を変える努力続行か。

病気じゃないのに、この生活態度は、鬱や引きこもりと見かけ、変わらないじゃないかと思い、憤慨。何に憤慨かというと、この状況にだが、この状況を作ったのはもともと自分の行動なわけで、頭が痛い。済んだことは仕方ないが、反省点は、不安や恐れに自分を乗っ取られないようにするということか。

こんな最近の生活では、コーヒーやお茶を飲むことで、自分の時間という感覚を持つようにしている。自分で自分のコーヒー(もっぱらインスタント)をつくることをしたいということは、親元にいても心理的に甘えられないということなのか、でも、状況はしっかり甘えている状況にみえるし、どうにもこうにも動けないハリネズミのような気もしてきた。

最近、ストレスか不衛生からか、吹き出物が顔の中心(鼻から眉間、額にかけて)にできてしまい、ずっと治らない。いつもの吹き出物じゃないような気もする。なんだか、いろんな「不満」が顔に出ているのではないのかな。この吹き出物が治る日が、早くきてほしい。

ところで、エンピツ日記を今日始めてランダムにいろいろ覗いてみたが、いろんな系統があるな〜と改めて思った。その中で、私の忘れていたことを思い出させてくれた日記があった。

パンドラの箱というお話『パンドラの箱を開けたばっかりに世の中にいろんな災いが出ていってしまったのだが、その箱の底に一つだけ「希望」が残っていた』というもの

今の私は、社会的にはゼロの位置。今までの生活がなんと危ういものにのっかていたことか思い知らされた。この年でゼロからのスタートって、長い人生を考えるとしんどいのも本心。学生のように無責任に夢みてるわけにもいかず、難しいところなのだが、少しの希望だけは持ち続けようと思う。

日曜日の祖母の米寿祝いで、弟らが帰ってくるので、心理的に楽に感じ始め、日記も書いてみた。



2003年10月12日(日) 久しぶりの大雨

体育の日の今日、町民運動会がある予定だったが雨で明日に順延となった。実家では運動会という雰囲気はまるでない。子供が卒業してからしばらくは参加していたものの最近は全く参加してないらしい。もう老人だし。めっきり参加者も減っただろう。

この間、おばさんの稲刈りの手伝いに行った。そんとき日曜だったのだが、いろんな小学校で運動会をやっていて、万国旗とテントがとても懐かしかった。子供がいないと、こういう風景もあんまりみたくないものになってしまうのだろうか。

どうも実家にいると、機嫌の悪い自分になってしまい、親を困らせてしまう。反省と自己嫌悪。なんとかしたいが、社会への復帰図がかけないことには…。

私は自分の好きな通りにできないことへのストレスを勝手に感じているわけで、親から見れば親と一緒に普通の生活ぐらいできなくてどうすると思っていて私がまだ具合が悪いと思っているらしい。そうじゃなくてもう具合はよくなっているんだけれども、性格だけはなおらないんだよな〜。。

来週、再来週ぐらいには何か結論が見えていればいいが。どうだろうか。



2003年10月09日(木) とりあえず再開

実家に帰って1ヶ月が過ぎようとしている。電話回線をISDNに変えてプロバイダーも決めネット環境は整ったものの、あんまりやる気がおきないというのもほんとのところ。
先の見通しがないからだ。見通しがないなら、自分で目標を決めろという声が聞こえてきそうだが、超せっかち&前向きな両親の前だと余計にダラダラモードに突入してしまう。

というわけで、あんまり変わったこともない田舎暮し。ともかく日々過ごしていくしかない感じ。。。

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